第80話

 『其処』で何も感じなかったというのは、考えてみれば当然のことだ。何せ残留思念は「間に合わなかった」時に発生するもの。トイレ自体で残留思念が発生するようなあのイベントが起きるなど、確率は低い。

 最も可能性があるのは、その道中。道中でリミットオーバー・フルバーストを誤射してしまったからこそ、残留思念は発生するものだった。

 だから、トイレに限定せずとも、廊下全てで出会う可能性があった。兼代は廊下に立ち。『当時の教室』へ至る道の中央に立ち、絶対に相手を見逃さないようにする。

 陸前は言っていた。残留思念は基本的に不定形で、元の人物と異なる姿をとることがあると。

 ぺたぺたぺたぺたぺたぺた。

 今は授業中。

 そんな中を抜け出して走って来る奴がいる。

 トイレに至るまでの道、全てを知り尽くした――俺ですら認める程のランナーが走って来る。

 きっとあの日から何百何千と、あの日の出来事を繰り返しているんだろう。このトイレに駆け込んで、用を済ませて。

 そして――拭き残した残骸の存在に気が付かず。

 より一層心を閉ざしてしまった、あの日の出来事を。

 俺が立っているのは、彼の復路の最中だ。急いで授業に戻ろうとしているあの子を待ち構える。

 延々とあの日の記憶のままで、繰り返し続ける。哀れで滑稽な子供。


「やあ」


 小学二年生。

 随分と容姿はあの頃と違うけど――それでも分かる。

 きっと俺だからはっきりと見えるんだろう(陸前は知らん。昔の俺に会ったことがあるとか?)。


「なんだ、挨拶くらいちゃんと返せよ……まあ、そんな感じだったな。君は」

「……え、お兄ちゃん、僕のこと知ってるの?」

「ああ。ちゃんと知ってるよ」


 雲が切れて、俺達二人を分かつように太陽の光が射し込んだ。




「二年 三組 七番。兼代 鉄矢君」




 名前を言い当てられた昔の俺は、口をあんぐりと開けて驚いていた。

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