第81話

 逢魔が時とは随分とかけ離れたお昼前。

俺は、過去と再会した。

 日差しが射し込み、埃が照り、渦を巻くその奥に居る小学生。

 あの時通り過ぎた子の正体こそ、「本当の」俺の残留思念だ。

 やろうと思えば、こいつの封印はひどく簡単だ。高校生になった俺は小学生の頃より遥かに力も脚も強くなっている。一刀の下に切り捨てればいいだけの話だ。

 でも、そうしない。そうしたくない。そうしちゃいけない。

 遠くに聞こえる、授業の声。先生がチョークで黒板に書きつける音、説明をする声、椅子を引く音、おしゃべりする不真面目な私語。

 それを聞きながら教室に戻る時の記憶は、常に苦かった。

 クラスの一部から向けられていたからかいの眼。後でこうしてやろうというにやにや笑い。今でもはっきり思い出せる、それはそれは苦い記憶だ。

 全てが憎くて。何も希望を見出せなくて。未来なんて何も見えていなかった。こんな体に無責任に生んだ両親すら憎くて、挙句喧嘩までした。小さくて可愛い不良学生こそが、あの日の俺で。

 今日までのこの子だった。


「なあ。兼代君」


 子供には同じ目線の高さになるようにする。同じ目線の世界は、まさにあの日あの時と同じだった。辛い記憶ばかりだった小学二年生の視点で見るこの小学校は、懐かしくも恐ろしかった。何もかもが俺を馬鹿にする怪物のようにさえ思える。


「聞いたよ。何でも、お腹が弱いんだってね。それで……。クラスから、いじめられてるんだってね」

「う……」


 あの日の兼代は、少し後ずさった。


「だって、仕方ないだろ」

「僕の体は、失敗したんだから」

「神様が、作るのに、失敗したんだから……」


 ああ、そうそう。こういう思考だったな。

 今聞くと、思わず笑わずにはいられない。

 懐かしいなって。


「ああ、分かる。分かるわそれ」

「何がだよ。お兄ちゃんだって、みんなと同じだ。笑ってるもん」

「俺もだ」

「え」

「俺も腹弱くてさあ。多分、君よりずっとさ。ハハ、さっきだって、女の子にアホ呼ばわりされちゃったしさ」


 明らかに目の色が変わった。

 え、この人も? こんな言葉が聞こえてきそうだ。――まあ、そうだな。あの頃は、自分だけが不幸だし、こんな体質自分だけだって思ってた。

 いかにも視界が狭い――子供らしい考え方だけど、それがこの子の世界なんだ。


「僕達同じ……? お腹が弱い……ウンコマン同士だね」

「……ああ、そうだな。俺もお前も、そうだな。ウンコマンだ」


 小学生だからか、こんな単語も躊躇なく口にできるんだな。今日だけは特別に、俺も言ってやろう。

 ウンコマン。

 酷い名前のニューヒーローだ。


「ねえ、お兄ちゃん、じゃあ、お兄ちゃんなら、分かってくれるよね」

「何を?」


 そう言うと、ミニ兼代はポケットに手を入れた。そして取り出したのは、俺が小学生の頃に好きだったヒーローのバッヂだった(今でも部屋の隅にある)。


「ね、ねえ、笑わないでね。僕、いつかこいつみたいに強くなって、あいつらみんなやっつけるんだ」

「……」


 空に向けて拳を突き出した。その拳は、俺の胸の奥の深い部分を抉った。


「バカにした奴、みんなみんな、やっつけたいんだ。だから家で戦いごっこもしてて。でもこんなの誰にも話せなかったから、その――」

「兼代君。出来ないんだよ」

「え」


 意外、という風でもなかった。

 知っていたけど知らないふりをしてたことを言われた顔だった。

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