第41話

 陸前の買い物は意外なことに50分程度も費やした。

 買ったのは4、5着で、どれも二人で話し合って決めたものだ。細かい理屈抜きで「似合う」という感覚だけで買ったそれらは駅のコインロッカーに押し込め、俺達は今次の目的地に向かっている。

 陸前曰く・他のお店も見て見たいというのだ。

 すっかり買い物に付き合わされる男になってしまっているが――新しいことに目覚めた人に付き合わされるというのは悪くはない。むしろ微笑ましいくらいだ。

 コインロッカーから少し歩くと、レストラン街に辿り着く。みんな大好きサンゼリア、マルドナルド、コッテリアなどメジャーなものをはじめ、マニアックなお店も展開する空間だ。今はまだまだ朝早いため人がまばらだが、ある場所だけはそこそこ人が集まっていた。


「兼代君、見て下さい。リア充共のエナジードリンク補給所こと、スターバックルコーヒーがありますよ」


 陸前が指さした先には、スタバがあった。店内はそこそこ混んではいるものの俺達二人が座れる程度の空きはあるようだ。


「疲れたか? 休んでいくか?」

「いいえ、別に疲れてるってほどではないんですけどね。ただ……」


 むふー、と鼻息を荒く吐く。


「憧れなんですっ」

「あ、そうっすか。じゃあ入りましょ」


 中に入ると、なるほど。確かにカップルや親子連れ、若い女性のコンビや土曜も日本経済を支えて下さるノートパソコン装備のビジネスマンなど、リアルが充実していそうな方々で溢れている。陸前は無表情のままできょろきょろと周りを見回していて、カッペさん丸出しだ。

 今は注文が途切れているらしく俺達の前には一組しかおらず、すぐに注文が出来る。


「んじゃ、何にする? 俺はもう決めてるから」

「もうですか? 何にするんです?」

「フラペチーノ」


 そう言うと、


「待って下さい、兼代君。ネイキッドで頼むつもりですか?」


 びしっと、右手を突き出されて制止された。


「何だよネイキッドって。そんなのあるの?」

「そんなことをしてはいけません。ギルティです。その罪悪ランクは、高級割烹料理屋さんに入っておきながらカレーライスを注文するようなもの。スタバに来た以上は、呪文を唱えなければいけないのです」

「知らねえよ、何だよそれ?」

「かの有名なネギダク オオモリ ギョク コレ サイキョウ のようなものです。この呪文を使いこなせるか否かで、牛鮭定食が出てくるか希望の品が出てくるか変わると言われるほど、重要なファクターなのですよ?」

「何でフラペチーノが牛鮭定食になんの? このお店そもそも牛丼用の肉置いてんの?」

「周りをご覧ください。私達を店内中の人々が見守っています。唱える呪文の内容を一言も聞き漏らすまいとする気迫が見えます」


 どう見ても俺達には無関心そうである。


「ここでミスすると、囲まれて小一時間問い詰められると噂が立っています」

「なるほど、そいつは酷い噂だな。すぐに忘れてくれ」

「言っておきますが、アンキモ、アンキモ、アンキモ、じゃありませんからね?」

「分かってるよ! ここにアンキモが無いことくらい分かってるからね!?」

「食べ物関連の呪文と言ったらまずコレが出ませんか?」

「その認識は相当に歪んでいる」


 同意出来る人間は世の中のコンマ数パーセント以下だろう。


「とりあえず、兼代君に代わって、ここは私が先行するとします。私がもしも敗北したら、後は頼みますよ」

「あ、ああ」


 俺達の番がやってきた。アーチャーからマジシャンにクラスチェンジした陸前は悠然と前に進み出て、店員さんと相対する。


「いらっしゃいませ!」


 明るい挨拶に対して食い気味に、陸前の無表情なアイズが、きらっと光った。


「フラペチーノ、ニンニクヤサイマシマシアブラカタマリカラメ、です」

「はい、フラペチーノおひとつですね」


 店員さんのスルースキルに救われた陸前はしかし、俺に対してぐっと親指を天に突き出している。

 とりあえず俺は、ネイキッドで頼むことに決めた。






 フラペチーノニンニクヤサイマシマシアブラカタマリカラメと、俺のネイキッドフラペチーノは奇しくも同じ見た目をしていた。だが陸前は大変ご満足な様子でフラペチーノを眺めている。

 店内は俺達が座った4人席で満席になっている。タイミングがかみ合ってくれたようだ。


「これが……これが、あのスタバの。これこそがリア充の血液なのですね。ついに飲む時が来たのですね」

「飲みにくくなったぞ、俺達はヒルかよ」

「せめてドラキュラ伯爵と言いましょうよ、インテリジェンスが欠けています」


 ちうー、とリア充の血液とやらを吸血する陸前。口の中で少し味わうと、心なしか血色が少しよくなった。


「とっても美味しいです」

「そうか。よかったな」

「さすが、ニンニクヤサイマシマシアブラカタマリカラメ。私の戦利品ですから、あげませんよ。独り占めです」

「取らないから、取らないから」


 陸前は大いにこのフラペチーノを気に入ったようで、表情こそ一切変化が無いものの、殆ど夢中になってこれを飲んでいた。気が付けば俺が半分飲み終わる頃には空になってしまった。


「終わってしまいましたね」

「まあ、あんなペースで飲んでたらねえ……」

「うずうず、うずうず」


 擬音を口に出す系女子の陸前はレジに目を向ける。まだ飲み足りないようだ。

 仕方ない。


「陸前、じゃあ俺の飲むか? ネイキッドで悪いけど」

「え」


 ストローは抜いて、陸前のを挿せる状態にしてやる。

 そもそもこのフラペチーノ、よく考えたら俺の体質にはきついものがあるのだ。冷たくて甘くて乳製品、結構なダメ―ジを負わせる代物だ。

 だから、スタバ大好きになってしまった陸前に飲んでもらった方がこいつも幸せだろう。


「……か、かかか、兼代君の、後の、ですか……」

「あ、もちろん、陸前が良ければ、だぞ?」

「……!」


 ガタタタタタタタタ

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ


「な、何だ!? 何で震えだした!」

「か、かかかか、かか、兼代君の、後の、ですか……?」

「陸前―!? ちょっとストップ! お前の震えで椅子がヤバい! 椅子が折れる!」


 陸前は顔色をゴロゴロ変えまくりながら削岩機と化していた。このままでは床に穴が空いてしまうだろう。

 そう思われた時、


「あのー、すいません!」

「あ! すいません! 今こいつ止めますから!」


 店員さんに声掛けされた。注意される。

 慌てて顔を上げたが、そこに居たのは――


「いえ、今、満席でしてー。相席してもよろしいでしょうか?」


 美少女だった。

 その美少女っぷりを見たからか、陸前も削岩機モードを解除して、この美少女を見つめている。

 ぱっちりと開いた大きな瞳。とても人懐こそうで、柔らかな顔つき。ふんわりとウェーブのかかった髪は地毛の黒さだけで野暮ったさが無いのに、茶髪や金髪よりもずっと明るく見える程に手入れされている。

 体は華奢だが胸元は大きく膨らんでいる。纏う服は柔らかい女の子らしさがよく出ているゆったりとしたもので、首を隠すストールがアクセントになっている。香りも信じられないほど女の子している女の子で、この香りが漂っただけでも振り向いてしまいそうだ。

 店内の注目は今、この美少女に集中していた。

 しかしこの美少女は、そんな注目など意にも介さずに、にっこりと可愛らしく微笑む。

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