第37話


 ややあって、俺達の車も駅に到着した。駅前は込み合い、陸前とは少し離れた場所での降車となる。


「本当に、私達に突然付き合ってもらってごめんなさいね。ありがとう」


 位置の都合で降りなければいけない陸前のお母さんは、娘には無い顔の柔らかさで優しく微笑んだ。


「い、いえ、そんな大したことしてないですよ」


 こうも大人に感謝されてばかりだと、こっちまで恐縮してしまう。


「本当は、昨日にでも直接会うべきだったのだけれど、最近とても旦那が忙しくしててね。今日になってやっと無理矢理にでも、時間が取れたの。だからこんな風に強引にしちゃって。改めてごめんなさい」

「え、ええ」


 俺の笑顔は苦笑いだ。

 娘といい、この一家は何かが決定的にズレている家庭なのだろう。忙しいからといっていきなり友人を拷問じみた親御サンドにするなんて。


「確かこれからは娘とお洋服を買いに行ってくれるのよね?」

「はい、そうなってますね。すいません、娘さんを連れまわしたりなんかして」


 くすっと、いかにも可笑しそうにお母さんは笑った。


「いえいえ、いいのよ。あの子、殆ど自分で服なんか選んだりしないしファッション誌も全然見ないんだから、ファッションを学ぶいい機会だわ」

「ま、まあ、そうですね。というか、その、娘さん、いつもあんな感じなんですか? 服とか」

「ああ、あれ? あれ、実は初めて春冬が自分で選んで着た服なのよ! 大切なことだから自分で選ぶっていって! 普段は私に全部任せてるのよ!? あの歳にもなって! もう、おかしいわよね!」


 流石、実の母親だからこその遠慮の無さだ。


「でもね、私、とても嬉しかったのよ。春冬が、そんな風に自分の見た目を考えてくれるようなことがあって。だからあんな風になっても、何も口出しはしなかったの」


 と、お母さんの目元が不意に優しく和らいだ。


「いいえ、見た目だけじゃないわ。こんなこと言ったら、なんだけど。春冬が誰かと遊びに行くっていうだけで、とても嬉しいのよ」

「え、行ったこと、なかったんですか?」

「無いの無いの。昔っから、友達と言えるような友達少なくて。誰にでも無口だし敬語だし。ほんっと、昔っからそれだけは変わらなくて」

「無口なんですか? めっちゃ雑談しますけど」


 雑談というか、正直悪口が多い毒舌家だと思っていたが。

 だがお母さんの返事は、「そうなのよ」の一言。


「だから、車内から見ててとても驚いたわ。あの子があんなに、家族以外の人と話しているの、初めて見たの。あんなに誰かと話すことなんかあるんだって」


 ちらと、お母さんの視線の向きが変わる。その先には、もうすでに駅前に居る娘の姿があった。


「……ねえ、兼代君。頼んでばかりで申し訳ないんだけどね。私からも……いえ。私達両親から、もう一つ頼まれて欲しいことがあるの」

「何です?」

「娘のこと」


 危なっかしいことをしている幼子を見守る母親。娘を見るお母さんの眼差しは、その時のものにそっくりだった。


「あの子、お父さんに似て、うじうじしてたと思えばいきなり動くような子なの。何でも頑張ろうとし過ぎて空回りするし、一人で何とかしようとするし、すっごく危なっかしいの。そのくせ弱いしあんまり成績もよくないしピーマン食べないしテレビのマンガばっかり観るしファムコンみたいなのばっかりやってるし。私達、とても心配なの」


 箇条書きマジックのせいか。陸前が物凄く低スペックな人間に聞こえてしまう。


「でもね。自分も、脱走した魔念人討伐を手伝いたいって、自分から言ってくれたの。頼れそうな人もいるから、任せて欲しいって」

「……頼れそうな、ですか」


 つまり、お腹の具合がいつも悪いから慣れてるだろうってことか? 何だか複雑な気持ちだが、そう言われると頬が熱くなる。


「そう。そしてね、ここ最近のあの子、とっても色んな表情を見せてくれるの。それこそ、私が驚くくらいに。今日も兼代君に話が出来なかった、とか、明日はこうしよう、とか。兼代君に話すことが出来た日なんか、凄く興奮してて病院に連れて行こうかと思ったくらい。私ね、兼代君。魔念人が脱走したのは、日本や陸前家にとってはとても悪い出来事だったけど。娘に限っては、そう悪いことじゃないと思ってるの」


 周りをはばかるように、そっと見まわしてから、


「何て言うか、上手く説明出来ないんだけど。日に日に、大切な何かを、学んでいる気がする。そしてそれは、兼代君。貴方の存在があるから、とも思っているの」

「い、いやいや、それはないっすよ。俺は何も……」

「そういうものなのよ。本人は自覚が無くとも、誰かには大きなことをしている。湖の静かさを破る投げ込まれた小石のように、ね。石には何の気もなくても、生まれた波紋は広がっていくの」


 だからね。お母さんは俺をじっと見つめる。今まで見たことが無いくらい、温かい慈愛が伝わる瞳だった。


「出来ればでいいの。これは私の個人的なワガママ。勿論兼代君がそうしたくないならそれでもいい。子離れ出来ないワガママなおばさんの独り言だと思って、聞いて欲しいこと」


 娘とは、もしもこの事件が終わっても。

 一緒に居てくれたら、いいなあ。なんて。

 いたずらっぽく笑った顔は、まだ見ぬ陸前の笑顔を想像させるほどに若々しかった。

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