第23話

 形容しがたい苦痛、とはこういうものだ。

 まずは下腹を思い切り殴られる、という衝撃――これ自体の破壊力は、ジョグが幽体のせいなのか実はそれほど高くはなく、致命打というほどではなく、命に届くには浅すぎる拳打だ。

 問題は、俺の中。

 上部を的確に撃ち抜かれ、奈落へのフォールダウンを始めさせられる、俺の中のくすみ穢れた盲目のフェンリル。

 それを耐えようとする、肉体と精神にかかる苦痛は――俺を宇宙の真理を垣間見せるかのような衝撃となって現れる。


「ぐ

   あ

 あ

    あ

 あ

  あ

 あ

  !

   !」


 喉から出た俺の声は、自分の声とはとても思えなかった。


「グウハハハハハハハ、まずは一撃! 気分はどうだ、少年よおおおおおおおおおおお!」


 個室から壁をすり抜けて出てきたのは、間違いようもない――ジョグ・インフェルノマーダーの巨躯だった。


「て……てめえ……一体……!? 何で、ここに、居やがる……!?」

「何で、だと? 簡単なことだ、少年よ」


 ジョグは極限の前傾姿勢を取る俺の頭を掴んで無理矢理面を上げさせた。

 もう、腹の具合はいきなりレッドゾーン。ちょんと圧されれば千尋の谷を急転直下は免れない。足元から湧き上がる寒気が、脚を震わせる。


「あの神器持ちには聞かなかったのか? 我らは、我らだ。常に惨劇を経験した怨霊を纏っている」

「……アレを産み出すことも、出来たのか!?」

「無論!」


 そう言うと、ジョグは自分の体の「ほんの一部」を産み落とすように地面に落とす。

 すると瞬く間に誕生したのは、あの「ヒトガタ」だ。

 男子高校生をも一人で拘束出来る残留思念の立ち姿――その禍々しい姿は、俺に別の寒気を感じさせるに十分すぎた。


「あの程度の抑えつけで我らを攻略したつもりならば、笑止! 我らは常に数百の軍勢であり、このジョグ・インフェルノマーダーであーーーーーる! 我らが貴様のような者以外を手にかけぬその理由、まだ理解していないようだなああああああ!?」

「……!」

「手をかける必要性すら無い! それだけよおおおおおお! 今の貴様の仲間共は、既に怨霊に捕らえられておるが、仮に抜け出せたとて何の役にも立たぬ! もしも役に立つとすれば、そう……!」


 ジョグは琥珀のように鈍く輝く目を、男子トイレの「入口」に向けた。

 そして――


「機構解放。コキュウトス、収束形態・「カイーナ」。突貫開始」

「――この脆弱極まりない神器持ち、ただ一人のみ!」


 コキュウトスを解放した陸前が放つ一撃は、昨日のジュデッカとは比べ物にならないほどの閃光だった。

 ジョグに向けて放たれたそれを、この怨霊は――


「ふんぬ!」


 両腕を用いて、叩き落す。

 身に纏う怨霊、その一つすら封印させはしない。

 徹底的な絶望を植え付ける。そんな残虐な意志が、行動には表れていた。


「グウハハハハハハハハ、哀れなものだな神器持ち! 貴様が見込んだこの男の情けない姿を見よ! 神器の覚醒を果たすことが出来ていないようだなあああああ!?」

「……」

「陸前!」


 陸前は相変わらずの無表情だ。

 しかし、内心では相当に狼狽しているのだろう。その証拠にやや息が荒く、ポーカーフェイスがポーカーフェイスとして機能していない。


「兼代君、情報だけ簡潔に伝えます。クラスメイトはほぼ全員、あのヒトガタに捕らえられました。作戦は見ての通り失敗です。そして更にヤバいことなんですがね」

「更に……!?」

「第二校舎を含む学校中の男子トイレの個室の前に、ヒトガタ達が配置されています」

「!」


 学校中のトイレが封鎖されている――というわけか。

 たった一人の大軍勢、という魔念人の性質だから出来る、地味ながら効果的過ぎる完全封鎖だ。


「お前……! そうまでして俺を!?」

「その通り! 貴様のような強靭な精神力を持つ男が心を折った時、より強い悔恨と怨嗟の念を放出する! 新鮮なその念を喰らわば、我はより強くなろう! まさに目覚めの飢えを癒す、極上の前菜に相応しい!」

「くう……!」


 ジョグはもう俺を掴んではいない。しかし、まるでその掌の上を見苦しく走り回っている気分だ。

 生命を持たない全ての障害物をすり抜けてしまうその体。どこに逃げ回っても今のように先回りされて、ユハフトゥ・リジェクトを喰らうのがオチだ。

 もしも今度喰らったら――そう考えるだけで、脂汗が流れる。


「逃げてみるか? 抗ってみるか? それもよかろう。足掻けば足掻いた分だけ、貴様の霊魂はより強い絶望を帯び、甘露となるが故!」

「この……悪趣味筋肉野郎め!」


 俺がトイレに駆け込んで、用を済ませれば――ジョグも目的を喪って、この場を凌げるだろう。しかし今はそのトイレも全封鎖だ。

 ポケットに入れていた神器に手を触れてみる。この絶対的な窮地にも関わらず、反応する気配すらなかった。

 これはもう、どうしようも――


「機構解放。コキュウトス連射形態、「アンティノラ」。連撃開始」


 と。

 背後からの声と共に、無数の針のような矢がジョグの体に殺到した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る