第19話

「あ。えーと……」

「……綾鷹だ」


 そう。名前がぱっと出てこなかったが、つまりは「それくらいの」関係しか築けていないクラスメイトがそこにはいた。

 綾鷹 秀吾(あやたか しゅうご)。少し前までの陸前と同じくらいの接点のクラスメイトだ。赤間と違って、常識的な男の子の範疇で髪が長く、目元が常に隠れがちになっている男子生徒。

 贔屓目に見ても社交的とは言い難く、いつも他のクラスに居る友人とつるんでいて、クラスの人間とはそもそも馴染むつもりすら無さそうな雰囲気からろくに人と喋っているところを見たことが無い。

 せいぜい綾鷹の前の席の赤間が絡みに行って、悉く無視を決め込まれたのが俺が見た限りだ。

 そんな綾鷹から俺に話しかけてくるのは、初めてのこと。異常事態とすら言ってもいいくらいだ。

 もしかしたら昨日の事件で何かのフラグを立ててしまったのだろうか?

 そんな俺の呑気な考えは、一瞬後に砕かれる。


「……お前、何で学校来てんだよ」

「え」


 ジロリ、と。ジョグとは違うベクトルの迫力を持つ目が俺に向けられた。

 空気が急速に冷え込むのを感じる。


「……え、じゃねえよ。お前ちょっとぐらい人のこと考えられねえのか? あいつがまた来て、周りに迷惑かけるってことくらい分かるだろうが。何で来てるんだよ、学校に」

「……」

「……なんかクラスはめんどくせえことになってっけどな。どうせ勝てるはずがねえって、お前、知ってたんだろ? 危険に晒すことになるとか考えねえのか。大人しく家に引きこもって一人で勝手にやられてりゃいいじゃねえかよ」


 綾鷹の嫌悪は露骨で、遠慮が無い。

 それは俺がいかにも「どうでもいい」――いや、それ以上に、自分に害を為す存在としか見なしていないかのような物言いだ。

 だが、言い返せないのは。綾鷹の言葉に正当性があるからだ。

 昨日の俺自身が、まさに学校に来てもいいのかと思っていたからこそ、喉の奥で引っかかってしまっておいそれと言い返すことが出来ない。

 そんな俺を見て、綾鷹は打ちのめした勝利感に浸る――なんて感情すらも抱いてないようで、更に続けた。


「……そもそも大げさなんだよお前。何であそこで我慢すんだよ?」


 ピリ、と。俺の脳に、小さな電気のようなものが走る。

 我慢したのが、何なのか。堪えたのが何なのか。

 それを認識した途端、記憶の渦の中に手を突っ込まれたような気分だ。


「……どうってことねえだろ、やっちまうことなんかよ。大人しくやっちまってりゃあ、迷惑かけることなかったろ」

「オイ。何がどうってことねえって?」


 自分で言うのも何だが、俺はほとほと「怒り」からは遠い人間だと考えている。赤間に対してもジョグに対しても、ここまで脳内が沸騰してはいない。

 綾鷹はそんな俺の心境を知ってか知らずか。なおも変わらないペースで舌を回す。


「……何だよ、言ったろ。大げさだって。そんなのでガタガタ騒ぐなよ」

「――この……!」


 沸点に達し、俺は突発的に腕を振り上げて――

 『後ろに立っていた』、赤間の顎に肘を直撃させてしまった。


「――うえ!? 赤間!?」

「ク……! クッククク。ま、まだ何もしてねえのに暴力振るうたあ、どんどん面白ぇ奴になってくれるな兼代ォ。ええ?」


 俺が知る限り最大の悪徳者は、その愛嬌のある顔だちを台無しにする真っ黒な笑みを見せた。

 手には何故かタンポポの花やおもちゃの角など、100円均一ショップで買えそうなパーティーグッズが複数握られている。


「……赤間、お前俺の後ろで何してた? 何かしてたろ絶対」

「クックク、大したことしてねえぜ? ただよお、修羅場の中でお前の頭にタンポポ咲いたり角生えたら相手はどんな反応すんだろうなあって興味が湧いただけだぜ」

「このサイコパスが!」


 肘がぶつかったことを珍しく謝ってやろうかと思ったが、その必要は無さそうだ。ただの成敗に過ぎない。

 赤間は相変わらず、クッククククと気持ちの悪い笑い方をしながら賑やかな教室に入っていく。邪魔が入ったが、綾鷹と改めて対面をしようとするが。


「あれ」


 拍子抜け。綾鷹はすでにクラス内に入っていた。


「……」


 振り上げた拳の行き場がなくなってしまった――刹那、そう思ったが、急速に冷えた頭は赤間への感謝を告げていた。

 あの時殴ってしまったら、俺は一生綾鷹に対して負い目を背負うことになってしまっていた。「先に手を出した方が負け」という言葉の意味が、ずんと圧し掛かる。

 赤間は確かにサイコパスで、人の不幸を主食に生きているような人間だ。しかしたまにこういうことがあるからこそ、あいつはどうにも嫌いになり切れない。

 人としては最低だが、それはそれだ。

 カタカタカタカタカタカタカタ


「?」


 横から、器用に震える音が。見れば、陸前が小刻みに震えている。

 しまった。ついカッとなってしまった。


「陸前、済まない。うっかり、その……我を忘れたって言うか……」

「済まない、と言うのは私の方ですよ、兼代君」

「え」


 陸前は目を逸らした。

 後ろの騒ぎが遥か向こうに行ってしまったかのような感覚が身を包む。

 これから何か、重大なことが起こる気がする。そんな予感が胸によぎった、その時のことだった。


「はいよ、そこまでそこまでだよ。リッチー」


 この人がいれば、何もかもを解決してくれる。そんな未来の世界のネコ型ロボットにも等しい安心感を与えてくれる声の主が、陸前の横に回った。


「……百目鬼さん、何ですか。今ちょっと覚悟チャージをしていたのに、チャージキャンセルをするのですか」


 覚悟チャージって何なんだ。タメ技タイプなのかこいつ。

 しかし百目鬼は意にも介さず、何故か発生している濃いクマに覆われた眼をにっこりと笑顔の形にする。


「リッチーの覚悟チャージ長いでしょ? もうちょっと後でいいんじゃないかな。とりあえず今は早くクラスに戻りな。兼代君防衛作戦の説明をするらしいからね」

「説明だって? 百目鬼は参加してないのか、会議?」


 そう言うと、百目鬼は虚ろな笑い声を出した。


「したよ、少し。でもね、ダメだった。話を聞いてもらえるって言うのがいかに贅沢なことかが分かったよ」

「あ……ああ……」


 この聖人をここまで憔悴させるとは、どこまで暴走していたんだウチのクラスは。全員が世紀末の住人になってやがるのか。


「あ、ちなみに誤解しないでよ。このクマはそのせいじゃないからね。その程度じゃあぼくをどうこう出来たりはしないよ」

「……一体何があったんだ。大体予想できるけど」

「姉さんとサシで敵について会議してた。地獄だったよ」


 やっぱり出た。百目鬼の姉さん。本当にどんな怪物なのかが非常に気になるところだ。


「ま、それはさておき、クラスに行こう。近寄りがたくはあるけど。みんな待ってるよ」

「ああ……」

「どうしたんだい? 何か元気が無いけど、大丈夫かい」

「いや、何でもない。大丈夫だ」


 かくして、ちょっとの心配と大きな禍根を残して。俺はクラスへと入っていった。

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