第二章 「トイレへの狭い道の前をのろのろ歩かれる」
第12話
ジョグ・インフェルノマーダー襲撃事件を受けた学校は、今日一日のお休みとなった。なんでも、ジョグ襲来から間もなくして訪れたマスコミの対応、そして一時的とはいえ囚われの身となった生徒の心身を考えてのことらしい。
とはいえ、心身の逞しい殆どの生徒にとってはこれは嬉しいボーナスタイムである。今日の休校を聞くや否やスマートフォンを開いて、他所のクラスの友人に遊びの約束を取り付ける姿が散見された。まあ当然のことだろう。みんな年頃の若者達、大いに遊ぶべきだ。
そしてその「殆ど」から漏れている人物。即ち事件の当事者は、二人。
兼代 鉄矢と、陸前 春冬の二人だった。
「まさかあんな重要な場面でトイレキャンセルされるとは思いませんでした。普通ちょっと我慢しませんか、ああいうの」
「いや、無理だろあんなの。俺が何されてたか知ってるだろ? 大名行列しなかっただけありがたく思って欲しいね」
世の中で発生するありとあらゆるイベントで、内心たった一人もトイレに行きたかった人がいなかったとでも思っているのだろうか。排泄行動は人間の機構の一つ。それはいつ起こるか分からないのだから。
しかしそれを理解出来ないらしい陸前は揺るぎない瞳で、目の前のジュースをちゃぽんと揺すって鳴らした。
「それに、大切な話をするんだ。「こういう所」の方がいいだろ?」
俺は周りを囲う、ポップな色彩に彩られた防音壁を見回して言った。
ここは、学校から二番目に近いカラオケボックスの個室だ。何も歌わなくても流れるモニターからの映像の音声は限界まで下げ、学生料金のフリータイムにドリンクバーの注文。それは重要な話をするに相応しい、完璧な布陣だ。
高校生の男女二人がカラオケボックスに入ればそれはもうリンゴが木から落ちる様な自然さで「あ、カップルだ」となるわけだが、別にそういう関係でもないのが何とも言えない。
「まあ、それは一理あると言えますね。相手が相手だけに周りの人にも聞かれたくはないですし、さっさと話しましょうか」
「うん、さっさと話して済むような内容だったらな?」
「そしてさっさと歌いましょう。ちょうど歌いたい曲あったんです」
「優先事項が間違ってるだろお前。大切な話をないがしろにしてまで趣味を優先すんなよ」
「趣味を優先にはしませんよ? 貴方がいますしね。アニメに興味が無い人が居るとアニメ映像をオフにするかどうかの選択を迫られる方の立場にもなって欲しいものですね」
知らねえよ、んなもん。というかこいつアニメ好きだったのか。意外だ。
陸前は暫くカラオケの送信機をいじくり回した後、俺に向き直る。突然それなりに綺麗な子が振り向くとドキンとしてしまうのはオスの本能だろう。
「さて、じゃあ話しましょうか。結構大事な話ですしね、コレは」
「ああ」
「アニメ映像カット機能が付いてないカラオケってどう思います?」
「知らねえよ! いい加減アニメ映像から離れろよお前は! どんだけ普段アニメ映像カラオケに苦心してんだ!」
「それとアニメ映像にしても、なんだかビミョーな場面ばっかり出てくることが結構多いですよね。え、この場面やるんだ、みたいな感じで。謎チョイスです」
「ええわ、んなもん! 俺はアニメは知らねえ! ハイ、アニメ映像の話は終わり! やめやめ! 問題はジョグの話!」
「あ、今送信したので一曲歌います」
「自由か! 自由人か! このお馬鹿!」
俺は無慈悲に演奏中止を押した。
送信機も取り上げてマイクも取り上げ、残されたのはドリンクバーのコップのみという状況を作り上げてやる。俺はさっさと話がしたいんだ。
「はい、じゃあ、話! ジョグの! 神器とかいうのも! あとついでにコキュウトスがどうとかってやつとかも、全部! な!」
「全部、ですか」
「そうだよ!」
ああ、疲れるなあ、やっぱりコイツとのやり取り。何なら百目鬼を連れてくるべきだったな。
兎にも角にも、遂に分かる。分かるはずだ。色んな事が、今ここで。
「……」
「陸前?」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
10分後。
「ドリンクバーのジュース混ぜ何種類までやったことあります?」
「10分待たせて出た言葉がそれかこのお馬鹿!」
一体何なんだこの人は! めんどくせええええええ!
っていうか、ここまで露骨だと、もうアレしか考えられないな、この人の無駄な雑談好き。ここまで不自然だと、百目鬼じゃなくても理解出来た。
「お前、何か引き伸ばそうとしてないか? 重要な話」
「ぎくり」
言った。
無表情で、ぎくりって言いやがった。この人。
沈黙は数十秒。俺が見つめている間も陸前は無表情を保っていたが、やがて。
「だ、だ、だ、だって、仕方ない、じゃない、ですか」
カタカタカタカタカタ、と。
無表情のままで、まるでミシンのように震えだす。
……え、何だこれ? 何が起こった? 俺は何のスイッチを押したんだ?
「い、色々、考えちゃうじゃないですか。こ、こここ、断られたらどうしよう、とか、その、色々色々。だ、だからその、心の準備とか、めっちゃくちゃ必要でしょうに。そ、そんな気軽に、言えるものじゃ、ないでしょうに?」
「わ! わわ、分かった! そんな震えるな、分かったから! な!?」
無表情で震えまくっているものだから、その光景ははっきり言ってシュールだ。手元のジュースも零れる一歩手前で情熱的に乱舞しまくっていて、撥ねた水滴が手首にかかっている。
しかし、これで何となく色んなことに合点がいった気がする。
つまり陸前 春冬という人間は、ヘタレ気質で引き伸ばしの癖があるわけだ。
きっと、俺にした質問も、本当はもっと早くにするつもりだったのだろう。しかしその反応を恐れるあまり、あんなにも引き伸ばしていたわけだ。それこそ、数日も。
あの無意味にも思える雑談下校の日々は、そういう意味があった、というわけだ。
……そしてこの事実は、結構洒落にならない事態まで予想できるわけだけど。そこは今は考えないでおこう。
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