第5話
「ああ、もう到着してましたね。じゃあこれでお別れですね、さようなら」
「ああ……」
もう6回も見ているはず。それでもなお「この家」の存在感は、別れの挨拶を雑にするほどのものを持っている。
日本風邸宅の究極系――そう言えばいいのだろうか。平城を少しスケールダウンしたくらいの大きさの本丸に、二の丸、三の丸、茶室や蔵と、そのまま観光名所だと言っても十分に納得出来るだけの規模の御宅である。門にはもちろん門番さんまで完備、こっちを見ていなくとも、心眼で俺のことを注意深く監視しているのが直感で分かる。
こんないかにもな良家のお嬢様が、いきなり俺と一緒に帰ろうと言い、日々雑談に耽る。考えてみれば俺はかなり特殊な状況にいるのかも知れない。
「じゃあな」
陸前とはここでお別れだ。こんな貧乏人があんまりお嬢様の家の前をうろついていると、衛兵やら足軽やらが出てきてしょっぴかれるかも知れない。そんないらないトラブルはまっぴらごめんだ。
謎多きクラスメイト・陸前 春冬との6月12日は、こうして幕を閉じる。
普段のパターンなら、そのはずだった。
「ちょっと待って下さい。最後に一つ、訊きたいことあります」
細腕が、閉じ行く幕を強引にこじ開けた。
ここで声をかけられるのは初めてのことだ。何だろうか? さっきまで特に何もなかったのに。
振り向けば陸前は、いつもの無表情。何も読み取れないいつものパターン。
そして、陸前は――
「貴方はもしも自分がやられそうになったら、どうしたいですか?」
「え?」
「諦めるか、逃げるか、若しくは、戦うか。どれを選び取るのか、訊きたいのです」
何なんだ、いきなり?
実際、そんなの知らん、と言うほかない。こんなのはケースバイケースだと思う。相手や状況にもよると思うし、何より俺の場合はコンディションが大きく絡む。男ならここで「戦う」一択の質問なのだろうが、ここはあえてカマをかけてみよう。
「何でそんなことを?」
「質問に答えて下さい。選択肢は三つです。それ以外の回答は、全部この言葉にループしますから」
「うわめんどくせえ!」
思わず心眼で凝視しまくっている門番さんに助けを求めたいところだ。しかしこの人達はただ突っ立っているだけで俺の様な野郎に手を貸す様子はまるで見せない。
仕方がない。こういう時は、一番気に入りそうな回答をするのがベターだ。
「そうだな。まあ、戦うよ。きっと、な」
少しの保険をかけての回答は、きっと陸前が一番望んでいたものだろう。きっとそうに違いない。
しかしそれを提示された陸前の反応はと言えば、
「じゃあ今度こそさようならです」
「反応一切無しですかそうですか」
マジで何だこの人は。本当に時間をすっ飛ばしたんじゃないのか。
そうして俺は、今日この日の陸前との時間を終了するが、この時は知る由もない。
俺のこの返答が、後に。俺に最大の苦痛を招くことになることを。
6月13日がやってきた。
「へー、リッチーちゃんがそんなことを? ハハ、相変わらずだねーあの子」
僅かにまだ数人しかいないクラスの中で、百目鬼が子供を見守るような視線を陸前の席に向けていた。
陸前はいつも時間ギリギリに登校することを強いられているかのように滑り込んでくるため、あの人の話をするのはこの時間帯がベストなのだ。
俺が知る限り、百目鬼 灯というコミュ力の怪物はこのクラスの人間全員と接点を持っている。常に独りでいる陸前の話が出来るのも、この人くらいだ。
もっとも、この人が陸前と一緒に帰ってる俺を一切からかわないという大きな安心感が一番大きいのだがそこは秘密だ。
「本当に何なんだろうなあいきなり……っていうか陸前は色々急過ぎるんだよな」
「そうだねえ。何と言うか、人とのコミュニケーションに慣れてない感はあるよね。ぼくの妹もコミュニケーション苦手だから何となく分かるんだ」
「へえ、意外だな。っていうか妹いたのか」
「いるよ。ぼくのとこは三姉妹さ。ぼくは次女だから色々苦労するよ」
こんな姉を持ってコミュ力がつかないとは。人間とは不思議なものだ。
「でも、コミュニケーションの仕方が特殊なだけで、基本的には良い子なんだよリッチーは。そんな質問をした理由も、きっとそう悪いことじゃあないんじゃないかなあ」
「うーん……そうなのか? 陸前てリアクションらしいリアクション皆無だから重要度とかそういう大事なの分かんねえんだよなあ」
「ぼくの姉さんよりは分かりやすいから大丈夫さ」
つくづく思うがこの人の姉さんって何者なんだ。ちゃんと人の姿をしてるか心配だ。
話が少し逸れたところで、ガアと小さな車輪が鳴る音。朝早くから、誰かがこの教室に入ってきたらしい。自然と俺達は誰が入って来たかを確認し、
「あれ?」
「おや」
陸前 春冬を見つけた。
相変わらずの無表情で、誰とも挨拶を交わさない。自分の席につくと、そのまま本を読み始めた。
いつもなら時間ギリギリに滑り込んでくるはずなのに。
「おかしいよね」
「ああ、おかしい」
奇妙な質問をしたその翌日に、奇妙な行動を取り出す。奇妙の足し算、不自然そのものじゃあないか。
「これはやっぱり本人に訊いてみた方がいいんじゃないかな? リッチー、ああ見えて結構引っ込み思案だから、何か機会をうかがってるような気がする」
「機会を?」
「うん。だって、そもそも見てよあの本の中身」
この距離ではそうそう本の中身など見えるものじゃない。
しかし「それ」は、この距離でもしっかりと分かった。
鏡だった。
「反射してぼくらを見てるよあの子」
「こええ!」
「しかもちょうど君を見てる。君に用事があるんだよ、行ってあげな。とりあえずぼくは離れた方がいいみたいだ」
「一人で相手をしろと?」
「男女はいつでも一対一がベストさ……ん?」
このタイミングで、百目鬼のポケットからバイブレーションの音が鳴る。18ビートを刻むような情熱的な振動の仕方で、百目鬼の顔が露骨に曇った。
「ごめん、ちょっと出る。姉さんだ……」
「ああ……が、頑張ってな」
「ハハ、今度は何だろうね、あの人……はい、もしもし。妹だよ」
出てあげるだけお優しいと思うのは感覚の麻痺だろうな。お疲れ、百目鬼。
「何だい今度は……え? 大群? 何、イナゴの話? え、向かってるって、何がさ。逃げろ? ちょっと姉さん、よく分かんないんだけど……話すと長くなるって、姉さんちょっとねえ……少ししたらかけ直すから、そこでまた改めて話そう、ね」
大群? また何かわけのわからない話をしているのだろうか。百目鬼は電話を切ると、小難しい顔で思案に暮れているような顔を見せる。
「何だろうな、姉さんは。また下らないことだろうけど……。ああ、お待たせしたね。じゃあ改めて、行ってみようか。一体何があるのか、質問の意味とかを……」
「ちょっと待った」
離れかけた百目鬼の肩をぐっと掴んだ。
この人はどうやら、俺の「性質」というものをちょっと忘れているらしい。
「すまん、その前に何だが……」
「なんだい?」
「緊張したからだな。トイレ行ってくる」
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