第4話
「さあてっとォ。んじゃそろそろ俺も戻りますか。えーっと、兼代ォ。次の時間何だっけ。道徳?」
「お前未だに小学生の感覚なのか? 物理だ物理」
「物理かよ。チッ、じゃあ安斎先生じゃねーか、めんどくせ。ちょいと2組まで調達に行ってくるわ」
「お前2組に友達いたっけか?」
「いるはずねえだろ。置き勉してる奴の机漁って来るんだよ」
ただの犯罪予告だ。そういうことしてるから友達いないんだよ。
「じゃーな。次もトイレ行くんだろ、どーせ。期待してるぜ」
「行かねえよ流石に。もう行ってきたんだから」
「どーだかなァ」
こんな気怠くIQの低い会話も、この時間は終わりだ。去りゆく悪友(悪人の友人)の背中を眺めつつ、俺はさっき自分が言った言葉を反芻する。
未だに小学生の感覚なのか、か。
自分の腹に手を添えるのは、無意識にも近い。
「あの頃」は、こんな風に普通に何の生産性も無く、だらだらと、悪友とは言え友人と過ごし、クラスメイトから色眼鏡で見られない生活が出来るだなんて、思いもしなかったものだ。
そんな日々も、今となっては懐かしい。
高校生――人間関係もシャッフルされ、あの頃よりずっと大人になっている今では理解ある同級生に恵まれ、平和な生活を俺は送ることが出来ている。
ちょっと体質は不便で、人とは違う。
それでも毎日、平和で何の変わりも無い、平穏な日々。
その事実が愛おしく、何とも口元が緩むような気ぶ――
「……………………」
いや。ちょっとだけ訂正する。
今は。最近は。そんな生活に、少しだけ変化が起きている、と付け足しておこう。
油断している間に視界に入っていた。だから、その視線に気が付いてしまった。
俺の席からは遠く離れた、廊下側の一番前の席の女子生徒。
陸前 春冬(りくぜん しゅんとう)さんが、監視カメラのように無機質な目を俺に向けているのである。
「さあ、兼代君。一緒に帰りましょう」
全ての授業が終わった後、帰りのHRの終了時。
陸前さんは、席が遠いにも関わらずに真っ先に俺の元へやってくる。まるで今この時を待っていた、とでも言わんばかりの速度で近づいてくるその姿は、俺の逃げるという選択肢を真正面から叩き潰すに足る迫力を持っている。
そしてその迫力は、この人の鉄面皮も手伝っているだろう。
陸前さんは恐ろしいほどに表情が無い。皆無で、絶無。このクラスで一番というほどではないが見事な容姿をしていて、さらりと伸びた黒髪のストレートが魅力的なのに、その魅力を完膚なきまでに打ち消しているのが、この鉄面皮だ。
装飾品の類も髪に小さな弓と剣のヘアピンをしているくらいでそっけなく、スカート丈も普通の生徒より長めと、何と言うか近寄りがたい印象を与えてくる。
そんな人が急速接近して来る圧迫感は、もうお察し下さい、というレベルだ。
「お、おう、ちょっと待ってくれ。鞄を背負うからな」
「グズいですね。私が来ることはもう予測できている頃でしょうに、何で最初から用意していないのですか。私などHR中にはもう鞄を背負ってましたけど」
「どんなせっかちなんだよ!」
「そんなせっかちです」
俺が準備完了するや否や、俺の腕を躊躇もなく引っ掴み、そのまま俺を引っ張るように先導する。
「ちょちょ、陸前さん、早い! 早いから、足!」
「喧嘩っ早さを発揮されるよかマシでしょうに。いいからさっさと帰りますよ」
俺は体質柄、部活動なんかまともに参加できるような人種ではないと分かっているために、帰宅部だ。強引に連れ出されることは問題ないが、いかんせんこの人は全ての過程を無駄だと考えているような速度で引っ張り続ける。
校舎を出て、学校の敷地から出れば、人のことを水あめかトレーニング器具でも思っているかのような引っ張り地獄からは解放される。刑期数分間の肉体へのダメージは馬鹿には出来ない。
そんな俺のダメージを一切気にする様子も見せず、この人は言う。
「では帰りましょう。兼代君」
「あ……ああ」
陸前さんがあれほど強引に俺を引っ張り出す目的は、本当にたったこれだけなのだ。
陸前さんは魅力的な表情こそないが、その美しさは百目鬼にも劣らないほどだ。実際、圧倒的なコミュ力を発揮する生まれながらの聖人体質の百目鬼とは正反対なこの人は、赤間の話だと(つまりあまり信用出来ない)クラスの男子から常に一定以上の羨望を受けている、とのことだ。
そんな陸前さんに、向こうから一緒に帰ることを持ちかけられる。
これは思春期の男子としては喜ぶべきことなのかも知れないが。手放しで喜べない理由があるのだ。
「ところで兼代君」
「何だ? 陸前さん」
「私達、話し始めてもう6日も経つのですから。そろそろその「さん」付けはやめませんか」
「それ、常時敬語の陸前さんが言う?」
「言います」
それは。陸前さ……いや。陸前との歴史が、たったの6日間しか無いということ。
俺と陸前の関係の浅さを語るとするなら、それはそれはお皿に張った水のように浅い。前のクラスで一緒だったわけでもなく、背の順に並んで隣同士、だったということもない。暴漢に襲われているところを助けたわけでもない。家が隣近所かと言えばそんなわけでもなく、普通に町一つを隔てた位置に互いに住んでいる。
そんな二人同士だったのに、陸前はいきなり一緒に帰ることを申し出てきた。それも、まるでそれが当然のことであるかのような確信に満ちた歩みで近づいてきて、手を差し伸べて、
『さあ、一緒に帰りますよ、兼代 鉄矢君』
唐突、というレベルではない。
急に前世の記憶が蘇ったとか、そういう領域の話だ。
俺は最初はもちろん疑いまくった。変な商売に手を染めているとか、変な宗教にハマってしまったとかなのかと思っていたが、この人がする話といったら、もう。
「ところで兼代君、知っていますか? 世界各国の人口って、それぞれ全部3の倍数で割れるんだそうです。それも常に出生と死亡の繰り返しで、でぴたりと合っているんだとか」
「そうなのか? それは知らなかったな」
「まあ、嘘なんですけど」
「……やっぱりか」
「嘘を嘘と相変わらず見抜けないようですね。哀れなことです。ああ、そういえば昨日テレビで言ってたんですが、人工的にツチノコを作り出す実験の途中で、ビッグフットの頭を持ったモスマンが誕生したらしいですよ。ユーマどんぶり、一挙両得ですね」
「何が得なんだ? そして何でいきなりそんな信憑性の無い話にランクダウンしたんだ?」
「貴方の情報リテラシーに合わせて下げてあげました。おめでとうございます、私の中で貴方の情報リテラシーはデスオカマレベルだったので、ランクアップ出来ましたよ」
「人の雑談を勝手に伏線にするな。っていうかデスオカマって実在してんのか?」
「パズルゲーにいるらしいですよ。私が今考えたんですが」
「あっそうですか」
陸前から何か重大な話をされたことは、皆無である。
することと言えば、こんなひたすらにどうでもいい雑談ばかりだ。しかも妙に俺を傷つけるようなフレーズが多く、じわじわじくじくストレスを蓄積させて来る毒を持っている。
結局だらだら、こんな会話を続けながら俺達二人はひた歩く。陸前がひたすら展開するどうでもいい会話を流れ作業で受け流していき、踏切を超えて駄菓子屋を超えて、宝くじ売り場を超えて銭湯を超えて。
気が付けば、陸前の家までたどり着いていた。
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