第3話

「おいおい、兼代ォ。今回のトイレのタイム、いつもより2分も遅いぜぇ? サボってたんじゃねえだろうなあ、クッククク」


 2時間目の終わり。つまりはトイレに立った授業の終わりに真っ先に俺の席に来たのは、赤間 龍一(あかま りゅういち)だ。

 余りにもいつも通り過ぎる来客には、適当に返すに限る。


「お前わざわざ平均値を出してたのかよ。そっちのがサボりじゃねえのか?」

「ハア? そいつあ心外だねえ。これが俺の最近の生きがいだってのに」

「人のトイレの時間測定を勝手に生きがいにするんじゃねえよ!」

「冷たいねえ」


 全く反省の色を見せないこの「男」は、クックククといつも通り、悪の宰相もかくやという笑いを見せた。

 しかしそれでもこいつの「魅力」が衰えないというのは、腹立たしいながらも流石と言うほかない。


「なあ、いいじゃねえかよ。俺みたいな可愛い子にトイレの時間測られてるなんて興奮しねえのか?」

「お前みたいな変態じゃないんでな」


 そう言った赤間の顔は、うん。

 やはり何と言うか、どう見ても。女そのものだ。

 赤間 龍一という男。もう一度念押しをするが「男」の最大の特徴は、その容姿にある。完全に女のそれなのだ。

 胸が無いのが不自然なくらいに可愛らしい女の顔であり、身長も155センチ程度と小柄。しかも本人が髪を伸ばしてしっかりケア、ヘアピンまでして、完全に自分を女扱いしているのだから、手に負えないくらいに「女の子」。世の中には男の娘というジャンルが存在しているのを風の噂に聞いたことがあるが、その言葉がまさにぴったりと当てはまる。それこそがこいつだ。

 もっとも。


「あー、そーいや変態っつえばよー? 昨日、また別のクラスの男に告られちまったよ。男言葉な女の子可愛いですっつってさあ。ハッ、アイツマジで俺のこと女だと信じて疑わねえんだな、困っちまうよなあ」

「じゃあ男らしくする努力しろよオカマ。何で女らしくなる努力ばっかしてんだよ」

「面白ぇじゃん? 人の心かき乱す程面白ェことはねえよ」


 魔界とかで何かしらの役職に就いていそうなこいつの性格で大体の魅力は相殺されているために、本気でそのテの相手に狙われたりはしていないらしい。一回くらい痛い目に遭っておくべきだとは思うんだが。


「あー、しっかし暇だよなー。なーんかいっそテロリストでも学校にこねえかなァ。お前、テロリスト学校に来た時のシミュレーションって考えたことある?」

「あるに決まってるだろ。誰もが通る道だろ、それは」

「だよなー。俺は真正面からバシーって行くのがベストだと思ってんだけど、お前どーよ」

「俺はこっそり外に出て、横からぶん殴る計画」

「ハッ、何だそれダッセエ。もっと正面からインファイトしよーぜ、男なら男らしくよォ。男の勝負はインファイトって決まってるじゃねえか」

「まあ、そこはおおむね同意出来るな。お前が男なのに女らしくしてるところ以外は」

「ファッションってのァ、自分のいいとこ引き出すためにするもんじゃねーの?」

「いいこと言ったと思うなよ」


 ああ、なんて生産性の無い下らない会話だろう。

 しかしこの脳みそを一切使わないで話すIQの低い内容、俺は嫌いではない。


「おうい、話し中済まないね、お二人とも!」

「んん?」


 脳みそに悪い会話をぶった切るように、はきはきとした声が後ろから。

 そうか、忘れていたことがある――。不機嫌な目つきで相手を見上げる赤間に対し、俺は素早く振り向いて後ろの人物に応じた。

 いかんいかん、「来させて」しまった。


「ちょっとだけ相手をしておくれ、兼代君。はい、さっきの時間のノートだよ!」


 今度は正真正銘の女の子。

 赤間とは正対照を往くような女子生徒が、自前の黄色い大学ノートを手にして俺の後ろに立っていた。

 身長は170を優に超える長身で、その体つきは高校生徒は思えないほどのナイスバディ。しかもそれに加えて、整った顔立ちと滑らかな肌、ぱっちりと大きく開いた、キラキラ星のように輝く瞳までがセットになってしまったという、やりすぎ感すら漂う圧倒的美少女。

 同級生・百目鬼 灯(どうめき あかり)。

 俺がトイレに立つと、いつもノートを貸してくれる人物だ。


「ご、ごめんな、来させちまって。こいつがなんか絡んできてさ」

「アア? 言い訳すんじゃねーよハゲ。お前が来いってトランシーバー使ってきたんじゃねーか」


 こいつの中では俺の通信手段はトランシーバーで止まっていたのか。

 俺の無礼に対して百目鬼は、ハハッと小さく笑い声をあげる。爽やかでしかし柔らかな、人を安心させる成分が入った笑い声だった。


「いいっていいって、そんな畏まんないでよ。これはぼくが勝手にやってることなんだからさ。ハイ! どうぞ!」

「お、おう」


 半ば押し付けるように俺の机にノートを置くと、横に回って今回のページを開き始める。思春期には刺激の強い体を遠慮なく近づけるあたりに、この人の自覚の無さというものが伺える。


「一応解説すると、今回は結構先生の話も重要そうなとこ多かったから、大目にメモしておいたよ。多分この10分休憩じゃあ写し切れないだろうから、帰るまで返してくれれば全然問題ないから! じゃ、そういうことでね!」

「ああ。ありがとう」


 去り際の、心から満足げなにっこり笑顔が、百目鬼という人物をよく物語っているようだ。

 俺は、百目鬼以上の聖人を知らない。美人を鼻にかけることもなくいつも元気で明るく親切で、人の為に動き人の為に悩む。そのうえ容姿端麗で頭脳明晰、運動神経も抜群と来ているのだから、手に負えないくらいの完璧人間。それが百目鬼 灯という人物だ。

 もっとも、

「ん? なんだろ、メール……げっ。姉さんからだ……」

「どうした百目鬼、また例の? 今度はどうした?」

「……きゅうりの育て方について新発見したから、それを丹念に書いてメールしてきたよ……どうやって返せっていうんだ、こんなわっけ分かんないメール」

 どうやら家族関係にはちょっと恵まれていないらしい。百目鬼が唯一顔を曇らせるのは、「姉さん」関連の時だけだ。百目鬼は頭を抱えながら、重い足取りで自分の席に戻っていった。


「チッ。やっぱ俺はあいつ好きになれねーな。声でけえし無駄に響くしよー。疲れないのかねえ、あんなんでよ」


 そんな光属性を嫌う闇属性は、実に不満げな様子だ。ちょうど煙草をかみつぶしているような表情で百目鬼の背中を睨んでいる。


「お前とは違うんだよゲスオカマ」

「何だよそのRPGの敵に出てきそうな。デスオカマみてえな」


 知性皆無の会話は適当に流しつつ。俺は自分のノートを開いて、百目鬼のノートを写し始めることにする。

 百目鬼のノートの完成度は素晴らしく、そのまま教科書に載せることが出来るくらいによく纏められ、クオリティが非常に高いのだ。


「お、兼代! 百目鬼さんのノートか、それ!?」


 そんなことだから、ホラ。寄ってきた。


「あ、ホント! ねえ、次あたしにも貸してよ! さっき聞き逃してた部分あって!」

「俺も俺も! さっきの授業中ずっとしいたけのペーパークラフト作ってたから何も聞いてなくてよ!」

「坂本、お前何作ってんの!? 何で菌類のペーパークラフトなんか作ってんの!?」


 この「2年3組 6月12日の授業 二時限目」の完全攻略本とでも言うべき代物は、不真面目な方々にとっては大変に素晴らしい価値を持つものなのだ。

 これほどの物理的圧力をかけられてしまうと、うっかりと貸してしまいそうになる、が。


「ちょ、ちょっとみんな! 駄目だよ!」


 すっかりと周りを取り囲まれた俺の机上にあった自分のノートをひったくる。

 それは――上空からしか出来ない行為だ。

 自分の身体能力を余すとこなく用いた大ジャンプで強奪に成功した百目鬼は、少し頬を火照らせて俺の周りの人々に宣言する。


「何度も言ってるけど、兼代君はトイレ行ってたから貸してるんだから、それ以外は駄目だよ! みんなのためにならないし、それに何より……」


 百目鬼、ここで一拍置いてから、


「ぼくのノートを大人数で見ないでよ、恥ずかしいから!」

 つまりこういうことだった。

 恥ずかしいなら仕方ない。そんなほんわかとした空気が流れた後、周りを取り巻いていたノートの亡者達は一人、また一人と戻っていくが、その最中に俺に対して「後でこっそり頼むよ、兼代」と図々しく要求して来る輩もいた(よりによってしいたけ野郎坂本である)。全員が去った後、百目鬼がしっかりと俺の方に来て、


「……写し終えたらすぐに返してね、一応。恥ずかしいから……」

「お、おう」


 人間くさい困り顔でこう言ってきた。

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