第2話

 急がないと手遅れになる。

 放置していれば起こるであろう出来事への恐怖を抑え込みつつ、俺は足を進めていた。


「……!」


 無人の廊下を独り。障害物は無い。

 目的地までの距離は、僅かに20メートル。

 そんな恵まれた状況だが、俺にとってはトライアスロンの後半戦にも等しい距離だ。

 額ににじむ脂汗を手の甲でふき取る余裕すらない。

 もう少し。あと、少しだ。

 死神の鎌はまだ首にかかってはいない。

 焦るな。


「……!」


 足を進めているとは言っても、これは実際小走りだ。スピードと防御を同時に発揮できる最高の型である。誰に教わったわけでもなく、こんな両立が出来るように人体と脳みそを設計してくれた大自然には感謝を示したくなる。

 ぞわぞわと下方から襲い来る寒気から逃げるように。

 残り、10メートル。

 9

 8

 7

 6

 5


「……うう……!」


 4

 3

 2

 1


「間に……合った!」


 俺は遂に目的地に辿り着いた! 遂に、俺は全てを許されたのだ!

 この全ての穢れが許される場は、俺にとっては楽園と同じ。もしも知恵の実を喰ってしまっても、絶対に離れたくない場所だ。

 この楽園を、一般的にはこう呼ぶ。



 トイレ、と。

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