第45話「お膳立て」

 ごく穏やかなある一日のことだった。永劫十字路の酒場〈錆びた短剣〉亭で昼間からラルフがワインを飲んでいると、同僚の快活な赤髪の青年、ジェームズが入ってきた。


「こんな所にいたのか? 会うのは初めてかな、俺はジェームズ・マーシュ、お前と同じ対六型部隊のもんだ。隊長からお前と組んで行動しろって言われてる。アリアから聞いたが、お前は何でも防ぐことができるそうだな」


「はあ。そのような……過大な評価をいただいてるようで、ミスター・マーシュ。オレはしかし、本日はどうも前向きに仕事というやつを考えられずにいます。この酒のせいか、昨晩の飯のせいか、あるいは昨今の流行色のせいかもしれませんが」


「そう言うわりには、ちゃんと外套を着て武器も帯びているじゃないか。本当にやる気がないなら家から出てこないはずだろう。ここまで来たなら、あとは獲物を滅するだけでいいんだ」


「問題はそこで……こうして街に出てくる部分のやる気はあっても、ファントムを滅するための行動をとる部分のやる気が欠如しているとオレは分析している次第で。その理由はきっと……この地区の人口密度、もしくは湿度、最近の政治的指標のせいである可能性が高いかと」


 ぼそぼそとやる気のなさを述べるラルフに対してもジェームズはめげなかった。


「よし、そんなに面倒だというのなら、こうしようじゃないか。俺のファントムを使ってここに六型を呼び出すから、お前はそいつを切るだけでいい。目の前の標的に対して数センチ刃を動かすだけだ、それならいいだろう」


「呼び出すとは? そういうファントムをお持ちなのですか」


「そうだ。俺はこれまでにウェスタンゼルスに現れた六型ファントムのうち、何かを無作為に呼び出すことができる。あまり大したものが出てきたためしはないから楽勝だろう。じゃあいくぞ」


 そうしてジェームズが魂魄の嵐を誘発し、目の前にファントムを形成する。

 それは握りこぶしほどの機械で、見た目は計算機のようだった。小さな液晶画面と操作ボタンがいくつかついている。


「なんだこれは? 何の機械だろうな。何かの計測機器か」


 ジェームズはそれをいじくってみる。どうやら、数字を入れるとそれに連動してアルファベットが表示されるようになっている。「三:Li」とか「四十七:Ag」といった具合だ。さらに「範囲」を設定できるようで、「周囲何キロ」とか、もしくは「二十番街」などの具体的住所のように、色々と選択肢があるようだ。


「何の暗号なんだろうな、そしてこの『消失』ってのはなんだ? 無難にこの『一番』で試してみるか。『H』? このHってのが何の略か分からないからなんとも言えないな。効果を分かりやすくするために、ウェスタンゼルス全土からこの『H』ってのを『消失』させてみよう」


 機械を起動すると、低い作動音とともに何かが始まったらしい。しかし、効果を発揮するのに時間がかかるようで「消失中」の表示が出たきり、操作を受け付けなくなってしまった。


「何も起こらないな、まあ壊しても問題ないだろう。こんなオンボロ一個じゃ物足りないだろうし、次いってみようか」


 再びジェームズがファントムを出現させる。今度は、ビヤ樽ほどの赤いネズミが現れた。じっとしていて、まるで眠っているようだ。


「飲食店にネズミとは一大事だ。こいつを駆除すればお前はこの店の救世主だな。ん? こいつには見覚えがある。確か先月だかにトレヴァーが駆除してたやつだ、〈アンチマターマウス〉って名前だったな。普通に切ると五十グラムのアンチマターを吐き出すからって、やつの『目』で息の根を止めたんだった。アンチマターってのが何か知らないが、あれだけ警戒してたってことは相当臭い分泌物かなにかだろうな。駆除するときはさすがに外に出したほうがいいだろう。ほっとくと勝手にそのアンチマターを吐き出し続けるってんで大騒ぎだったが、換気すれば大丈夫だろう」


 もうひとつくらいいっとくか、とジェームズが最後に呼び出したのは人型のファントムだ。そいつは黒い外套を纏った「真面目な委員長」みたいな少女だった。


「この方は見覚えがある気がします……確か我々の同輩のミス・モリソンじゃないですか」


「ああ、そうだ。こいつはジェニーの黒外套ブラッククローク、確か〈ビッグクランチ〉って名前だ。こいつも皆大混乱だったな。さっきのネズミと同じようなもんだ、刺激を与えるとその名の通りビッグクランチってのを誘発するらしい。それも何か分からないが」


「ビッグというからには結構な被害が出るんじゃありませんか?」


「心配いらないだろう。見ろ、この黒外套はさっきから立ち尽くすばかりで何もしないぞ。それに本体のジェニーも大人しいやつだし、きっと大したことないに違いない。第一、これまでに俺が呼び出した中で一番ヤバいやつですら、〈歩行ドリアン〉っていう歩く臭い果物だったんだから。きっと本当に危険な存在は出てこないようになっているんだ。あのドリアンは厄介なやつだったが。じゃあラルフ、さっそくこの三体を片付けるんだ」


 そう言われてもラルフはやる気が出ないらしく、酒を飲み干すとそのまま帰ってしまった。


「まったく困ったやつだ。しかし、あせってもしかたない。ゆっくりと打ち解けるとするか。おやじ、俺にも酒をくれ、強いやつをだ。ああそうだ、こいつにも頼む、〈ビッグクランチ〉、俺の奢りだ」


 ジェームズがのんびりと注文する脇で、〈消失装置〉の画面には「まもなく消失が完了します」と表示され、〈アンチマターマウス〉は急に全身を震わせはじめ、そして〈ビッグクランチ〉は差し出された強い酒を、促されるままに一気飲みしようとしていた。


 ごく穏やかなある一日のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る