第42話「迫る怪物」

 対六十一型ファントム特務部隊。普段市民のみならず同僚からも、地味との評価を受けている兵士たちだが、彼らなしではこの都市は正常に運営できないだろう。なぜなら六十一型ファントムとは、フォウルズ粒子の結合を阻害するという、生物にとって、そして電子機器にとって致命的な性質を持っているからだ。出現頻度は低いものの、これを放置すればたちどころにリンダリアが原初の荒野へ帰すのは想像に難くない。


 その部隊内でも最も重要なのが、上級観測兵ロレンス・タウンゼントだ。この男がいなければ、リンダリアは今月だけで何度崩壊していたか分からない。彼はどれほどの規模だろうと、どれほどの反フォウルズ力場内だろうと、六十一型ファントムを駆除できる唯一の存在だ。


 その日もロレンスは、強大な六十一型の出現を予知し、これをうち倒すために自らのファントムを活性化させていた。

 まだ朝早く、薄汚れたマクドネル探偵事務所の応接室で、長椅子に腰掛けて一服していると、後輩の兵士ローラが買出しから帰ってきたところだった。ここの主でロレンスの上司でもあるマクドネル隊長が「待ちくたびれたぞ、ビールをよこせ」と暢気に言うと、ローラはそれを手渡しながら、街がどうも妙だと告げる。


「この街が妙なのはいつものことじゃないか。オレとしちゃ、このビールの炭酸が抜けきってるなんてことがなきゃどうだっていいがね」


「それが、皆口々に同じことを言うんすよ。『明日がヤバい』って」そう言う彼女の顔も、何か恐ろしいことを考えたかのように青ざめている。


「明日……か」ビールを前に喜色満面だった隊長も、急に嫌な顔になった。


「何かその、よくないことが起こるって予感を得てるみたいで……そういう悪夢で飛び起きた人もいたみたいっすよ」


「そいつはつまり、あれか? 人間の本能が、沈没船から逃げるネズミみたく、危険を知らせてるってことか?」


「そうなんすよ。このままだと明日、ものすごく恐ろしいなにかが本当にやってきて、街をめちゃくちゃにするんじゃあないすか」


「オレたち観測兵ならともかく、シロウトどもが感じる危機感なんざ、老後の貯金と今晩のメニューについてくらいだろ、なあロレンス」


 それに対し彼は「ああ」と相槌を返すのみだった。


 マクドネル隊長の楽観とは裏腹に、正午を回り日が傾くにつれ、人々の明日への恐れは強くなっていった。


 誰だろうと、休日の夜ならば明日が来るのが憂鬱だろうが、今日も明日も平日で、何かとんでもない予定があるわけでもなかった。


 平穏そのもののはずの日常の、ある一日と次の日。その境目が、真っ暗なクレバスのように行く手に立ちはだかっている。


 隕石の衝突、外国の軍事的脅威、太陽フレア、伝染病、そういった予兆はまったくなく、それなのになにかとてつもなく恐ろしいものが、午前零時とともにひょいと顔を出す。そんな気がしていた。


 だから日が沈むころには、誰も明日について話すこと自体をやめていた。恐ろしすぎてできなかったからだ。

 テレビの天気予報は急遽中止となり、そのうち皆が時計を仕舞い、恐怖のひどい者は破壊すらした。

 皆が恐れのあまりに、恐怖から目をそらしている。


 午後十時を回ると、発狂者が出始めた。もう終わりだと叫んでそこらを走り回り、それに触発されてほかの者もむやみやたらと寄声を発して暴れた。少しでも明日が来るのを遅らせようと、西へと逃げる者もいた――ウェスタンゼルスは大陸の西の果てにあるので、船や飛行機で海外へ出たのだ。港や空港がパニックに襲われたあと、船が出尽くしからっぽの海岸から手製のイカダで、もしくはそれすらもなく泳いで逃げようとした者もいた。


 急激に暴動が巻き起こった。市内のあちこちて火の手が上がった。午後十一時を前にして、自殺者があちこちで首を括ったり、銃で自分の頭を撃ち抜いたり、ガソリンをまいて体に火を付けたりしはじめた。


 ロレンスだけは、マクドネル探偵事務所の屋上で、市内の混乱をBGMに、黙って東の空を見ているだけだった。


 午後十一時半。市内はうってかわって、静寂に包まれている。ほとんどの人々は死に絶え、生存者もすでにあきらめの境地で神に祈っているか、恐怖に押しつぶされているのだろう。ローラもマクドネル隊長も他の同僚も、すでにどこかへ去っていった。


 ロレンスは自分のファントムが正常に作動しているのに対し、満足していた。これでこたびの六十一型ファントムも撃退できる。


 よく言われるように「明けない夜はない」。必ず明日はやって来る。それは普遍的な事実であり、確固たる現実だ。


 裏を返せば、決して明日が来るのを止められず、明日からは逃げられないのだ。ただひとつの方法は、明日が来る前に死ぬことだ。


 だから、ロレンスは自分のファントムに――あるもの・・・・を恐るべき怪物と化すファントムに、絶大な信頼を抱いている。


 それが来れば、誰も逃れられない。そして、それは必ず来る。


 ウェスタンゼルスの中でもしかすると唯一稼動しているかもしれない時計を――自分の腕時計をロレンスは見た。


 自分の怪物は眼前に迫っている。午後十一時五十八分四十秒。


 そいつはすべてを飲み込んで、ただ通り過ぎていく。どんなファントムだろうと逃れられはしないのだ。


 ロレンスのファントムの名前は〈明くる日モロー〉、人々が言うように〈明日やって来る何か〉ではない。


 明日そのもの・・・・・・を恐るべき怪物へと変えるファントムなのだ。


 時刻は五十九分を回った。強い風が吹き、何か巨大なものがうなる様な、あるいは軋むような音が聞こえてくる。


 それは犠牲者たる〈今日〉の終端が、迫り来る怪物〈明くる日〉に捕食される音だった。


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