第35話「新人の失敗」
アリアがジークムント埠頭で、心なしか六の目が出る確率が高いように思われるダイスを何度も転がしていると、黒髪で眠そうな目をした、少し年下の少女が現れて、ものすごく接近してきた。到底初対面の人間同士の距離ではなく、ほとんど鼻が接触しそうな程だ。彼女は観測兵の軍服は纏っているものの、武器は帯びていないようだった。
「あなたは? というかすごく近いわ」顔を眼前に近づけている見知らぬ少女にアリアは言った。
「私の名はジャネット・ニューマン。このたびあなたと同じ八十五型ファントム殲滅部隊へ配属された者です。若輩者ではありますが、あなたは私を理解しその意思を尊重するように努力すべきかと存じます」
少女の高慢さと、一向に距離を取ろうとしない姿勢にアリアは辟易した。
「だから近いと言っているでしょう。そして私は八十五型ではなく対六型ファントム部隊に所属しているわ。あなたが実際に対八十五型の部隊に所属しているのか、対六型部隊に配属されたけど愚かにも自分の担当を間違えているのかは知らないけれど」
「アリア、申し上げておくことがありまして」まったく意に介さずにジャネットは言う、「私は学校に行かず労働もせずに暮らしておりましたが、先日両親が何か知らないけど激昂し、働かないなら追い出すという宣言をしたのです。この蛮行により働くというポーズだけでも取っておこうという選択をせざるを得ず、よって部隊に籍は置くものの私は働かないので悪しからず」
「悪しからずじゃないわよ、馬鹿なことを言わないで。それじゃあ何、あなたは労働もせずに給料だけは入手しようって言うのじゃないわよね?」
「働くと言った以上不本意ながら家にいくらかは入金しなければならないので、あなたがおっしゃるように給料のみをいただく形となりますが、ご了承ください」
「ご了承できないわよ。働かずしてお金が入手できるわけがないでしょう」
「それができるのです。それがこの私、ジャネット・ニューマン」
アリアは深いため息を吐いた。なぜこのような人間が生まれてしまうのか。親がここまで相当甘やかして育てていたのだろうか。ここまで成長したあとで一念発起し厳しく労働を促しても、従うわけがない。あるいは、学校教育の現場が崩壊しているためか。もしくは、携帯端末の普及によって、インターネットを低年齢層までもが容易に使用可能となったためであろうか。彼らは経験が伴わずとも知識だけは豊富に得ることができるので、己を過大評価してしまう。いずれにしても、目の前の哀れな少女をどうにかして働かせるのが先輩である己の務めだとアリアは思った。
「ジャネット、ジャンと呼ばせてもらうけれど、まず最初は簡単なところからでいいのよ、何も初めの一週間で伝説的英雄になれと言っているのではないわ。ごく簡単な仕事を、私が一から十まですべて教えるから、やってみましょうよ。それがあなたのためになるのだから」
「なりません。私のためを思うのなら、私に何の仕事もさせず、余計なカロリーを消費させずにいてください。あなた方観測兵軍は、私に給料を与えるだけの装置だと考えておりますので、そのようにしていただければ」
アリアはジャンを海に放り投げようと思ったが堪え、実際に仕事をさせようと思った。
「ジャン、まず私の剣を貸してあげるから、この近くにいる〈ソウルコレクター〉の殲滅をしてもらうわよ。相手はほとんど動かないし危険もないわ。ただ剣で突くだけで消滅する容易な相手よ。それだけでお金をもらえるのだから、実質何もしていないようなものでしょう」
「なぜわかってくれないのですか、アリア。あなたは私の自由意志を無視しようとしています。これは人権侵害です。私は憤慨しました。これは都市の秩序の崩壊です。初日からこのような迫害を受けては残念ながら、退職するしかありません。最悪な先輩に非人道的扱いをされたと言えば両親も納得するでしょう。ではこれをもって辞めます」
あまりの言い分にアリアは呆然とした。「どうしてそこまで働きたくないのよ?」
「私もかつてアルバイトをしたことはあります。だけど私が与えられた仕事をするだけで予期せぬ出来事が起こり、こちらは精一杯がんばっているのに誰もが激怒し、私を非難するのです。あなたはそんな私の気持ちを考えたことがおありですか」
どうやら何か失敗をして、それで嫌になってしまったのだろうか。新人相手に激怒したというその職場の人間にも多少問題がありそうだが、ここまで固持するジャンも手に負えない。
もう勝手にすれば、と言いたいところだったが、一応隊長に幻信で相談することにした。
「アンブローズ隊長。ジャネット・ニューマンというイカれた新人が何もせずに給料をもらいたい、だめなら辞めるなどと世迷言をほざいているわ」
「あの馬鹿の名前を出すな。好きにさせろ」と簡潔な答えが返ってきた。その憮然とした声を聞いて、アリアはなぜか、ジャンを働かせるためにあと一押ししてみようか、という気まぐれを起こした。
「隊長、確かにジャンは最悪だけど、見境なく周囲の市民や同僚を攻撃するタイプじゃないだけまだましとも言えるわ。ここで辞めさせたら彼女の両親に申し訳がないし、本人だって社会復帰が遠のくばかりよ」
「何だとデイ、そいつを擁護するつもりか? 給料泥棒を容認するというのか?」
「使い走りくらいにならなれるのじゃないの? 私が今日倒した超次元オパビニアの目玉を支部に届けさせるから、お駄賃くらい出してあげてよ」
「後悔しても知らないぞ、そいつが荷物を紛失してもな」
アリアはジャネットに荷物を託そうとしたがもちろん断固として拒否、しかたないのでポケットに勝手に入れて、支部の職員に、ジャネットが通る道を見張らせて来たら回収して欲しいと頼み、どうにか初仕事を無理やりさせることにした。
紛失、迷子、やる気がなく途中で荷物を捨てる、などいろんなパターンを考えたが、だめで元々、とアリアは半ば開き直り、帰って寝た。
数時間後、隊長からの幻信で起こされた。真っ暗でまだ真夜中のようだった。
「何、どうしたの?」
「デイ、あの新人とんでもないことをやらかしたぞ。だから俺はよせと言ったんだ」
「やっぱり荷物を紛失したの? それとも支部を通らずにどこか行ってしまったの?」
「違う、何をしたのか知らないが、太陽を消滅させやがったんだよあいつ。本人は『ただ荷物を運んでいただけ、依頼したアリアが悪い』とか言ってるけど大騒動だ、一週間は夜のままだぞ。やっぱりクビにさせておくべきだっただろ」
アリアはやはり本人が言うように何もさせず、給料だけ与えておくべきだったかもしれないと悔いて、二度寝することにした。
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