第28話「国外進出」

 波濤暦二十五年、共和国の西方に位置する大国ラプタニアの帝都ウィルミアで、リンダリア外では初となる第二級ファントムが観測された。

 吹き荒れるトルメンタ波動はすさまじく、ラプタニア帝国内においてこれを殲滅できる勢力は存在せず、ただ翻弄・蹂躙されるのみであった。残された道はひとつ、リンダリアの観測兵に対し、国外派兵を要請することだ。


 これには帝国の民から強い反発があった。

 彼らにとってリンダリアは異界あるいは流刑地のように見られている。その地を訪れるのは相当な物好きか、ファントム――共和国外のそれは大抵、ひどく弱い影響しか及ぼさないが、それでも外国の住民にとっては畏怖の対象である――をその身に宿してしまった不幸な人間だけだ。


 迂闊にファントムを宿した観測兵を招き入れれば、強大な怪異の呼び水となり、最後は東方にかつて存在した古代グラブ文明のように滅ぶのではないか。帝国人の多くはそう考えていた。


 しかし帝都のファントム――〈尖兵ヴァンガード〉と名づけられた――はその勢力を増大させる一方で、女帝アレクサンドラ七世は苦渋の決断を迫られた。

 結局、帝国は共和国との間で〈波濤協定〉を結び、観測兵の一時駐屯を許可することとなった。


 〈尖兵ヴァンガード〉はまもなく除かれたが、その余波で案の状帝都にさまざまな怪異が連鎖的に発生し、関係者各位の必死の努力の結果、千人近くの死者を出したもののすべてのファントムは駆逐された。


 駐屯兵が撤退したのち、帝国人にはさらなる反リンダリア・反観測兵の感情が根付き、結果、わずかでも魂魄にトルメンタの波が見られた者は即座に共和国へと追放されることが義務付けられた。


 以降リンダリアとの国交は半ば断絶し、名実ともに流刑地と貸した共和国に、今日も流刑人が送られてくる――


   ■


 ある日、アリアが出勤しようと、観測兵の外套を羽織り武器を手にして家を出ると、集合住宅の廊下に見知らぬ男がいた。

 シェリルと同じくらいの長身で、アリアと同じか、それよりやや目つきが悪い青年だった。

 彼は空を見ているようだ――空と言っても、アリアの住居は密集地帯ウォーレンと呼ばれる建造物が乱立している場所にあるので、単なる切れ目のようなものだが――アリアに気づいて青年は話しかける。


「こんにちは。隣に越してきたグスターヴ・ヘルシングってもんです」


「こんにちは。私はアリア・デイです」


「あんたは観測兵か? 観測兵は夏だろうと灰色の外套を着て、銃と錆びた剣を持ってるって聞いた。困ったことがあれば相談するように、とも」


「確かに私は観測兵だけれど、困ったことは適切な人に相談して欲しいですね。私は第六型ファントムを倒すのが仕事なので、それに限って言うのなら、時間が空いているときならどうにかするかも知れない、という可能性は提示しておきますが」


「プリンを食うとオレは大爆発を起こす」グスターヴは重々しく言った。「そういうファントムがオレに取り付いたんで、帝国を追い出された。少しばかりのカネは支給されたけど、見知らぬ国に放り出され、おまけに一生プリンを食えない。どうしていいか分からねえ、ひたすら困惑してんだ」


 アリアは彼をじっと見て、「なぜそこまでの悲壮感を漂わせているか私には分からないわ。新しい人生に挑戦するチャンスだと捉えるべきじゃないかしら。何より疑問なのが、一生プリンを食べられないとあなたが思っている点」


 グスターヴはやや苛立って、「いや、何言ってんだあんた、大爆発だぞ? オレはもちろん死ぬし、その威力は周囲五百メートルのものを粉々に吹き飛ばすほどだって話だぞ」


「どんな検査を受けたか知らないけれど、仮にそれが本当だとして、周囲五百メートルは大した威力じゃないわよ、いえ、別に威力不足と貶してるわけじゃないし、威力が足りなければガソリンとか追加の爆薬を用意するとか、いろいろ方法はあるし。国内のランダムな位置に爆発が起こるっていうなら大変だけど、自分を中心なら海とかで食べるっていう手もあるわ。ああ、死ぬのが嫌なのかしら? 少し時間はかかるけど、そういう事情ならたぶん復活できるから大丈夫よ。もちろんプリンを無理に食べる必要はないし。じゃあ私は仕事あるからこれで」


 アリアが去った後グスターヴは困惑し続け、考えた。

 彼女が言ったとおり、これは再出発なのかもしれない。新しい人生。それに挑んでみるべきなのではないか。

 この国は流刑地だと帝国の誰もが言った。悪魔の住処と言う者もいた。

 しかし、今となっては自分の、第二の故郷となる地だ。

 これまでの人生に決別しなければならない。


 そしてグスターヴは熟考の末、プリンを買うために立ち上がった。

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