第22話「空気屋」

 特にファントムも出ず暇な日、アリアが円環商店街をぶらついていると、見知らぬ観測兵から声をかけられた。


 銀髪碧眼、長剣の潮の刃を二本刺した、シェリルと同年代の女兵士だ。

 相手はアリアのことを前から知っているような態度だった。


「久々だなアリア。今日はもう仕事も終わりだろう、これから相談に乗って欲しいのだが」


「それは構わないけれど」アリアは怪訝な顔で言う。「あなたは誰だったかしら」


「冗談はよせ、わたしを忘れたとは言わせないぞ。二年もの間ともに石虎どもと戦ってきた仲だろう、我々は」


 石虎はウェスタンゼルスではこれまでに観測されたことはない。あれは大陸中央の都市アミュレット以東でのみ見られるファントムだ。それに自分が観測兵になってまだ一年も経っていない。そう告げるが相手は食い下がる。


 彼女によると、アリアは大学に行かず、高校卒業後すぐに対石虎部隊へ入り、そこでこの観測兵ドリス・ハイネマンと組み武勇を響かせたというのだ。こことは異なる歴史を歩んだ、異世界から迷い込んだ人物なのか? はたまた騙そうとしている敵性ファントムか。何かあったらすぐ切り捨てるつもりで、アリアは彼女との同伴を承諾した。


 銀貨泥棒の商店街支店へ入り、香辛料がふんだんに使われたグラブ料理を頼んで、生ぬるいビールをいくらか飲んでからドリスの話が始まった。


「じつはわたしは辞めようと思っている。店を出す計画があるのだ」


「出せばいいじゃない」


「今は立地を決めかねていてな。近しい人たちに意見を伺っている。アリアはどこに出店すべきだと思う?」


「まず何の店なのか聞かないことには答えようがないわ」


「確かにそうだ。わたしがこのたび計画しているのは空気屋だ」


「なんですって?」


「空気屋だ。空気を売るのだ」


 アリアはかつて、観光名所の空気の入った缶詰が売られているという話を聞いたことがある。ドリスもそれを考えているのだろうか。


「缶詰? 何を言っているのだ。なぜ詰める必要がある。わたしは空気をそのままの形で提供する自然な形態を考えているのだ」


「具体的には?」


「お客に店に来てもらって、そこで自由に吸引してもらうのだ」


「どこの空気を?」


「それは無論店の空気だ、ほかにどこの空気を吸わせるというのだ? なぜか誰もがこの話になると、手の込んだことを考え始めるのだ。わたしには理解できぬが、どこぞの観光名所のものだとか、清浄さを売りにすべきだとか、そういう話になる。しかしだ、やはり地産地消が一番ではないか、なあ?」


 アリアは無言でドリスを見ながら料理を食べて酒を飲み、


「つまり、あなたの空気屋に来て、そこでお金を払って、その店内の空気を吸って、それで帰るってことなの?」


「当たり前だろう。空気屋なのだから。それがもっとも自然な形ではないか」


 再びアリアは黙考して、口を開く。


「なら、聖カルラ通りあたりはいいのじゃないかしら。中央からのアクセスも便利だし、あそこは逆鱗磁場のせいでストレスがたまっている人多いから」


「おお、やはりアリアもそう思うか? わたしも艦橋区にすべきではないかと思っていたんだ。やはり我々は気が合うな! 思い出すじゃないか、竜石虎と三日三晩死闘を繰り広げたあの夜。〈影道化〉めの裏切り、制裁。石白虎の怒りの火炎で肉体が消滅したこともあった。すべてが英雄的だった」


「さぞすばらしかったのでしょうね。覚えてないけれど」


「見ていてくれ、わたしは立派な空気屋になってみせるぞ、アリア」


「どうぞ」


 その日はアリアはあまり飲まず、調子のいい言葉でドリスを応援して、泥酔した彼女を置いて店を出た。


 ほどなくして実際に聖カルラ通りにドリスは空気屋を出展し、最初の一週間で八千フレイムも売り上げた。お客はここの空気はすばらしい、などと言い、メディアも取り上げ、ドリスの空気屋は大人気。

 しかしその後すぐに、危険なファントムの襲来で艦橋区の空気に大量のVXガスが混じり、観測兵軍も面倒だといって手をつけず、区域まるごとが放棄されて閉店を余儀なくされた。


 その後、またしてもアリアのもとに現れたドリスは、次は好きなだけ店内の床の上を歩けるゆか屋を出そうと目論んでいた。アリアはもちろん無表情で一言、

「出せばいいじゃない」

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