第19話「摘出」

 石鹸工場ばかりが密集している石鹸街を歩いていると、同僚のクラウス・シェンカーと出くわした。狼のようなするどい印象の男で、見た目は三十過ぎに見える。しかしこの男が観測兵となったのは百年近く前である。それでもヒラの兵士のままなのは、彼が不定期に覚醒して獲物を狩るとき以外は、非実在と化してこの世から姿を消してしまうためだった。この百年で彼が働いた時間をすべて足し合わせても、おそらく三、四年ほどにしかならないだろう。


 アリアがクラウスと出くわすのはまだ二回目のはずだ。数ヶ月前に実体化し、その折にともに〈救心嵐〉を滅した。二度目の邂逅は存外に早かったと言うべきだろう。この次が一年後でもおかしくはないのだ。


「アンブローズの野郎は元気か、アリア?」


「元気にカネをばら撒いているわ」


「やつはアホだ」クラウスは淡々と断ずる。「むろん、やつ以外にもアホはたくさんいるけどな。さて、今日は厄介極まりないファントムを倒すぞ」


「それはどこにいるのかしら、クラウス?」


「ここだ。というか、お前に憑いている」


「それはテンペストのこと?」


「黒外套はお前の中でぐっすり眠っている。それではなく、お前の脳みその中に紛れ込んだ器官をどかすんだ」


 アリアは怪訝な顔になった。宇宙人になにかを頭脳に埋め込まれたと証言する人々がたまにテレビとかに出ていて、そのたびに妄想と決め付けていた。しかし今やクラウスは、錆びた短刀で実際にアリアの頭を切ろうとしている。


「私の頭に器官なんて入っていないわよ」


「まあ誰もが最初はそう思うんだ。もちろん無理にとは言わない。ああ、今日はやめておくか。血も出るし痛いし。それよりこれでも食いな」


 そう言ってクラウスはハムカツを差し出した。前から聞いていたのは、クラウスは動きが早く、常人では見ることができないという点、そしてなぜかいつもハムカツを食べているという点だ。アリアはハムカツをもらって二口で食べた。


「ありがとう、おいしかったわ」


「それは良かった。オレのほうも終わったよ」


 そう言ってクラウスは、握りこぶしより一回り小さいくらいの、ごつごつした金属の塊を差し出す。血と、何らかの液体に塗れている。


「それって何?」


「お前の頭の中から取り出した器官」


「え? 摘出は中止じゃなかったの?」


 クラウスは笑いながら、一刻を争う状況だったので騙してハムカツを食べている隙に敢行したと言った。

 さらに、これが埋め込まれてるといろいろ認識に問題が出てくるので、摘出した今アリアの魂魄はさらに強化されるであろうと付け加える。あるいは頭がイカれて死ぬか。


「なるほど、私が見ている幻視はそれが原因だったのね?」


「それは違う。アリアが見ている幻視はたぶん〈パーヘリオン〉によるものだと思う」


 断定的にクラウスは告げた。


幻日パーヘリオン? それはどんなファントムなの?」


「発音が少し違うな。パーヘリオンだよ」アリアには同じにしか聞こえない。「分からない? しかたのないことか。オレは基底現実に常駐していないから、ここの歪みがよく見える。お前らはその中で生きているんだから。お前の名前と同じだよアリア。一文字多いのが正解だ。


 PARHELLIONは大昔に誰かが一文字余計に挟み込んでからこうなった。たぶんローギルあたりだと思うが」


「ローギルって誰?」


「ローギルは失われた神様だよ。オレや、オブザーヴァーや他の現実住まいじゃない少数のやつらしか知らない相手だけど、お前も一文字多く差し込まれた存在だからいずれ認知できるはずだ。パーヘリオンは認識を照らして食う。あいつの体、そこにたどり着くのは無理だろうけど、いざとなればあれ以外のすべてを消してしまえばいいかもな。たぶん、それをやることになるのはお前だと思うよアリア」


 クラウスとアリアは二つ目の太陽を見た。雲に隠れてひどく弱弱しいそれは今や悪辣に見える。

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