第14話

 他人のことをとやかく言う前に、少し前の自分は誰よりも“立派な人物”とはかけ離れていた。

 父は総合商社をとり仕切る現役社長で、母は世間知らずの元お嬢様。曽祖父の代に築き上げた会社を潰すわけにはいかないと、長男である俺は勿論、弟の時宗も幼い頃からそれは厳しく育てられた。勉学から始まり武道や芸術など、彼らの帝王学は多岐に渡り、かつそれらを優秀な成績で収めることを当然とされていた。

 周りの同世代は片手に玩具を持って公園を駆け回っている傍ら、こちらは文具をもって各教室をたらい回しだ。早々に時宗は当たり障りなく手を抜くことに力を入れるようになったが、一方の俺は跡継ぎとして特に力を入れられていたため逃げることは許されず、思春期に入る頃には誰彼構わず当たり散らす醜態を晒していたのだった。

 その荒れようは、今でも時宗が苦言を申す程に散々なものだ。

 これは自己解釈であるが、心を割って話ができるような、小さな頃には当たり前にできる共にふざけ合うような友人が一人もいなかったことも要因のように思う。当然だ、皆が遊んでいる間、自分は他所で大人たちにしごかれていたのだ。その時流行っていたおもちゃやテレビなぞ知るよしもなく、仲良くなるきっかけも時間もなかった。


 中学は父の指導のもと家から離れた名門の中高一貫校へと入学したが、そこで友人が出来るわけでもなく、寧ろそこから少し遠方の風紀の悪い公立中学の奴らと絡むことが多かった。同校には優秀な奴が多く、今考えれば小学生の頃よりもずっと話が合う人間は多かったかもしれない。けれど、親の言いなりになることに強く反抗心のあった俺には、そいつらが愚直かつ自身で考えることを放棄した情けない奴らにしか見えなかった。だからこそ、幼さを残しながらも社会に反発しているような、素行の悪い他校生に惹かれたのだと思う。あいつらも、幼少から武道を心得た他者より腕っぷしの強い俺には友好的で、毎夜家を抜け出しては皆で街をほっつき歩いていた。

 そんな日々を繰り返していれば、学内で悪い噂が回るのもあっという間だった。実際夜中に歩けば絡まれることも多く、頻繁に喧嘩を繰り返していたことが一番良くなかったのだろう。時宗は俺と同じ学校には入りたくないと、家に近い公立中学(ここは実に一般的な学校だった)に進学した。また本来学内テストで簡単に上がれるはずの高校も、あまりに抑えきれない芳しくない風評に大学進学時への影響も考えられる故、父の裁量で他校に受験することとなったのだった。


 そして、結果的にそれは功を成したのだ。

 高校へあがる頃には己の分別も大分しっかりとしていたし、振り返ればなぜあれ程までに他者に攻撃的だったのか自らも疑問に思う。まるでつきものが落ちたかのように真面目になった俺は、誰からも一目置かれるような模倣的な学生になり変わったのだった。もともと荒れていた中学時代も勉学に関して手抜かりは一切していなかったし、運動だって本来の素質と毎夜の軽い運動(決して誉められない行為とはいえ体を動かしていたには違いない)のおかげで同級生の中でも群を抜いて秀でていた。芸術的な知識すら、嫌々ながらも机に座っていた幼少の、その学びが申し分なく発揮されていたのだ。その時になって初めて、苦痛でしかなかったあの日々が如何に己を形作っていたのかを実感したのだった。父は、母は、決して自分たちに無駄な行為を押し付けていたわけではなかった。


 それからは、その評価を違えることなく日々を煌びやかに過ごしていった。中学の頃に絡んでいた気性の荒い友人たちとも、もう会うことはなくなっていた。元より友と呼べるかも怪しいような半端な仲ではあったのだ。あの時はただ一緒になって騒げる相手が欲しかっただけなのだと思う。

 そんな彼らと再会したのは二年生になった秋、ちょうど一年くらい前の頃だ。

 当時付き合っていた彼女、白鳥麗子たっての希望で、その日俺たちは電車に乗って数駅離れた小さな喫茶店に行こうとしていた。なんでもSNSで見かけ、レトロな雰囲気と昔ながらの飲食に、逆に新鮮味があり自身で体験してみたいとのことだった。頬を紅潮させ携帯を手に嬉々と語る彼女は、恐らくその写真を撮ってはまた己のプロフィールに加えていくのだろう。男女問わずにウケそうな事柄には臆せず何にでも手を出していく熱心な姿勢には素直に感服する。ただ一つの問題は、その喫茶店があまり治安の良い場所にあるわけではない、ということだ。案の定閑散とした商店を少し歩いたところでガラの悪い学生に囲まれて、あぁ面倒だ、とため息をついたところだった。


 「アレ?お前、もしかして雅親か?」


 顔を覗き込んで来た学ランの男は、確かに見覚えがあった。というか、よく見知っていた。周りを囲んでいる奴らも見てみれば何人か知った顔があって、そうと分かれば話も早い。


 「なんだー、雅親かよー」

 「最近ご無沙汰じゃんかー、前みたいに遊ぼうぜ?

 「てか隣の、お前の女?ゲキマブじゃん」


 さっきと一転、親しげに次々と話しかけて来たチンピラ共に白鳥は最初こそ戸惑っていたものの、持ち前の適応力ですぐに馴染んでいった。かわいいかわいいと持ち上げられて、そんなことないと否定しつつも満更でもなさそうだ。こいつも大概ちょろい奴だと横目で見つつ、今日は二人で出かけているからと適当に周りを追い払う。


 「なんだよ、つれねぇな」

 「また今度な。今は空気よんでくれって」

 「麗子ちゃん!なんか困ったらいつでも俺ら頼ってくれよな!」

 「ふふふ、じゃあその時はお願いしますねー」


 にっこりと営業スマイルを返せば単純なあいつらはイチコロだ。無駄に大きな歓声をあげて、俺ら(というか主に白鳥だ)は見送られた。また会いましょうねー、と名残惜しそうな声が背中から聞こえてくる。


 「楽しい人たちね。お友達なの?」

 「中学の頃ちょっとな。あんま無駄に絡むなよ」


 そうねぇ、なんて聞いているのか聞いていないのか、濁した返事に眉を寄せた。白鳥の好奇心は異様に高いのだ。碌なことにならないのではないかと直感がそう告げていたのだった。









 「それで、小鳥遊はまだ捕まっているんだな」


 目の前の下級生は時宗の隣でこくこくと頷いて、助けて欲しいと再度訴えてきた。言われなくても自らが行くつもりだ。最初から何まで、全ての責任は俺自身にあることは明白だった。

 彼女の両脇に立つ時宗と篠山は不安げにこちらを見つめていて、当然だ、こいつらは中学の荒れていた俺の姿を知っている。ことによれば小鳥遊を連れ戻すだけで済まないだろうと、よくよく分かっているのだろう。実際取り乱すことはしていなくとも、十二分に頭には血が上っている自覚はある。正直白鳥は勿論、加担した奴らにも穏便に済ます余裕など全くない。


 「兄貴、俺も行くよ」

 「お前はダメだ。現生徒会長が突っ込むべきじゃない」

 「……私は、」

 「三浦はここにいな。怪我してるんだ。先輩、私が一緒に行きます」


 自分の身くらいは守れるし、そう篠山が一歩出てどうしようかと逡巡する。余裕はなかった。だからこそ、一人で行ってしまいたかった。しかしその先は決して良い結果ではないことは、俺だけではなく目の前の二人にも分かっているのだろう。火を見るよりも明らかなその結末は、いっそのこと一人で完結してしまいたかった。だが、既に小鳥遊を巻き込んでいる時点で、もう俺だけの問題ではないことも理解はしていた。


 「……分かった。すぐに出るぞ」

 「オーケーです」


 踵を返して生徒会室を後にする。少し間を空け、後ろから篠山もついてきているのを確認すると進む速度を遠慮なくあげる。ふと、背後より追いかけてくる彼女の片手に何か持っているのが見えて、何を無駄なものをと顔をしかめた。


 「手に持ってるものはなんだ。邪魔になるから置いてけ」

 「あー、これ。美咲から頼まれたらしくて、持っていかなきゃなんです」


 何に使うか全く分かんないけど、と首を傾げながら言う口は全く息切れをしていなかった。体力はそこそこあるようだ。先の自分の身は守るとの言葉は虚言ではなさそうである。

 いつの間に何を用意したのかは知らないが、小鳥遊があの状況で所望したのならば必要なものなのだろう。それならばと頷いて、また少し速度をあげる。

 助けに向かって、小鳥遊の顔を見て、一体何を言うべきなのかは未だ見当がつかなかった。謝れば良いのか、それが果たして正解なのか、それすらも分からない。それでも少しでも早く無事を確認したい、今はその一心しかないのだ。

 どうか無事でありますように、そうあてもなく祈って、ただひたすらに土を踏む。



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