第13話

 確かに、小鳥遊はいつも遅刻手前ギリギリの、朝礼が始まる数分前にようやくやって来る奴だった。それは俺や篠山という親しい友人(と自負をしている)を持っても変わらず、手持ち無沙汰な時間が嫌い、というよりは元来そういう性格なのだと思う。

 けれど春にこのクラスへ訪れて以来、一度だって遅刻も欠席もなかったのだ。ましてや学校に何の連絡も入れず、担任の教師から逆に動向を聞かれるような事態など考えられなかった。

 体調管理には歳の割以上に気をつかう性格であったし、何より彼女の家を考えれば、あの厳格である祖母が無断欠席を許すわけがないのだ。


 「美咲、どーしちゃったんだろ。昨日遊んであげれなかったから、拗ねちゃったのかな」

 「そんな繊細な奴じゃあないだろ」


 俺と同じく担任から小鳥遊の様子を問われた篠山は、俺の後ろにある件の彼女の席に座って寂しそうに窓の向こうを眺めていた。四限も終わって昼休みだというのに、相変わらず小鳥遊は現れない。いつもだったらこいつと二人、背後でうるさいくらいにはしゃいでいるというのに。

 完全にペースを崩しているのだろう、篠山は弁当の隅に収まっているタコの形に切られたウインナーを箸で突つくばかりで口に運ぼうとはしなかった。おかず交換したかったなぁ、なんてぼやいていて、見た目以上に相当ショックを受けているのかもしれない。


 「帰りにコンビニロールケーキの新作買いたかったのに。昨日の夜も、今朝も、さっきも連絡入れたのに返してくれないし……!既読にすらならないんだけど、どーゆーことなの!」

 「いや、俺にあたられても」


 八つ当たりは大変迷惑に違いなかったが、その妙な不安に駆られる心持ちはこちらも同じだった。というのも、小鳥遊は自分から連絡を入れることは少ないが、メッセージに対しての返信は異様に早い人間なのだ。だというのに、俺の様子を伺う一報にもまったく反応はない。どこか抜けているところもあるが、基本真面目なあいつがまったくの音信不通とは。病気にしろ何にしろ、只事でないことに間違いはなかった。

 後ろの席では相変わらず篠山がうんうん唸っていて、こいつはこいつで随分と重症のようだ。

 とりあえず帰りに家に寄ってみよう、そう肩を叩いて元気付ける。絶対いくー、なんて頬を膨らましながら弁当をかき込み始めたので、まぁ、大丈夫だろう。根性叩きなおすとかなんとか、不穏なことも言ってるが聞かなかったことにする。


 「あの、マヤ……、」


 うん?と呼ばれた方に二人で顔を向けると、そこには見知った顔が立っていた。最近まで篠山とよくつるんでいた三人組の一人だ。三人の中では一番しっかりしていたように思う、確か三浦と言った。

 息を切らしているのか、肩は上下して落ち着かない。大きな深呼吸の後、躊躇いを払うようにかぶりを振って再び篠山と、今度は俺の名前も合わせて呼んだ。


 「マヤ、時宗くん、小鳥遊さんを……小鳥遊さんを助けて……!」

 「……どーゆうこと?」

 

 突然声をかけてきたかと思うと、その内容も突拍子もない。

 すっと目を細めて篠山は立ち上がる。何に怯えているのか、ビクリ、と肩を揺らして三浦は、もう一度助けてほしいのだとか細く言った。

 よくよく見ればその出で立ちは可哀想なほどボロボロだった。両袖は土に塗れて茶色く汚れ、腹にはまるで蹴られたかのような足跡がしっかりと残っていた。転んだのだろうか、左膝は擦りむいて赤く滲んでいる。いつも丁寧にセットしているのだろう髪は櫛通りが悪そうに絡んでいて、頬にも複数の小さな切り傷が伺えた。一体何があったのか、サバイバルでもして来たのだと言われた方が納得するようなその姿は、この場ではとても目立っている。


 「篠山、三浦。悪いけど場所変えるぞ」


 どう考えても楽しそうではないその内容を、人前で堂々と話すつもりはなかった。二人の手を掴んで小走りで教室を出る。しかし長い廊下を進むが行くあてはなく、気は進まなかったが目の前にあった生徒会室へと滑り込んだ。二人を振り返ると三浦は左足を引きずっていたようで、悪い、と少し気不味く謝った。こんな気遣いもできないなんて、思っていた以上に自分も余裕がないようである。


 「それで美咲を助けてってどういうことなの。またあんたたち、何かしたわけ!?」


 篠山が詰め寄るように問えば、ついに堪えていた涙は決壊したようだった。三浦は嗚咽をまじえて自分が悪いのだとかぶりを振る。


 「私が白鳥先輩の意に沿わなかったから……。その制裁に巻き込まれてしまって、二人で監禁されて、私だけ小鳥遊さんに助けられて……。だけど、まだ小鳥遊さんは町外れの倉庫に捕まってるんだ!早く助けに行かないと!」

 「……は?」


 催促したにも関わらず、篠山は「ん?」とか「ふぇ?」とかまともな単語すら口に出てこないようだった。最終的にはかいつまみすぎて意味分かんねぇ!と叫んでいて、三浦の襟ぐりを掴んで揺さぶっている。どう見ても怪我人のクラスメイトにそれは良くないと制止を入れつつ、けれど篠山の混乱も尤もなのだと眉を寄せた。

 この学校で白鳥と言えば、白鳥麗子先輩の他にはいないだろう。美人で誰にでも優しく、品行方正であっと目を惹くようなカリスマ性も持っている。生徒にも教師にも人気のある先輩だ。その人の、制裁?監禁?言葉の意味が理解できても、己の頭がついていかない。

 いや、そんなことよりもだ。小鳥遊が捕まっている?


 「えっと、とりあえず三浦。小鳥遊の家には連絡入れてる?」

 「携帯を……失くしてしまって。急いで走って、家よりも学校の方が近かったから、まだ……」


 他の誰にも連絡ができてないと俯きながら彼女は申し訳なさそうに呟いた。気が動転していることもあったのかもしれない。警察に駆け込むことも考えたが、どこまで大ごとにして良いかも分からずに自分たちを探したのだと言う。

 とにかく、と三浦は大きな声で再度俺に訴える。


 「とにかく、私が逃げていることに気付かれてしまったら小鳥遊さんがどうなるか……。早く、早く助けに行かないと!」

 「それは、どういうことだ?」


 最初から説明して貰おうか。地を這うような、聞き慣れたものよりもずっと低い声が廊下から響き、背筋がスッと冷えた気がした。

 声の元へ振り向けば、鬼の形相で扉に手をかけて、そこに兄貴は立っていた。あぁ、本当に大変なことになってしまったようだと、俺は頭を抱えることしかできなかった。

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