第12話

 カチャリ、と無機質な音が響いて目を覚ます。

 身体は軋み頭には鈍痛が残っている。ぼんやりと重い瞼を開けば見慣れぬ場所で、数秒呆けた後にようやく気の失う前に起こったことを思い出した。ここは、どこかの倉庫か小さな工場だろうか。コンクリートがむき出しの壁にトタン屋根がそのまま乗っかっていて、辺りには木材やらフォークリフトやらが並んでいる。広さは大体陸上トラックより少し狭いくらいだ。天気予報は外れなかったようで、天井むき出しの屋根に落ちる雨がこの場に不相応なほど軽快に音を響かせている。

 立ち上がろうとして、普段行うありふれた動作も叶わなかった。背中で垂直に立っている鉄の柱に両腕が鎖で固定されているためだ。先程聞いた冷たい音は自身に括られたこの鉄枷が鳴った音だったのだろう。ため息を漏らせば吐いた息がわずかに白んでいる。エアコンのついていないこの中は冷え切っていて、身ぶるいをしたところで身体は温まらなかった。

 隣には私と違って縄で縛られた三浦さんが転がっていた。鎖は一本しかなかったのか、はたまたその必要がないと判断されたのかは定かではない。意識はないのだろうか、動くだけで衣擦れの音が響くのにも関わらず、彼女はピクリともしなかった。

 

 「目を覚ましたのね」


 ガラガラと重そうな扉を開けて入ってきたのは、緩く巻かれた髪を羽のように揺らす、誰もが目を惹く美人だった。白鳥、と呼ばれていただろうか。彼女を目にするのは三回目だ。気を失う前に一回。そして、幾日か前に悠木先輩と共に帰宅する姿を見かけていた。


 「なんでこんな事を……」


 今まで全く縁のなかった人だ。同じ学校、ということしか分からなかった。名前だって路地で聞いた一度きりで、下の名前も学年も何も知らない。

 三浦さんが何かやらかしたのだろうか。その現場に巻き込まれてしまったのか。それにしたって、いくら何でもやり過ぎだと思った。相手は非力な女の子一人で、対して腕力がありそうな男性を複数人抱えて拘束までするなんて。

 非難の色を隠さずに睨みつけると、白鳥さんはそれは綺麗な笑みを浮かべた。薄紅色の唇を震わせて、嫌いだからよ、と口を切った。


 「あなたのこと大嫌いなの」

 「……え?」

 「だから、大嫌いなの。あなたは私のことなんて知らないって言うのかも知れないけど、私はよく知ってるわ。今年の春に転校してきて、始めは友人をもたなかったこと。しばらくはあのゲーセンに毎日のように通っていたこと。時宗くんと出会ってからは彼の家に上がり込んでいたこと。そこで雅親くんと親しくなったこと。次第には時宗くんを挟まなくても、二人で会話をするほどになったんでしょう」


 少しだけ早口で、それでも笑みを崩さずに、全部雅親くんから聞いたのよ、と彼女は続けた。


 「楽しそうに話していて、あんな彼、初めて見たわ。そうして期待させるだけさせておいて結局は彼の好意を受け止めず、あなたはその告白を放り投げた。そのくせに未だ好きだとのたまっている」

 「……」

 「私が好きだったのに、私の雅親くんだったのに、あなたは横から奪ったくせに、彼の想いは置き去りにしたのよ!」


 後半はまるで悲鳴のように叫んでいた。今、泣いているようには見えなかった。けれど言葉の端々には涙の跡が滲んでいて、どれほど彼女が心を引き裂いたのかが伝わってくる。

 彼女の対象は他の誰でもない、私自身だったのだと知る。きっと隣で倒れているクラスメイトも巻き込まれただけなのだろう。申し訳ない気持ちで見れば、くぐもった声が聞こえてきた。目を覚ましたのかもしれない。

 もう一度白鳥さんに視線を戻せば、彼女は冷めた目でこちらを見下ろしていた。


 「彼の想いも、私の想いも、全てを置き去りにしたまま、あなたは悠々と平穏に過ごしている。そんなの、許せるわけないじゃない」


 ぽつりと漏らされた最後の言葉に、否定も肯定もできなかった。貼り付けた笑顔のままで喋る彼女は、まるでそう在ることを強要された、舞台で踊る人形のようだった。

 確かに、非難されてしかるべきことなのだ。今まで周りにいた人たちがこんな風に糾弾しなかっただけで。いつかは誰かに問い詰められて当たり前だとは思っていた。もしかしたら望んですら居たかもしれない。

 きっと、当たり障りのない謝罪をして頭を下げれば彼女の溜飲も幾分かは下がるのだろう。昔からそうやってのらりくらりと生きてきた私はその術を知っていた。相手の話を聞いて出方を伺いつつ、今後の擦り合わせまでもっていければ上々だ。そうしてまるで空気のように、いてもいなくても変わらない、“つまらない”人間になっていれば今まで通りの私だった。

 けれど、最近仲の良くなったばかりの、裏表のない友人を思い出す。心の内ばかりで思っていたって誰にも伝わらないのだと、相手に気持ちを伝えるために言葉はあるのだと、教えてもらったのは彼女からだった。変えたい、変わりたいのであればちゃんとゼロから一歩ずつ、自分から進み寄らなければ何も変わらないのだと。始めて会話をしたあの日、そう彼女は叫んでいた。

 ひとつ息を飲んでから、泳いでいた視線を強く向ける。思いを決めて、白鳥さん、と声が震えないように呼びかける。


 「あなたを傷つけてしまったこと。そして、それに今まで気付かなかったこと。ずっと不快な思いをさせ続けてしまい申し訳ありません。でも、」


 ぐっと制服のスカートを握りしめた。そうでなければ心が負けてしまいそうだった。


 「でも、こんな卑怯な手段をとっているあなたにだって非はあるでしょう。」


 猫のように目を細め、白鳥さんはその華奢な指で肩にかかっていた髪を後ろにやった。そうしてカツンとこちらに一歩前にでると鼻先が触れそうなくらいまで顔を寄せられる。それが答えなのかと呟いて距離を離されるのと同時、左頬に熱が弾けたような痛みがとんだ。

 頬を殴られたのだと気付いたのはひとつ間を空けてからだった。寒さも相まってじんじんと痛む。顔を上げれば反対側も同様に殴られて、もしかしたら明日の朝まで腫れてしまうかも知れない。それくらいには、尋常でないほど痛かった。


 「ちゃんとお話ができたなら、夜のうちに帰してあげようかとも思ってたんだけど。気が変わったわ。もう少しそこで寝ていてちょうだい。」


 彼女はそう言い放つと、背中を向けて扉へと向かう。革靴のカツカツなる音がいやに響いて耳障りだった。入ってくる時と同じ重そうな音を立てて表へ出ると、ずっと外にいたのだろう、三人の学ランの男性に見張りを続けるよう伝え去った。倉庫は再び雨音だけの、物悲しい静けさを抱える。


 「三浦さん、起きてる……?」


 確信をもって問いかければ、気まずそうに彼女はこちらへ顔を向けた。それはそうだろう。私だってこんな状況、途中で目を覚ましてもどう動けば正解かだなんて分からない。

 体を揺すっても変わらず腕は固定されていて、どう動いても外れそうにはなかった。私からは見えなかったが横から見る三浦さん曰くどうやら錠前までついている徹底の仕様だそうで、自身が抜け出すことは諦める。


 「ちょっと痛むかも知れないけど、ごめんね」

 「え……?」


 こうなったら何でもやってみるしかなかった。幸い工具は散らばっていて、近場に触れるものはネジくらいしかなかったが、縄を切るには十分だと知る。背中側にまで三浦さんには這って貰って、じゃあ行くよと声をかけた。

 その方法は実に地味だ。後ろ手で見えない中三浦さんに尖った部分を擦り付け、少しずつその縄を切っていく。慣れない動きに腕は軋み、強く巻いてある鎖も皮膚に擦れて傷んできていたし、見えない中鋭端な金具を動かしてはたまに三浦さんの腕に刺して傷をつくってしまっていた。もう諦めてしまおうか、そう頭をよぎった時、ようやくぷつりと縄が切れる音がして息をつく。


 「これで三浦さんは逃げられるから」

 「って言ってもどこから……」

 「あそこ、かな」


 扉はひとつしかなく、そんな正面突破できるようなタイプではない。だとすれば、壁に打ち付けられた簡易梯子を上って開閉する、二階の高さはあろう高窓から出るしかなかった。


 「さすがにあそこから出てくるとは思ってないだろうし。下に降りる時は、雨どいのパイプを伝って慎重にね」


 自分が無茶を強いている自覚はあった。けれど時間をかければまた誰かが入ってくるかもしれないし、逃げるなら闇に乗じて明るく前の方が良いだろう。

 携帯電話でもあれば良いのだが、何度見回しても屋内に自分たちの荷物はなかった。当然に連絡手段は絶たれていて、どうにかして手探りで助けを求めるしかなさそうだ。


 「ここの場所が分からないから不安だけど……。とりあえず明かりを探して、誰かを呼んで貰えるかな」

 「……はい」


 無理を言ってごめんと言えば、歯切れの悪そうに彼女はそんなことと首を振った。


 「むしろ謝らなきゃいけないのは私なんです。散々嫌な思いをさせて、挙句にこんなことに巻き込んでしまった」


 ごめんなさいと嗚咽交じりに伝えられて、どうしたら良いか分からなかった。それに、どうやら彼女だけのせいでは無さそうだということは、何となくだが察してはいる。

 それじゃあ、と俯いている彼女の顔を下から見上げて笑いかけた。


 「代わりにと言っては何だけど。ひとつお願いがあるの」

 「お願い?」


 助けを呼んで、この場をどうにかやりきって、それでハイお終い。としてしまうのはどうにもやりきれない。

 だから、最後にひとつだけ。物事を始めた立役者には、しっかりとけじめをつけて貰おうと思うのだ。にんまりと我ながら悪い笑顔を口元にたたえて、持ってきてほしいものがあるのだと伝えるその声にクラスメイトは訝しげな顔を隠せないようだった。






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