第11話


 それは僅かな慢心だったのだと思う。




 どんよりとした曇り空は寒々しい季節をより身近なものへと感じさせ、風がひとつ吹くだけで駅に降りた私を身ぶるいさせた。

 快速電車で二駅の、寂れたとは少し違う、居酒屋とかパチンコ屋とか夕暮れからの方が活気に満ちるようなこの場所に足を伸ばすのは随分と久しぶりだ。思えば悠木くんと親しくなったきっかけはこの場所で、そうしてこの辺は物騒だからと彼にとめられては訪れるのを断念していた。

 今となっては、仲が良いと躊躇なく言える友人もでき、クラスにも(不本意ながら)自分の趣味をさらけ出すこととなり、正直わざわざ家から離れたこの場所まで出向く必要はないのかもしれない。けれど一時期の、誰にも見咎められることもなく忍び足で通っていた頃を思うと懐かしくもあり、今日こうして改めて足を向けた次第であった。


 (それにしても、こんなに物寂しかったかしら)


 季節のせいなのだろうか。春先に来ていた頃は明るい時間でももう少し人通りがあったような気がしたのだが。辺りを見回しても猫が一匹横切るばかりで、近隣に高校があるとは思えないような景色だった。尤も、目の前のゲームセンターに入れば学生で溢れていて、そんな寂寥感は吹き飛んでしまうのだろうけれども。

 また一陣の風が吹き、裸の首筋を撫でていった。マフラーでも持って来れば良かっただろうか。何か暖かいものでも口にしようと、隣を見やってふと気付く。誰にともなく声をかけようと思ってしまったが、そうだ、今日は一人だったのだ。近頃は常に周りに人がいて、こうして一人出歩くのは思えば久しぶりだ。以前は毎日のように単独で行動していたというのに、悠木くんや真矢といった友人に囲まれていることが当たり前となっていた。そしてそれは、とても幸せなことなのだろう。

 もしかしたら自分は寂しかっただけなのかも知れない。人通りのほとんどない道を見てぼんやりと思う。両親は仕事で住まいを別にすれば会うことは少なく、家に帰れば祖母がいても分け隔てなく話せる相手とは言い難かった。尊敬できる相手ではあるのだが、その厳格さ故に肉親と言えど一歩引いて接してしまっているのが現実だ。転校も多くその場づきあいが多かったため、長く付き合えるような腹を割って話せる友人もいなかった。

 けれど、今は、違う。自暴自棄になりがちだった私を叱ってくれたり、憂鬱な気分でいれば励ましてくれる。一緒に笑って泣いて、同じ時間を同じように過ごせるような友達がいる。


 (やっぱり帰ろう)


 悠木くんは生徒会の、真矢は家の用事だと言っていた。今日は遊べないかも知れないが、また明日、改めて誘ってみれば良い。

 ここがあまり治安の良い場所ではないことは身をもって知っていた。悠木くんにも訪れることを制止されていたし、何より自身も何度か最寄りの工業高校の学生に絡まれているのだ。多少の力技なら対応できる自信はあるが、それでも何もないに越したことはない。

 そうだ帰ろう。そしてもう、ここに来るのはやめよう。ゲームセンターを目の前にして踵を返す。物怖じしないと言えば聞こえは良いが、ガラが悪いと散々言われているような場所に女子一人が出歩く無謀さも理解はしていた。何より今の自分には信頼できる友人たちがいる。己の身に何かあれば、まるで自分のことのように心配されてしまうだろうから。

 卒業にも似た気持ちで駅へと歩を進める。けれど、何となく後ろ髪を引かれて振り返ってしまう。そしてそれは、見納めるために向いたゲームセンターの脇の路地に、見慣れた制服を纏った女の子が連れ込まれる瞬間と同時だった。


 (いけない……!)

 

 あの小路は覚えている。恐らくは件の学生が人を連れこむ時に使っているのだろうと思われる、そこだ。

 見てしまえば知らないふりになんてできなかった。駆け足で覗けばうずくまっている女の子一人に対し、男子高生が二人がかりで足蹴にしている。


 「ちょっと、」


 暴力沙汰は避けたくて、ただ止めに入っただけのつもりだった。まずは話を聞いてから、なんて穏便に考えていたのはこちらだけだったらしい。無粋にもこちらの姿を認めるや否やその二人は殴りかかってきて、振り上げられた拳をスローモーションのように見送るとため息を吐く。

 一人はカウンターでみぞおちに右手を、もう一人は走ってきた勢いを利用させてもらい後方に投げ飛ばす。後ろも見ずに自分よりも大きな男性を放ってしまえば、ポリバケツにぶつかったのか盛大な音を立てて崩れ落ちた。カウンターを受けた方は腹を抱えたまま震えて立ち上がろうとしないので、とりあえず脇に退いてもらって放置する。


 「ねぇ、大丈夫?って、あなた……」


 うずくまっていた女の子、同じ制服を着ているとは思ったが、まさかクラスメイトだとは思わなかった。真矢の(元)友人であり、先日まで私にいやがらせをしてくれていたーー。


 「田中さん」

 「……三浦です」


 名前はうろ覚えだったから、素直にごめんなさいと謝っておいた。事情はともかくこんな場所に長居は不要だろう。とりあえず駅へ、そう手を伸ばして立ち上がる。否、立ち上がろうとしたところだった。


 ーーガンッ


 鈍い音だった。

 ひとつ遅れて自分が何かで頭を殴られたのだと分かる。ゆっくりと身体が前に倒れて、三浦さんが悲鳴をあげた。

 何ヶ月か前に、悠木くんから受けた忠告を思い出す。そうだ、彼の言う通りに迂闊な行動なんてとるのではなかった。

 ガンガンと頭全体に痛みが鳴り響く。体は麻痺したように動かせず、視線だけで私を殴ったのであろう人物を追う。仲間がいたのだろう、先の二人と同じ学ランを纏った刈り上げの男が、バットを片手に私が持っていたカバンを蹴り上げてしまうのが見えた。思えばチャックを閉めるのを忘れていた。路地奥に飛んでいく際に中身が幾つか宙を舞って落ちていく。夕方から雨が降るようだからと、祖母が持たせてくれた紺色の折り畳み傘も外に出てめためたに折れ曲がってしまっていた。あぁ、また怒られてしまう。物は自然に壊れるまで大事にしなさいとは祖母の口癖でもあったのに。


 「あらぁ?これは予想外ね」


 後からやって来たのだろう、複数人の気配と共に女の子の声がする。鈴を転がすようなその声は、この場には非常に不釣り合いに思えた。くすくすと笑うその様に、三浦さんが「ひっ」と息をのむのが聞こえる。


 「どうします?白鳥さん」

 「うぅーん、こうなっちゃうと扱いに困っちゃうんだけど」


 白鳥と呼ばれた女の子が足元にしゃがみ、私の髪を掴んで目線を合わせてくる。


 「二人とも連れて行っちゃおうか」


 にっこりと笑ったその顔は、人形のように整っていて、そしてとても歪だった。





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