第10話

 その光景に戸惑ったのは俺だけではないと思う。

 いつもの、なんでもない日の、ただのホームルーム後の放課後だ。高く澄んだ秋晴れに、細かく連なるイワシのようなうろこ雲が浮かんでいる。皆が思い思いに席を立って、部活へ向かったり友人と立ち寄りの話をしたり、そう、いつもと変わらない平和な景色だった。

 その一部を除いては。


 「美咲ー、喫茶店寄ってこーよ。甘いやつ食いたいわ。ガッツリデカイ系」

 「もちろん。その前に本屋行っても良い?今日新刊が出るのよ」

 「あ、巨人のやつ?貸して貸して!」

 「意外と真矢ってマンガ好きよね」

 「…………」


 まったく、誰がどう見ても異様な光景である。転校初日から必要以上にクラスメイトと会話をしてこなかった小鳥遊と、見た目も素行も派手で口調も荒い篠山が、まるで幼馴染かなにかのように、それはそれは楽しそうに語り合っていた。しかも互いに名前呼びだ。小鳥遊に関しては俺や兄貴ですら未だに苗字で呼んでいるというのに。

 つい先週末にホームルームを欠席したと思ったら、一体全体何があったというのか、意味が分からない。寧ろ、印象としては水と油の反り合わない同士だと思ってといたのに。


 「今日も家寄って行くでしょう?」

 「もちー。てか今度私服置いてって良い?泊まるとき面倒くさい」

 「いやいやいやいや、お前らちょっと待て」


 いったいどこから突っ込めばいいのか。後ろの席の喧騒に止めをかけるのは、この場では俺しか居なかった。というか、多分町中探しても他にいないだろう。悲しいことに。

 クラスの視線が一斉にこちらに集まっているのを感じる。俺は今、大きな責任を背負っているのだ。失敗は許されない。少しでもこのお花畑空間から意味のある言葉を引き出さなければ。

 目の前の、見た目だけは正反対の二人は、同じ方向に首を傾げながら頭上に疑問符を掲げていた。


 「なぁに、悠木くん。仲間に入りたいのは分かるけど、あなたにはやる事あるじゃない」

 「生徒会長の引き継ぎなんて、マジでご愁傷様だけど。まぁ、時宗ならイケるっしょ。ファイトー」

 「いや、だから、そうじゃなくて」


 確かに今までならば彼女たちから誘われるのはまず自分で、それに何も思わないかと言われれば嘘になる。もしこれまでに少しも優越感が湧かなかったのだとしたら、それはそいつは男ではない。けれど、今話したいことはそれではなくて。

 水をさされた二人はというと、怪訝な顔でこちらを見ている。違う、その顔はお前ら以外の皆がしたい顔だ。


 「あー、小鳥遊さん?篠山さん?お二人はいつからそんな生来からの仲良しみたいなご関係に?」

 「あら、野暮なことを聞くのね」

 「問題は出会いじゃなくて、これからどう意味のある時間を築いていくかじゃん」


 良いこと言ったと自信満々にふんぞり返る篠山を、その隣で小鳥遊が子を見る母のような目で微笑んでいる。いやいや、以前はそれ系の発言は鼻で笑っていませんでしたっけ、小鳥遊さん。


 「ってかそんなことより、時宗知ってる?!美咲ん家マジヤベーの!」

 「あー……」

 「ちょっと真矢!」


 そんなこと、と不本意に投げ出されたその話題の先は、拡げて良いものだろうかと俺には判断できなかった。ましてやこの視線の中だ。篠山が何に対して『ヤベー』と言っているのかは分からないが、どれであれ小鳥遊の転校初日の自己紹介を思い返すと積極的に返事をすることははばかられた。

 その一方で篠山は、きらきらと夏休み中の少年のような目をしている。こいつは悪いやつではないのだが、いささか物事の先を見通すことを苦手としているのだ。何度でも言おう、悪気はない。


 「あー……、篠山?」

 「美咲ん家、マジ広くてさ。超豪邸?てか忍者屋敷みたいで!」

 「あー……」

 「しかも部屋ん中、トロフィーばっかで!空手とか段持ちだし超つえーって!」

 「あー……」

 「で、出てきたばぁちゃん超怖そうって思ったら合気道かなんかの師範らしくて!警察とかにも教えてるらしいし!」

 「あぁー……」

 「あとマンガとかアニメとか超詳しくて、教えてくれたの全部面白いの!部屋の壁一面マンガだらけ!」

 「んーー……、小鳥遊さん?」


 あんなにさっきまで女子同士で花を咲かせ振りまいていたのに、可哀想に、今は笑顔を貼り付けたままピクリともしなくなっていた。息はしているのだろうか。少なくとも考えることは放棄しているようだ。篠山に「美咲マジスゲー!」と背中をばしばし叩かれても樹木のように微動だにしなかった。

 そして当たり前のように大声で話す(しかも良く通る声なのだ。知力が伴えばアナウンサーをお勧めする)ために、そこにいたクラスメイトはおろか、廊下を歩いていた他クラスの生徒にまで小鳥遊のプロフィールは筒抜けだった。

 春先に小鳥遊本人から聞いた、『お嬢様と知れて気をつかわれたくないから』『部活に入りたくないし誘われたくないから』『オタクだとバレるのが恥ずかしいから』という理由で徹底していた秘密主義は今見事に壊されてしまったのだ。

 一部の女子たちは“小鳥遊”の姓に大豪邸ということはまさかとざわつき、運動部(殊更に空手部)は今から入部でもと席を立ち、内気眼鏡男子たちはやけに温かい目でこちらを見ている。


 「……小鳥遊」


 無邪気そのものと言ったような、楽しそうな篠山に抱きつかれている彼女は最早笑顔もなく虚ろな瞳をしていた。あぁ、哀れな。

 助けてあげたいのはやまやまだが、ここまで縦横無尽にされてしまうと誰にもどうしようもなかった。せいぜい篠山がもう喋らないよう口を縫うことくらいか。これ以上の何かがあれば、の話だが。


 「じゃあ、俺は行くから」

 「置いていくの……?」

 「一緒に生徒会室まで来てもいいが」


 兄貴もいるぞ。そう小声で付け足せば何とも悔しそうな顔をされた。口を真一文字に結んで、少し膨らんだ頬は篠山に「行けば良いのに」とつねられている。


 (あぁ、)


 お互い心を許したからこそこの遠慮ない仲なのだろうと、その様を見てようやく思う。篠山の大変なはしゃぎっぷりも、小鳥遊の百面相も、振り返れば初めて見るようだった。

 そしてそれは、友人の一人として手放しで喜ぶべきなのだろう。きっとこれから良い変化となるはずだから。


 「篠山、コレやるよ」

 「ん?なに……、エッグズのパンケーキの半額券じゃんっ」

 「お前そこの好きだろ?二人でさっさと行ってこい。ただし篠山のおごりな」

 「ーーーー!!」


 財布の中から取り出した、昔行ったっきりのチケットに篠山は歓喜の声をあげて喜んだ。これ以上の厄介は正直ごめんだったし、いかに早くこの場を後にするか考えた末の苦悩策だったが効果はてきめんだったようだ。

 そんなにパンケーキが嬉しかったのか、篠山は顔を赤くして喜んで腕の中の小鳥遊を絞めおとす勢いだった。そして、やられてばかりではない小鳥遊だって篠山の腕をすり抜けてはアームロックをかけていた。そのあざやかな切り返しに歓声を浴びれば、恥ずかしそうに手を緩めて互いの体勢を立てなおす。

 そうしてまるで何もなかったかのように各々の鞄を拾い上げて、教室を出るべく俺の脇を通り過ぎ振り返った。


 「サンキュー、時宗!じゃあ明日なー」

 「悠木くん、また遊べる時にご一緒しましょう」

 「おー、またなー」


 かき回すだけ回して颯爽と去って行く。まったく嵐のようだ、と二人を見送る。今後はこの喧騒が放課後の日常となるのだろうか。

 それでもなんて平和なのだろうと、爺臭く笑みがこぼれるのはどうか見逃して欲しいと思う。






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