第6話

 残暑はとうに去り、制服にはセーターだけではなくジャケットも恋しい気候となったのは今週に入ってのことだ。食欲の秋。芸術の秋。スポーツの秋。多くの趣味催事を画立てるのに心地よく、無論、遊びごとにも滞りない天候が多ければ、年頃の自分たちは本業もそぞろに足を外に向ける頻度も多かった。


 「ねえ、聞いてる?」


 カラオケ行こうって言ってんだけど。

 不自然なほど長く上に上がった睫毛をしばたかせ、目の前の女はこちらを覗いてくる。尖らせる口はグロスで濡れていて、絶対食事をしても本来の味なぞ分かるまいと思う。寧ろその味も楽しんでいると言われたら男には分からない境地なのだが。

 遊ぶ、のは構わないんだがなぁ。と内心ひとりごちた。定期試験は先週で終わり、受験の控えた三年生を除く数多の生徒が開放的になっている。今もその例に漏れず遊びの誘いを受けていたのだ。目の前に座る女ーー篠山真矢とは入学当初から親しく、今春に少しだけ距離の開くこともあったが、彼女の持ち前である明るさとさっぱりした性格に今では以前と変わらずの付き合いを続けている。否、以前と変わらずは嘘だ。最近は小鳥遊と遊ぶことの方が多い。

 ちょっと。そう言いながら短いスカートを揺らして篠山は足を組み直した。スカートの丈は短くても嫌いじゃない。小鳥遊もそればかりは彼女を見習うべきだ。


 「あー、悪い。今日は先約あるんだわ。」

 「またぁ?時宗、地味女とつるみ始めてから付き合い悪いよね。彼女じゃないんでしょ?」

 「…少し前に、好きな奴には好意を伝えたけど。断られたよ。」

 「はあ?」


 篠山は心底信じられないという顔でこちらを見やった。


 「あんたが振ったんじゃなくて?」

 「…俺じゃあ駄目なんだと。」


 生意気、不愉快にもそう目の前で零したので一瞥すれば気まずそうにそいつは目を逸らした。小鳥遊がこの手の女にあまりよく思われていないのは知っている。彼女自身も自覚をしていて尚飄々としているから余計にこじれているのだ。見た目は派手でなくとも、自分が会った女性の中で殊更に気が強い。更に言っても聞かない頑固者なので質が悪いと思う。


 「じゃあ今度誘うわ。それじゃあ、」

 「ちなみに一個聞きたいんだけど。」


 居心地が悪くなったのか席を立とうとする篠山を引き止める。切り出すには少々戸惑いもあったが、直感は問うべきは彼女だと告げていた。


 「小鳥遊のことなんだけど。最近落ち込んでるみたいで、なんか知らない?」

 「…私が?仲良くないどころか話したこともないっての。知ってるっしょ。」

 「お前の仲良い奴らも、本当に知らないかな。」

 「……さぁ。私は関係ないし。」


 少し考えるように間を空けて、今度こそ席を離れた篠山は一度もこちらを振り向かなかった。彼女は関係ないと言ったが、しかし本当に何も感知していないとも思えなかった。正直な奴なのだ。嘘を吐くときは必ず右上を見る。

 篠山にはよくつるんでいる友人が三人ほどいる。正確には少し冷めた篠山に、彼女の求心力に惹かれた取り巻きが三人、という方が的を得ているのだろう。親しくしている時宗からは、篠山がすすんで彼女たちと同じ時を過ごしているようには見えづらかった。尤も篠山とて性格の悪い女でもない(という認識だ)ので、決して彼女たちと共にいるのが不愉快という訳ではなく、いわゆる女子特有の空気を合わせながらつつがなく、という印象だ。潔いかと思えば、妙な気遣いを見せる奴なのである。

 そして、この件に恐らく直接手を出したるはその三人。実際に確たる証拠を掴まないことには何とも言えないが。


 兄貴に話を聞かされた時は己の不甲斐なさに腹が立ったものだ。小鳥遊に今一番近いところにいるのは自分だろうに、その違和感に全く気付くことなく日々を過ごしていた。

 確かに小鳥遊は少々(いや大分)内に篭ってしまうところがある。それが大きな面倒ごとであればあるほど、周りにはひた隠しにして自己解決しようとする。だから事が上手くいかず漏れ出し隣人の認識する頃には、尋常でなく事態が拗れていたりするのだ。その前にどうにか一言でも相談してくれれば良いのにと思う。納得のいく回答を渡せるとは限らないが、それが間違った方向に歩んでいるのであれば引き留めることだって出来るのに、と。


 (まぁ、とりあえずは兄貴に報告か。)


 このまま教室に残っていても仕方がない。今分かっている状況だけでもあの心配性に伝えてやらねばと腰を上げた。自分にとって横暴で豪腕なあの兄は、その反面浪漫を夢見るような繊細な一面も持ち合わせている。元ヤンのくせになぁ、と高校生の姿しか知らない生徒達が驚愕してしまうだろう過去を思い出す。あの頃の兄は随分と荒れていた。それを割り切るどころか、今の己の強さとしているのだから大したものだと他人事のように感心する。残念ながら、それが対小鳥遊となるとまるで乙女のように初心になってしまうのだから笑いごとなのだが。


 (おー、噂をすれば。)


 正確には噂はしていない。自分の中で勝手にとりあげていただけだ。今では随分と見慣れた後ろ姿、下駄箱に上履きのまま突っ立っている小鳥遊を見つけ声を掛ける。肩を揺らしてこちらを振り返った先、彼女の下駄箱には生ごみが詰め込まれた革靴が見えた。


 「…お前、それ、」

 「踵がすり減って買い換えようか悩んでいたから、親切な友人が背中を押してくれたのよ。」


 こちらが問いかけようとすると食い気味に返される。言い訳にしたって無理がある返答だと思うのだが、気丈な目はそれ以上の詮索を拒んでいた。

 生臭さも厭わずに彼女は変わり果てた自身の相棒を持って焼却炉に向かう。何か会話をする空気でもなく、けれどそのまま見ぬふりをして一人帰るのも躊躇われ、何も言わずに後を追った。

 無表情にぽかんと開いた炉へ靴を放り投げる、その様はただ作業をこなしているようで、事実そうなのだろう。横に立てば泣きもせず声も上げず、押し黙って真一文字に結ばれた口元は悔しさに震えているのを見つけた。

 どうして声を上げないのだろう。どうして、そんな風に一人で抱え込んでしまうのだろう。固く握られた拳は白くなってしまって、それでも行き場のない思いを手放さまいとしていた。


 「なあ、」


 片手を掴んで問いかける。


 「俺じゃ、駄目なのかよ。」


 もし、たった一言。自分が思っているような関係じゃなくても良い。助けを求めてくれるのであれば、彼女を救えるのに。

 ゆるゆるとこちらを見上げた小鳥遊は笑って、そうして緩やかに首を振った。

 どうして、そんな問いかけは野暮だった。彼女の求めるヒーローは別の人間で、しかし彼女はその手を求めず一人きりで戦っている。

 もしかしたら無理矢理にでも干渉すれば良いのかもしれない。それだけの周りの人望と彼女の信頼を得ている自負はあるのだ。きっとほんの少し動くだけで万事が解決するだろうけれども。


 「お互い、不器用だよな。」


 小鳥遊は何も言わずに踵を返す。上履きの底は茶色い土がへばりつき、綺麗に洗われているのであろう側面の白さとのコントラストが印象的だった。

 たった一言。言われて救われるのは決して彼女でないことには気付いている。彼女の後姿は確かに真っすぐ伸びていて、それでもいつか手折られてしまわないか不安なのは誰よりも自分自身なのだ。





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