追いかけられる
「…………」
「……どう思う?」
「君はどうなんだ? エメット教授の居場所に見当はつきそうか?」
「ますますわからなくなった。むしろ――関係のない情報を入れたせいで余計にこじれたような気がするよ」
「そうか」
グレアムは呟くと、膝を叩いて立ち上がってグラモフォンの片付けに手を伸ばした。
アレクシスもそれに追随しようと立ち上がる。
そのときだった。
「あなたたち、ここは学生図書館ですよ!」
階下で金切り声があがった。
アレクシスは咄嗟に、グレアムの手伝いではなく階下を覗こうと吹き抜けから顔を出す。出入り口での騒動が観察できる位置だった。
司書の女性の制止を振り切って、館内を歩き進もうとする五、六人ほどの集団。
黒いコートに黒いエンジニアブーツ。そして不審と不安を煽る黒いペストマスク。
(なん……なんだ?)
アレクシスは思わず目を凝らしたり背けたりして、何度も異様な集団を目で捉える。
あるとき、その中のひとりと目が合った。目といってもペストマスクに取り付けられたゴーグル状のレンズが、たまたまこちらを向いたに過ぎなかったが――どうやら中の人間とも視線は交錯したらしい。
ひとりが指で何事か指示を出すと、ペストマスクの集団は明らかにこちらへ向かう素振りを見せた。数人の司書の言葉を無視し、司書の体をなぎ倒すようにして階段へ走っていった。途中で学生にもぶつかっているが、相手が転ぼうと倒れようとおかまいなしである。
さながら、烏が攻撃の狙いを定めて一斉に飛び立ったようだ。
「グレアム! なんかよくわからん連中がここに来ようとしているようだが心当たりは!?」
「よくわからん連中の心当たりはたくさんあるからなあ。どういう連中だ?」
「ペストマスクを被った黒装束の連中だ! あー……あまり穏便には済ませてくれなさそうな雰囲気の!」
「うん。それなら心当たりがある。早く逃げよう。彼らの狙いはこの学会のレコードだ」
グレアムは片付けをほっぽりだし――最初に持っていたアカシックレコードだけはしっかりと懐にしまい込んで――ブースから出て行く。階段のある方とは逆に向かってどんどんと進んでいくのを、アレクシスは小走りで追いかけた。
「お前、あのレコードを手に入れるためになにをやったんだ!?」
「まあ色々と。まさかここまで早いとは思わなかったが……よっぽど外に出したくないんだなあ。レコードから離れてしまえばおそらく安全だ。このまま逃げ切ろう」
アレクシスは早足でグレアムを追いながらも背後を警戒する。遠目ではあるが、早くもペストマスクの集団は最上階に現れたようだ。アレクシスたちがいたブースを突き止め、廊下できょろきょろと辺りを見回している。と、急いでその場を立ち去ろうとする二人の姿は周囲からも浮いていたらしく、目に留められる。アレクシスは目を背けたつもりだったが間に合わなかったらしい。
烏のくちばしに似た切っ先が、まっすぐこちらを捉えていた。
「――まずい。見つかったぞ」
「なんで僕たちまで追いかけてくるんだ? レコードはもう戻っただろうに」
「情報を知った人間はけして逃さないんじゃないのか。俺は面倒事も犯罪の加担もごめんだ。もし、なにかあったら迷わずに俺はお前を売り飛ばすからな!」
首を傾げるグレアムに、アレクシスは冷ややかに告げる。
集団の内の半分ほどがこちらを追っていた。
グレアムの足の速度は変わらない。アレクシスは苛立たしげに言った。
「追いつかれるぞ、グレアム! お前、一体どこへ向かっているんだ!」
「外だ」
「こんなときにふざけている場合か! 人をおちょくるのもいい加減に……!」
「大真面目だ。この階から外に出るには窓を使うしかないからな」
グレアムは天井の吹き抜けに向かってかかっている梯子の前で立ち止まり、手慣れた様子で梯子を登りはじめた。
「なっ……!? なにを……!? 逃げ場がなくなるぞ!」
「いいから早く登ってこい。追いつかれるぞ」
グレアムはちらりと目を向けたが、さっさと上を目指して手足を動かしていく。
一瞬の逡巡の後、首を横に小さく振ったアレクシスも梯子に手をかけた。
グレアムはすでに天井に到達したところだった。アレクシスも手早く梯子を登っていく。下の方で誰かが登ってくるような感触が伝わってきたが、下を見ている余裕などない。
(ああ……俺、まさか、本当にお尋ね者になるんじゃないだろうな……?)
そんな不安を胸に天井に到着すると、グレアムがひと足先に天井の丸窓を開閉させていた。その窓が開閉するところを初めて見た――が感慨に浸っている暇はない。腕と腹筋を使って丸窓から外へ飛び出した。
「わわわ…………!」
グレアムが風に煽られてふらついているところを咄嗟に助ける。
三階の建物とはいえ、人間の立つような設計ではない。足場は婉曲していて不安定だ。
下を見るとおよそ十メルト。衝撃を和らげるような障害物は見当たらない。おそらく、ここから落下すれば――生存本能による抵抗をある程度加味しても――衝撃により重傷、あるいは死亡だろう。全身打撲、骨折、内臓破裂、頭部損傷、どの診断を受けて生還したとしても未来は絶望的だ。
アレクシスの全身に恐怖が駆け抜けたが、恐怖は怒りに変わり、矛先をグレアムに向けた。
「あいつらは何者なんだ。君は知っているんじゃないのか?」
「残念ながら直接的な知り合いではない」
「間接的な知り合いということだろう! いいか、君がどうやってあのレコードを手に入れたのかは知らないが、その尻拭いを人に押し付けるつもりなら……」
「つもりなら?」
冷たい風が吹き抜ける。
グレアムは、落ち着き払った目でアレクシスを覗っていた。
決別のつもりでアレクシスはその視線に真っ向から挑んで、告げる。
「君とはもう一緒に住まない。部屋を変えさせてもらう。二度と会うこともない」
「…………」
アレクシスは至極真面目に告げたつもりだったのだが……グレアムは確かに呆けたような顔をして……それから腹を抱えて笑い出した。
「うぷぷぷ! ……ふふっ、ふふう……! 君は本当に面白い男だなあ、アレク!」
「なんだ! 人が真面目に話しているのに、なんだ! その気色悪い笑い方は!」
「いやあ。君のことだからもっと過激なことを言うのかと思っていたんだ。『全治三ヶ月を狙ってここから突き落とし、君を診察実習の実験台にしてやる』とか」
「お望みとあらばやってやらんこともないが?」
「まあよせ。話はここから脱出してからにしよう」
ベストの下に隠れていたサスペンダーのような幅広の左右のベルトを引っ張り出し、水平状にあった握り手付きのピンをそれぞれ垂直に傾けた。
前に一度、聞いたことのある悲鳴のような音がグレアムの背中から響く。
手早くベストのボタンを外し、手早く脱ぎ去った。ベストは風になびいてどこかへ飛んでいく。
羽虫のはばたきのような始動と共に、作り物の翼が広がる。
「掴まれ」
「……おう」
アレクシスはグレアムの後ろに回った。
「そこは大変危険だ。前だ。前に回ってしがみつけ」
「前……?」
アレクシスの言葉にグレアムが両手を広げる。飛び込んで来いと言わんばかりに胸を張るグレアムに、アレクシスは嫌そうに戸惑った。
その数秒の躊躇の間に――とうとうペストマスクの一人が屋根に足を着ける。
「早くしろグレアム! 恥は一時のものだ! 捨てろ!」
「煩いっ!」
叫びながらもアレクシスは勢いよくグレアムに抱きついた。両腕をしっかりと回し、グレアムの服を握りしめる。
「行くぞ!」
グレアムが左右のピンを前に引っ張ると、中からワイヤーが伸びた。
カチン、と音がしてピンはさながら操縦桿のように固定される。同時に、グレアムの背中から機関がうねりをあげ、少量の蒸気が放出された。
図書館で実演してみせたときと同じく、派手な音と金属同士の軋みが混ざる。
「うおっ!?」
「なっ……うわっ!」
そうはさせないとばかりに、最初に現れたペストマスクの一人がグレアムにのしかかったらしい。グレアムは前に傾き、バランスを取ろうと大きく前後に揺れた。
このままでは自分の重みでグレアムが落ちる。アレクシスは非常事態であることを完全に忘れ……グレアムから手を離していた。踵が建物の壁面に当たって、弧を描くようにしてアレクシスの体が跳ねた。
しまった、という後悔は一瞬で落下の恐怖に呑み込まれていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます