再生する

 ジリジリジリジリ……。

 まるでなにかが焼け焦げているような、不安を煽る静寂でブースが満たされる。しばらくすると、そんなジリジリという音に混ざって人の無数の囁き声が聞こえてきた。無数の雑音がひとつの大きな低温の塊になっている。

 録音機器のすぐ近くに座っていたらしい、男の好奇心の声が、『しっ! 始まるぞ……!』と告げ、一瞬だけまた静かになる。直後に拍手があがった。

 どうやらエメット教授が登壇したようだ。

 車輪が回る音がして止まる。エメット教授はなにかと一緒に登場したようで、先程の男が近くの人間に囁いている。

『あの棺は、なんだ……?』

 同じような動揺の波が広がりかけると、エメット教授がスピーキング・ホーン越しに語りだした。

『皆さま、お静かに。本日は我がシンポジウムにお集まりいただきありがとう。概要を語る前に、まずは手元のマスクを着用してくれたまえ……』

 きしっ、きしっ、ぎいいいいいい――ガコン!

 ひび割れた甲高い鉄の音。棺の向きが変えられたらしい。

 『棺の中に入っているのは、女、か……?』『死体か?』『マスクを着けろ、だと……?』そんな、密やかな声もあちこちからあがっている。戸惑いが渦巻きながらも、周囲ではマスクを着用しているような革擦れの音が聞こえた。会場内の人間がマスクを着けたことを確認したのか、エメット教授が再び口を開いたようだ。

『ご協力感謝する。今回の実験で使用するこちらの遺体はペスト菌による感染症で死亡したものだ。この透明な棺を開けることはしないが、万が一ということはあり得るので、終了まではマスクを外さないでいただきたい』

「ペスト……」

 アレクシスは思わず口から漏らしていた。

「あの伝染病のペストのことか……」

「まあ、それ以外にないだろうな」

 いいから聞け、とばかりにグレアムは目でグラモフォンの方を示すと、黙って横を向いてしまった。アレクシスもそれにならって、音声に再度集中しようと、したのだが……。

『まず、我が研究……ジジッ……れが、どのよう……ジジッ……である……ジジッ……ペスト……ジジッ……成功したのである……』

「……なんだ?」

「ふむ。音が飛んでいるようだな。録音の失敗か、レコードに細工してあったのか……」

 エメット教授の発言はほぼ不協和音にすり替わっていた。なんとなく聞き取れるのは周囲の囁きや聴衆の反応だけだ。どんな説明や発表が成されているのか、推察できないまま実験が始まった。死者を甦らせたという噂が立つに至った大元だ。

『ジジッ……ジッ……れを、抽入する……』

 蒸気の放出と、捻子が回る音と鋼鉄がぶつかり合う音。なんらかの液体が角度をつけて移動するときの音。どこからともなく電流が走ったときのスパークが発生したような音も入っていた。

 幾度となく圧を与えている音が聞こえ、その都度蒸気が流れる音が小刻みに響く。

 一際盛大な鈍い轟音が――ホーンをびりびりと震わせた。まるで巨大なものを固定していたものが外されたときのような――ブースに広がった。

 聴衆が息をのむ雰囲気が伝わってくる。

 その後はしん……とした静寂が残されていた。音の亀裂も入っていない――不思議と、この部分だけは目の前に広がる現実のように、やけに本物臭く感じる。

 音が多すぎて、あるいは大きすぎて……頭がぼんやりとして気持ちが悪い。脳の芯がぐらぐらとしていて自分が座っているのか立っているのか、起きているのか眠っているのか、体が基本的な状況を把握できていない。

 アレクシスはホーンに頭を突っ込むような角度で前のめりに傾いていった。

 すると――

 大きなガラスの板が素手で叩かれたような――そんな鈍い音が鼓膜を振動させた。

「……!」

『……!』

 録音機の近くで驚いたのであろう男と、アレクシスの姿が重なった。アレクシスは大袈裟なまでに肩を持ち上げ、首をすくめてグラモフォンから離れる。ぼんやりとした体にはよほど衝撃的だったとみえて、アレクシスは慌ててなんでもないように落ち着きを演出する。

『女、だ……! 女が目を覚ました!』

『濁った青い目の女……!』

『小さな女だ……!』

『諸君、お静かに』

 エメット教授の声が凛として響渡る。制止の後でも、ばんっ! とガラスを叩く音が再び鳴った。

『実験によって……ジジッ……ジジッ……ペスト……ジジッ……私は名もない彼女に名と祝福を与えようと思う……バジル・ヴェイン。彼女は新しき生を受け、改めてロサカニナの地に降りた……ジジッ』

 『まさか……』『そんな……』『あり得ない』

 口々に不穏さが吐き出されると、誰かが立ち上がって叫んだ。

『そんな馬鹿な話があってたまるかっ!』

『質疑応答は最後に時間を取ってあるがあえて今問おう。馬鹿な話とはなんだ?』

 冷たいエメット教授の声が、叫び声と対立する。

『その女は死体ではなかったのだろう!? 大がかりな棺と仕掛けを作って我々から補助金を騙し取ろうとしているのは明白だ!』

 援護射撃をするように、周囲からも『そうだ!』『トリックだ!』『馬鹿にするな!』という声が湧いた。

『……補助金を騙し取ろうという人間が、こんな大がかりな実験をするのはおかしなことではないのかね。まごうことなく彼女は死者だ。黒死病に殺され、生の権利を剥奪された、哀れな死者である。彼女はロサカニナ国・エディル旧市街の跡地で見つけたのだ。そう言えば、大半の人間は納得してくれると思うが』

 すると不思議なことに、それまで立ち上がった男を擁護していた人間も、固唾を呑んでやりとりを見守っていた人間も、立ち上がった張本人でさえも、呻くような声を上げて言葉を失ってしまった。残っているのは押し殺したような独り言だけだ。

『〈災害〉か――』

「〈災害〉? 自然災害か飢饉か……昔、この辺りでなにかあったのか?」

「アレク、ここいらの歴史もきちんと把握しておいた方がいい。学生としては当然のことだ」

 アレクシスの疑問はグレアムに流されてしまう。

 レコードに残ったエメット教授はなおも演説を続けている。

『それとも……この棺を今すぐに解き放って、彼女ーーバジルを調べるかね? 君たちにその勇気があるかね? 自分たちの体をなげうって誰の得にもならない真実を証明する人間はこの場にどれだけいる? 誰も私を止めることはできない。死者の活動を止めることはできないのだ……』

 満足げに言い切ったエメット教授の吐息が聞こえた気がした。

 ジジッ、ジジッ、ジジジジ……

 それからはまたあのなにかが焼け焦げる音が続き、バチンッ……と、ボックスの中でアームが動く。どうやら一時間半分の音声の再生が終わったらしい。

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