調査する

 モーリス・エメット。

 一八四三年生まれ。出身はロサカニナ国エディル市の旧市街――元は貧民の出である。

 家族の血肉で培われたような金を元に、ボーディングスクールへ入学。優秀な成績が認められ、地元の貴族の支援と市からの奨学金を受けて名門のパブリックスクールへ転入。奨学金と支援が延長されるとエディル大学に進学する。専攻は医学。

 さらに大学在籍中に執筆した論文が評価され、彼は海峡を越えた先にある大国・イーリスへと渡る。イーリス国の首都にある非営利民間研究機関・パスチュール研究所にて正式な研究員として籍を置く。新設したばかりの研究所であり、当時としては珍しい微生物・感染症の基礎・応用研究を盛んにおこなう場でもあった。

 一八九七年・四月をもってパスチュール研究所を退職。同時にロサカニナへ帰国。

 同年・八月。論文を発表。現在はエディル大学にて教鞭を執っている。

 論文の内容については、現在審議中である――

(肝心の論文の記載はなし……か)

 エメット教授の著書を集め終えたアレクシスは、グレアムを待つ間にざっと書籍に目を通している。巻末部分に記された情報や刊行された医学雑誌のバックナンバーからある程度の略歴を得ることができた。

 だが……不可解な点がある。

 彼の名を知らしめることになった、論文の記載がどこにもないのだ。

 論文そのものはもちろん、研究内容の概要、タイトル、資料一覧表、草稿……なにを閲覧しても内容を覗えるようなものはなにもなかった。確かにエメット教授の特集記事はあちこちで組まれていたが、どれもが蔓延する噂話と学会の内容の聞き伝えが根幹となっていて信憑性に欠けている。

 まるで意図して消されているように論文そのものをにおわせるような掲載はされていない。国内でも権威を持つ医学雑誌・RMJ〈ロサカニナ・メディカル・ジャーナル〉でさえも似たような記事を掲載している始末だ。

(どうなっている?)

 アレクシスは文字の羅列から目を離した。

 読めば読むほど、噂にある『死者を甦らせた』という出来事に対して胡散臭さが増していった。

 人の口伝えは簡単に広まる一方で、人から人へと渡る毎に事実が削れていきやすい。かわりに付属するのが人の感想や意見からできた創作だ。それらはときに話を膨らませ、現実を捻じ曲げてしまう。

 つまり……このエメット教授の発表した論文というものは驚愕に値するものだったのかもしれないが、『死者を甦らせる』ものであったとは限らないということだ。

 とにかく、世間一般的に知られている事実はアレクシスの知る噂話と同等だということはわかった。問題は実際に学会でなにが起こったのか。なにを発表したのか。何故ここまで論文が伏せられているのか。

 アレクシスは完全に本を閉じ、積み上がった資料の山の上に置いた。

(そういえば……思ったよりも著書が少なかったな)

 グレアムに言われて集めた資料のほとんどが雑誌だ。エメット教授が直接関わった本というのはほんの一、二冊ほどしかない。それもイリス語で書かれており翻訳しなければその全容はわからない。基本的な文章ならばアレクシスも意味を汲み取ることはできるが、研究書ともなるとかなりの時間を要することになる。

「これは長い戦いになるな……」

 などと呟きながら溜息をつく。

 すると、肩越しからひょっこりと――グレアムが顔を出した。

「なにと戦うんだ?」

「……君とだよ。随分遅かったな」

「おかげさまでね。グラモフォンは手が震えるほど重たいのに、司書助手の彼女はなかなか手を離してくれないし、君は手伝いに舞い降りては来てくれないし」

「俺には翼がないからな。それで、諸々は借りられたのか?」

 金色の花が咲いたようなホーン。再生速度を調節するハンドル。艶を出したマホガニーのボックス。一般普及型のグラモフォンがアレクシスの前のテーブルにどっかりと置かれた。アレクシスは物珍し気にホーンの中を覗き込みながら、片手間に尋ねた。

「それが、なかなか難易度が高い望みだったらしくてね。学会内での音声記録は残されていないとのことだ」

「やはりそうか……」

「ふむ。どうしてこれをひた隠しにするのか、不思議だなあ」

「……これ?」

 振り返るアレクシスのすぐ近くで、ぽんぽんと軽い調子で金属製のケースが叩かれる。

「これだ。学会の開始から終了までを録音した音声記録」

「ついさっき残されていないといっただろう!? どうしてそれが君の手の中にあるんだ……!」

「正確には残されていない『とのこと』だよ。つまり表向きでは残されていなくとも、実際には残されている可能性があるという含みがあってだな……」

 グレアムは文句を並べながらケースの留め金具を外した。小さいながらもまるでトランクのような豪勢な造りをしている。開かれた中身も布張りになっており、袋や箱がついて様々なものが収納できるようになっていた。

 レコードは一枚一枚、紙で包んで丁寧に収納されている。

 もし、本物であるならば、エメット教授に宛がわれた一時間半ほどのシンポジウムが十八枚のレコードに集約されているはずだ。

「……本物か?」

「わからん。聞いてみないことにはな」

「どうやって手に入れた?」

「図書館司書の助手から人づてだ。ちょっとしたコネというやつだな。さあ、早く聞こうじゃないか」

 アレクシスが頷いたのを見て、グレアムはレコードを専用のスピードローダーにセットし始めた。レコードの容量はおよそ五分。長時間を要する交響曲などではいちいちレコードを入れ替えるのが面倒だということで――自動的にレコードを入れ替えてくれるスピードローダーが不可欠であった。

 スピードローダーに十八枚のレコードを挟ませ、ボックスの中の針の付いたアームにセットする。

 ガチッ、という連結音。

 さらに十八枚のレコードが順々に連結音を立て、元の場所から自動的にスライドしていく。さながら螺旋を描くように十八枚のレコードがずれていき……最後に、ガチンッ! と横に揺れ動くほどの音を鳴らして準備を完了させた。

 グレアムがゼンマイを巻き、アームを振る。寸前で、ガクッとアームのロックが外れたのを確認してからボックスを閉じた。一枚目のレコードがゆっくりと回りだす。アームの針は自動的にレコードを這い、再生が開始された。

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