なすりつけあう

 出かける準備をして、二人はポッド・ホールを出る。空気はひんやりとしているが陽光はさんさんと降り注ぎ、歩き回る分には申し分のない気候だ。

 中央広場まで歩き、大きなコの字型の建物に向かう。

 エディル大学図書館――百万を超える蔵書を持つ、エディル市の中でも屈指の巨大な図書館である。

 所々で石が欠け、無造作に置かれた積み木のような囲いの隙間を埋めるように木々がのぞいている。灰色の歴史を帯びた石材には、草が這い、花が咲き、過去の役割に幕を閉じていることを物語っている。重厚な存在感を維持しているのは、内も外も強固に作られた特性のせいだろう。

 学院内でも一際目を引く、堅牢な造りの建物だった。

「……レコード盤というものは脆くてデリケートだと思っていたんだが。そんな風に遊んでも大丈夫なのか?」

 グレアムの手には例のレコードがある。グレアムは相変わらず小さな穴に指を突っ込んでぐるぐると回し続けていた。

「物に当てなければな」

 昨夜、確実に自分の後頭部をぶち当てたことを思い出して、アレクシスはわざとらしく肩をすくめる。そして少しグレアムと距離を保ちながら図書館に入館した。

 外の自然光と相まって、まばゆい明かりが館内を照らしている。

 白く塗り替えられた天井はドーム状で、階下に吹き抜けて光を注ぐ丸窓がはめこまれていた。窓の周りには湾曲した絵画が描かれ、落ち着いた草色の壁には手動階段を多用した棚がぴたりと張り付き、寸法とジャンルで分類された書物が背を向けていた。床にはクリーム色とラベンダー色の細かい柄を描いた絨毯が敷かれており、その上には壁と同じ色の本棚が、やはりぎっしりと本が詰められて均一に並べられていた。

 グレアムは迷わず建物の右側奥にある螺旋状の石の階段へと歩いていく。アレクシスもそれに追随した。

 それぞれの階には学生たちの読書の場として机と椅子がそれぞれ設置されている。最上階である三階には、他にも音声保存された資料を再生するための個室も提供されていた。もちろん、学生ならば誰でも再生機器を含む資料の貸し出しが可能である。

 グレアムは歩きながら、ひとつひとつブースの中を目で確認し、空いたブースを見つけると素早く入り込む。ブースの中を分断するように長い木製のテーブルが置かれ、揃いの小さな丸椅子がテーブルの側面を縁取っていた。

「……このレコードの上演会でもするつもりか?」

「それも楽しそうだな」

 ひょうきんに頷いたグレアムは悠々と足を組んで丸椅子に座った。

「ではアレク、一階に降りてグラモフォン一式と指定の情報レコードを持ってきてくれ。そうだ参考書籍があるといいな、司書に言って持ってきてくるように依頼してくれないか」

「……なんだと?」

 アレクシスは思わず聞き返していた。

 ついさっき、圧迫感のある暗い石の階段を上ってきたばかりなのだ。

「聞こえなかったのかな? グラモフォン一式と、情報レコードと、参考書籍を……」

「そこじゃない。どうしてそれを一階にいるときに言わなかったんだ。ここへ来た次点で君の目的は決まっていたんだろう」

「忘れていたんだ。まあ、だからそういうことだ。行ってきてくれ」

「嫌だ。行くなら、お前が、行ってこい」

 ついつい、グレアムの口調も荒くなってしまう。

 部屋での睨み合いが再会されたようだった。

 互いに主張を譲らず、かといって譲歩するような声はかけない。視線は衝突したまま動かなかった。普段は人を馬鹿にしたようにわざとらしくおどけているグレアムも、珍しく眉間に力を入れてアレクシスを睨んでいた。

 数秒か数分か。

 このままでは勝負がつかない。

 アレクシスは先方を変えることにした。

「君、確か司書の見習いの子と仲がよかったな」

「……仲がよい、というのは語弊がある。たまたま寝床が重なっただけだ」

 グレアムが言葉をはぐらかした。どうやらうまく弱点を突けたようだ。

 アレクシスはここぞとばかりに言葉を紡ぐ。

「栗毛でおさげ髪で……そうそう、少し赤みを帯びたそばかすがあったな。君を忘れられなくて、何度もポッド・ホールに足を運んでは後をつけていたっけ。その後追い行為を咎めた若い巡査と恋に落ちてひと月で婚姻に至ったらしいんだが……なんて名前だったかな?」

「あー、それはおめでたいな。そんな仲睦まじい二人を僕が裂くわけにはいかない。なおのこと君が行ってお祝いの挨拶をしてくるべきだろう。ああ、僕の分も連名にしておいてくれ」

「君に直接御礼が言いたいらしいんだ。僕も人づてに頼まれていたことを今、思い出した。一階に行ってこい」

 グレアムは項垂れるように脱力すると、唇を内側に丸めた。子供がふてくされたときのように、地面を擦り蹴るように足を振り子のように揺らしはじめた。

「君が行くんだ」

 もう一度強く断言すると、グレアムはようやく立ち上がった。すれ違いざまに「……覚えていろよ」と低くすごむような声を吐き捨てられる。

 面倒くさい往復のために報復されるのも面倒だ。ふいにアレクシスの胸中を罪悪感が掠めたが、それ以上にグレアムをやりこめた勝利の快感の方が勝った。

 とぼとぼとブースから出て行くグレアムを見送る。

 満足げに丸い背中を見つめていたアレクシスだったが、すぐにおかしなことに気が付いた。

 グレアムは階段の方へ向かっていなかった。ただまっすぐ、建物の吹き抜けになっている中心部へと歩いている。嫌な想像がアレクシスの脳内で像を結んだ。

(いや……そんなまさか。あの男の精神がそんなに打たれ弱いわけがない。たかが昔の女に会って話をする程度だぞ?)

 ひたすら言い訳を自問自答するものの、目を離すことができない。

 グレアムは廊下の際で立ち止まり、なんでもない仕草で廊下の鉄柵に手をかけた。

(まさか――)

 グレアムは腕の力だけでひょいっと乗り越え……下に飛び降りた。

「おいおいおいおい!?」

 急いで駆け寄るも、いとも呆気なくグレアムの姿は見えなくなる。

 アレクシスはすぐさま柵から下を覗き込んだ。

 と――

「なっ……!?」

 甲高い悲鳴のような音の後に、ぶうん……と震えるような駆動音。心なしか風のようなものも感じる。熱気が昇ってきてアレクシスは目を細めた。

 なにが起きているのかを把握して視認するより先に、それは姿を現した。グレアムが、宙空をせり上がってきた。

 金属製の骨組みになにやら布を張った――翼。グレアムの背から取って付けたように広がっている。空中に固定されたようにその場を浮き続けていると、小さな唸り声に似た音が翼の根元から聞こえてきた。

「……なにをやっているんだ?」

「いや、なに。そういえば小型収納式飛空機関の実験をしようとしていたことを、今思い出したんだ。通常の飛行士が背負う飛空機関は熱を帯びやすく、またかなりの重量であるため、長距離の飛行や訓練を受けていない人間には不向きだが――僕が改良したこいつは特別な技巧は必要ない。まあバランス感覚が必要という意味では自転車くらいには乗れないと厳しいかもしれないがな。うん、背中がほんのりと暖かいが……まあ、今の季節には丁度いいだろう」

「それは今、このタイミングでおこなう必要があるのか? 大体、それはどこから持ち込んだんだ……」

「シャツの上、ベストの下に着込んでいた。改良版はかなり薄くしたからな。服の下に着込んでしまえば誰にも知られない。ただ、着る服を選ばないと翼が出せないんだ……どうだ、アレク、君もやってみるか? 慣れれば浮遊したまま眠れるぞ」

「結構だ」

 アレクシスは苛立ちを紛れさせるように提案を強く跳ね除けた。

 そしていつまでもその場を浮いているグレアムから目を離し、階下を見やる。

 下では突然の怪奇音と風圧に館内にいた学生が騒めきだしていた。グレアムの飛空機関がどういった構造になっているのかは見たところではわからない。だが、あまり目立たない外見の割には、下向きに取り付けられた噴射口から空気の圧が強めに放出されているようだった。真下に人がいたら危ないかもしれない。

 騒然とした個々の雑言の中には、グレアムの姿に低い罵倒の言葉を投げかけているものもある。実際に、なにか物をぶつけようと投擲物を探している者もちらりと覗える。

「とにかく、馬鹿なことをしていないで早く行け。その作り物の翼に学術書をぶつけられるぞ。 ……参考書籍くらいなら俺も探してやる」

「そうか! それは助かるな! うん! ではエメット教授の著書を頼む。おそらく寄贈されているだろうから見つけやすいはずだ」

 びりびりと鼓膜を揺らすような音を立て、グレアムはゆっくりと下降していく。

 グレアムを追いかけるようにアレクシスは叫んだ。

「寄贈? どうしてそんなことがわかる?」

「彼はこの大学に在籍する教授だ。本を出すにも金がかかる。この大学も一部の助成金を出しているからな、普通は寄贈しているはずさ。ではしばし、別れ! さらばだ!」

 高笑いをしながら一階に降り立つグレアムの姿を見ないまま、アレクシスはさっさと本棚に向かっていった。これ以上、他の人間に同類扱いされるような行動は慎まなければならない。

(まったく……)

 アレクシスはそそくさと棚の影に隠れるようにして、グレアムに言われた本を探しはじめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る