弁明をする

 次の日――

 朝から眩しい光が射していた。

 夏の頃と比べて柔らかく優しいものに変化しつつある。鮮やかな緑色の樹木も枯れた色が混ざるようになり、急速に秋の匂いが深まっていた。心なしか、窓辺から見る風も涼やかに感じる。

 風に揺れたのか、かた、と窓枠が音を立てた。

 と、同時に……。

「そんな荒唐無稽な頼み事があるのか?」

 アレクシスはグレアムから告げられた内容を理解するのに、何度も目を瞬かせた。

「あるんだなあ。事実、僕は頼まれたわけだ」

 眠たげに弛んだ目を擦りながらグレアムが答える。

 そして、しょぼ、しょぼ……と、いかにも徹夜明けで力のない顔が盛大に歪み、大きな欠伸を披露した。

 結局、グレアムはあれから一晩中、円盤を回したり、飛ばしたり、回しながら息を吹きかけて楽器のように演奏してみたりと、様々な方法を使って遊んでいたらしい。

 夜を徹してまでそんなことをしていたことに疑問を持ったアレクシスは、起き抜けてすぐにグレアムを問い詰めた。呂律の回らない舌が紡いだのは、いつぞやの女性の訪問、バーでの会合、妙な依頼とアカシックレコード……。

 もしかして、寝惚けた彼の創作なのではないだろうか……と未だにグレアムは疑念が払拭できないでいる。

「……それじゃあ聞こう。徹夜と、安眠妨害の、成果は出たのか?」

 円盤投げの的代わりにされたアレクシスは憎しみを込めて尋ねた。

「残念なことに今のところ成果はゼロだ。ああ、ただ――レコード盤に息を吹きかけて一曲演奏できるようになった。今は簡単なものしかできないが、いつかこれで交響曲を作る人間が出てきてもおかしくないぞ、アレク……!」

 グレアムは世紀の大発見とばかりに目をぎらぎらと輝かせて告げたが、アレクシスはあっさりと切り捨てる。

「ゼロ。そうか。ゼロか。じゃあ単刀直入に言おう。そんな頼み事は早く断れ」

「せっかちだな君は。たった一晩調べてみてなにも出てこなかったからといって、放り出すのか? 仮にも医師を志すものとしてその諦めの早さはどうだろうな」

 グレアムの言葉に、アレクシスは苦い表情を浮かべて唇を内側から噛み締め、吐き捨てるように呟いた。

「じゃあ勝手にしろ。ああ、勝手にするのは構わないが、調べ物をするなら部屋から出て行けよ。人の睡眠を妨害するのは許さない」

「言われなくても喜んで勝手にするとも」

 肩をすくめて笑ったグレアムはふと真顔になって話題を転換する。

「それはそうと……アレク、君、エメット教授の授業をとっていたな。彼になにか変わったことはなかったか?」

 尋ねられた瞬間、明らかにアレクシスの顔に狼狽が走った。

 顔色を見たグレアムの表情からアレクシスもそれを自覚する。相手に弱みを握らせてしまった。これ以上、表情から事情を悟られないように、アレクシスはわざと怒ったふりをしてグレアムから背を向け、コーヒーの粉が入った瓶を手に取る。

「…………」

 アレクシスは黙って自分のカップにコーヒーの粉を入れた。このコーヒーの粉は画期的な発明品だ。湯を注ぐだけで本物と変わらないようなコーヒーができあがる。昨今の技術開発と改良は目を見張るものがあった。普段ならば紅茶を選ぶところだが、今はカフェインの力を頼りたい気分だった。

 いつもよりだいぶ多めに粉を降り、沸かしたばかりの湯を注ぐ。

 舌が拒絶するほど濃厚で熱いコーヒーを、ぐっと喉に流し込んだ。

 そうやって冷静でなんでもない自分を造る準備を終えると、アレクシスは口を開いた。

「……彼は今、研究室を留守にしている」

「留守?」

「そうだ」

「ふむ……で、その教授の留守に君はどう関わっているんだ?」

「なっ――」

 アレクシスが勢いよく振り返ると探るような目と目が合ってしまった。

 口元を拳状の右手が覆い、にやにやと横に拡がっていく唇の端が見えてくる。

 また彼に図られたのだとアレクシスが気付くのに、時間はかからなかった。

「…………」

「まあ、そう、ぷくーっと膨れるなよ。別に君に金銭を要求するわけでも、見返りを求めるわけでも、なにかを命令するわけでもないんだから」

「膨れてなんかいない。それに、君の言葉は信用できない」

「そう言わずに言ってみたらどうだ? 困っているんだろ?」

 再びアレクシスは押し黙った。

 重苦しい空気とコーヒーの苦い香りが漂う。双方が相手の出方を覗い、黙したままねめつけ合う。グレアムは既に勝利を確信しているのか、自信たっぷりの笑みを崩さず、テーブルの上に頬杖をついた。

 やがて――諦めたように肩から力を抜いたアレクシスは小さなキッチンにもたれた。

「彼の講義が終わった後のことだ――」

 アレクシスはグレアム同様、昨日起こったことを言葉に直していった。

 教授からの異例ともいえる指名、取り巻きたちの執拗な追随、なんとか入ったトレント・ホールで会った教授の友人兼部下のアラスター・グラハム、そして教授の死体の発見と消失……。

「脈は絶対になかった。それに、あの出血なら、かなりの深い裂傷を負っているはずだ。よしんば動けたとしても必ずどこかに証拠が残る」

 気付けば、アレクシスは熱を込めて説明をしていた。

 どこか――自分のせいではないと、弁解しているような口調になっている。

 アレクシスも喋りながらそのことに気が付くと、話の着地点を見失って途中で口を噤んだ。

 一方のグレアムは両肘をテーブルについて顔の前で指を組んでいた。なにかを考えているような、思い出しているような、どこか遠い目をして、ここではない場所を見つめている。

 それまでアレクシスはグレアムの目を意識して見たことなどなかったが、茶色の眼差しが不思議な色を灯していることに気が付いた。紅茶よりも深い、どろりとした緋色がその目に宿っており、内側から輝いているように思えたのだ。

 不意に、目の中の焦点がこちらの世界に戻ってきて、アレクシスは慌てて身を引く。

「……図書館だ」

「うん?」

「アレク。図書館に行くぞ」

「なんだ、いきなり……」

 眉をひそめながら呟きながらも、ほっと内心で息をつく。

「そもそもどうして図書館なんかに行かなくちゃいけないんだ。教授がそこにいるとでも?」

「教授の行方はともかく……敵を知るにはまず情報収集することだ。教授に関わる人間、場所、物事、もしくは事件……それらを知るには図書館が最適だろう。僕もこのレコードを一応、聞いておきたいしね。ほぅら、互いの目的地が一致した。さあ出かけよう。楽しいおでかけだ」

 ぱん、と両手を打って、グレアムが立ち上がる。寝不足のせいでふらついてはいるが、暗示でもかかったかのように元気だ。高揚しているともいえる。

 大丈夫か、と言いかけたところで、勢いよく突き付けられた人差し指に阻まれた。

「いいから。早く脱いだ服を片付けて着替えろ。泥棒が入ったら下着を見られるぞ。恥ずかしいものはしっかりと隠しておけよ」

「はあ? 泥棒?」

 まるで泥棒に入られることが前提になっているような話しぶりだ。

 アレクシスは首を傾げたが、しばらくして「……下着?」と訝しげに呟く。途端にグレアムは胸を張って誇らしげに頷いてみせた。

「そうだ。僕は昨日、君の下着の色を守り通した。咄嗟の機転がなければ、あのお転婆なお嬢さんの目に君の薄汚れた下着が入っていただろうからねえ。君、もう少し慎みを持った方がいいよ」

「慎み。慎みか。まさか君に慎みについて説教されるとはね」

「君に欠けているものだ。さあ、さっさと床に撒き散らした下着を片付けて、図書館に行こう。早く。早く早く早く」

 グレアムに急き立てられて、アレクシスは渋々といったように床に散らばった衣服を回収していった。はあ、と溜息をついて――もちろん片付け自体に不満があったわけではない――グレアムをねめつける。

(……こいつにだけは言われたくなかった)

 今度からは服を脱ぎ散らかさないようにしよう。

 アレクシスはそう固く誓いながら、さっさと服を洗濯用のかごの中に放り込んだ。

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