頼まれる
食事は苦闘を強いられた。
料理自体は美味しかった。ミートパイはローストビーフを細かく刻んで作っているのか、ソースの香辛料に秘密があるのか、家ではけして食べられない味わいがあった。だが――その量が多すぎる。角度からして大きな円形のパイの三分の一はあるのではないだろうか。グレアムですら持て余し気味で、パトリシアは半分食べたところでフォークとナイフを皿に置いて、紅茶で腹がこなれてくるのを待っていた。チーズケーキにはとてもではないが手が出せない。
「ここは味の問題はないんだが量に難があるな。値段相応ではあるが……僕には辛いな。アレクシスは問題なく平らげるんだがね」
グレアムも完食を諦めてナイフとフォークを置いた。ナプキンで口を拭いながら倦怠感のある溜息をつく。
「では本題に入ろうか。君の話を聞こう」
「……そもそも、なんで私が人に聞かれたくない話をすると思ったのよ」
パトリシアはふてくされたようにカップに口を付けた。
「外出禁止以上の罰をおそれず、女性厳禁で部外者厳禁の男性寮や荒くれた学生でひしめくパブに出入りしているんだ。よっぽどの用事か――僕でなければいけない用事か。とにかく、わざわざ会って話さなければいけないような話なんて大抵が重要な話だ。しかも、嫁入り前の女性が男の部屋に入ってまで話すとなれば他人には聞かれたくないだろう」
「はいはい。わかったわよ。人払いどうもありがとうございました」
悪態と共にカップを置き、「それじゃあ話すわよ」と前置く。頷いたグレアムが座り直した、ほぼ同時のタイミングで――パトリシアは自分のドレスのスカートの裾を捲った。なにかを見せようとしているのか、取り出そうとしているのか、目的を持ってスカートをたくし上げる。
「……あー」
「……」
「……パティ?」
「……」
ドレスの下はプリーツの入った紺色のアンダースカートから始まり、柔らかいバネによる折り畳み式のバッスル、レースとフリルで構成されたペチコート、タックと刺繍の装飾が付いたズロースが続く。パトリシアはどうやらバッスルに用があるらしく、アンダースカートを片手で持ち上げ、もう片手でバッスルを探っている。
難航しているのかなかなか目的の物は出てこない。そもそもバッスルは物を入れておくような場所ではないはずなのだが、パトリシアは困ったように首を傾げつつ、手を上下に動かし続けていた。
(手伝おうか、と言うべきなんだろうか)
グレアムは固唾を飲んでパトリシアの奇行を見守った。
「これ? うーん、違う、これ……いや、こっち……」
ぶつぶつと独り言を言いながら腕を深く突っ込む。
やがて、「……あった!」という声と共にようやく目的の物を引っ張り出してきた。
声につられてグレアムも彼女の手に注目する。
平坦な黒と銀の円盤。中心には穴が開いている。直径はパトリシアの掌が隠れてしまうほどだ。
「珍しいものを持っているな」
「ええ。これはグラモフォンの円盤型レコードよ」
蒸気機関の発展からおよそ百年。その間に発明された機器は数知れない。
今や日常生活の一部として組み込まれているものもあれば、競争に蹴落とされて表舞台から消えたものもある。用途や形を変えて発展したもの。思いもよらなかった方向へ転換させられたもの。あらゆる道具が変化し、道具を使用する人もまた変化を求められている最中だ。
グラモフォンも現代に代表される有名な発明品のひとつである。発売されて十年も経たない間に貴族や余裕のある家庭にはじわじわと普及し始めていた。
柔らかい針の付いたターンテーブルに音声を細い溝状に記録したレコード盤を置き、針で振動をなぞらせて音にする。元は盲人への介助用の道具だったのだが、今ではすっかり音楽鑑賞のひとつとして取り入れられていた。有名な指揮者や演奏家の曲を一枚作ってしまえば複製は簡易で、手軽に家で音楽を楽しめる。好きなタイミングで停止、何度でも再生ができる、かかるのは初期費用とレコード代だけというのは、会場での生演奏とは異なる利点ではある。特に、演奏会に足しげく通えるわけではない層には魅力的だったようだ。
グレアムも何度かレコードの演奏を聞いたことがあるが……やはり生演奏とは比べものにならないという結論に至った。グラモフォンで再生するにはゼンマイを巻く必要があり、そのゼンマイを一定の速度で巻かなければ正確な演奏は再生されない。それに――これは素材の問題でもあったが――レコード盤はひどく摩耗しやすく割れやすいため、音声のひび割れが必ずといっていい頻度で入っていた。
「……レコードだけなのか?」
当然、レコードはそれだけでは意味がない。
再生するためのグラモフォン本体が必要になるのだが、通常のものは小さめのサイドテーブルほどの大きさで、持ち運びなどできたものではない。グレアムは冗談のつもりで尋ねてみたのだが……。
「今日は持ってきていないのよ。持ち出そうとしたらみつかっちゃって」
「……」
まったく表情を変えないところからして、本気で言っているらしい。
「まあ、このレコード、なにも音声は入っていないみたいだから聞いてみても意味はないわ。だから問題なのは別のところにあるはずよ」
「問題? まて、まったく話が見えないんだが――」
「このレコードについて調べてほしいの。このレコード――アカシックレコードについて」
「……アカシックレコード?」
話が突飛すぎる。
グレアムは眉をひそめた。
「アカシックレコード……というのは世界で起こった出来事がすべて記録されているという近代神智学における概念のことだろう。歴史が時間の流れにしたがって配列され、どんな些細なこと――たとえばそれが超個人的な物事であっても、過去も現在も未来でさえも事細かく綴られている……それは概念であるが故に形状に正しいものはない。ある者はこの世界ではない場所に存在する神の図書館、ある者は解読不能な言語によって記された書籍、またある者は世界の記憶貯蔵を目的とした解析機関だという。 ……だがなあ、もしそれがそうだとしても、レコードと名を冠しているだけにレコード盤だというのは端的すぎないか?」
確かに音声情報の記録という意味では間違いではないのだろうが……世界のすべてを刻むには少々物足りないというか圧倒的に容量が少ないというか……どこか拍子抜けしてしまう。
「大体、そんなものは現実に存在しない。どこぞの占いと同じカテゴリーに入るものを持ち出してきて今度は訪問販売の真似ごとか? 言っておくがストッキングは間に合っているからな」
「馬鹿ね。なにがストッキングよ、誰が履くのよ」
「決まっているだろう。アレクだ」
「……そうやって本人のいないところで本人の評判に関わるような冗談は言わない方がいいわよ」
パトリシアは呆れたように呟くと、スカートを綺麗に直し終えてソファにもたれた。
「ところで……モーリス・エメットという人物を御存知?」
「大学の有名人らしいね」
会ったこともなければ顔も知らないが、名前と有名たる所以は知っている。何故なら黙っていてもアレクシスが話題にするからだ。必須の講義の担当教員が彼に宛がわれてしまったとかなんとか……そんなことを言っていた記憶がある。彼が学会で巻き起こした騒動も耳にも目にもした覚えはあるがおぼろげであった。
そんなグレアムの曖昧な記憶を見抜いたのか、パトリシアは溜息混じりに頷いた。
「ええ。正確には今やロサカニナ全土において有名人だけど。このアカシックレコード、昨夜、彼が家に持ってきたのよ。夕食前だったかしらね……約束もなく家に来て、そのまま夕食を食べていったの。その後、父と歓談して帰っていったんだけど、そのときにこのレコードを父に渡したの。これは大事な『アカシックレコード』だから、君が保管していてくれって」
「……その父上というのは、アカシックレコードがどういったものか知っているのか?」
「知らないでしょうね。『こんなレコードなんか持ってきて、あいつは馬鹿じゃないのか』ってぶつぶつぐちぐち、文句ばっかり垂れてたから。期待していた土産じゃなかったから彼が帰ってからはずっと不機嫌だったわ」
「だろうな。父上とモーリス・エメットはおそらく学友関係だろう。そうでなければ夕食前に現れて迎え入れるようなことはしない。ともかく、父上の態度はよくあることだ。古く長い付き合いの学友なんて、よっぽどのことがない限りそんなもんだろうからな。友人が有名人になったら会話のネタにするか、自慢のタネにするか、はたまたおこぼれを与ろうと纏わりつくか」
「酷い言い草ね。貴族の当主を相手に」
「だが君は否定をしないし怒らない。事実なんだろ?」
顔色を覗うような質問にもパトリシアは答えない。ただ、一瞬だけ眉尻がぴくりと引きつった。
なにやら複雑で面倒な問題が垣間見えた気がして、グレアムはパトリシアから目を背けた。家庭の問題は他人が口を出すべきではないし、介入できたとしてもそれはやはり他人事の領域からは出ていない。知りもしない型にはめ込もうとして中途半端に荒らすのは適切ではないだろう。
家族語りをされないだろうか。グレアムは密かに身構えていたがパトリシアの口から出たのは別の話題だった。
「……あなたにそのアカシックレコードの解読をお願いしたいの」
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