曝けだされる

 いつかの日のように、庭園公園を抜け、都会のひと区画へと足を運ぶ。

「……グレアムのやつ、また別の女連れてるな」「女? 前に下級生の男連れてなかったか?」「あいつ爺さん婆さんと体を絡めながら駅裏を歩いてたぞ……」

 大した距離でもないのに、そんな囁き声があちこちから湧いてきた。

 そんな声が耳をつく度にグレアムは殊更パトリシアと密着した。もちろんその都度、パトリシアは眉間に皺を寄せ、さりげなくグレアムを小突いて反撃し、小声で皮肉を繰り返した。

「なんでそんなにべたべたくっつくのよ。歩きにくいじゃない」

「エスコートしているんだ。この道は転びやすいし滑りやすいし、なにより人の往来が多いから……」

 と、グレアムはさりげなく肩にパフの付いたライラック色のドレスを着た婦人から目を逸らす。苦笑しながらすれ違う婦人にパトリシアが首を傾げていると、今度は小間使いらしき若い少年が、「あっ!」と声をあげて、慌てて立ち去っていった。

 挙句、フラウンスが五段もついたエプロンを付けた女性が、こちらに走り込んできたかと思うとにっこりとグレアムに笑いかけた。グレアムもつられて笑みを浮かべ、互いに微笑み合う。

「この裏切者」

 一瞬だけ憎々しげに目を細め、恐ろしい形相で睨みつけ、彼女は二人を避けて去っていった。グレアムは溜息をついてパトリシアの方に片目を瞑ってみせた。

「……あなた、本当に最低な素行の持ち主なのね」

「ふむ。噂というのは勝手に跳ね回るからねえ」

 グレアムは砂利を蹴って先を進み、やがて一軒の店の前で歩を緩めた。

 ポッド・ホールから一番近い飲食店――パブ・レイヴンヘッド。

 三階建ての建物で、一階は真っ赤な塗装で塗りたくられ、中の二階と三階部分は真っ黒、そして屋根はまた赤い。薄汚れた茶色で統一された建物が多い中、この界隈では一際目立った外装である。

 学生で溢れるパブの扉を押すと、熱気と歓声が出迎えた。真昼だというのに既に茹で上がって真っ赤になった人間がテーブルを囲んで笑い声をあげている。そのほとんどが若い顔ぶれだ。

 パブに入った途端、きょろきょろと辺りを見回し続けているパトリシアの手を引きながら、グレアムはバーカウンターへ向かう。途中、色々なものに興味を引かれるパトリシアに振り回されそうになるのを、なんとか制しながらカウンター前に辿り着く。

 カウンターの中で忙しなく動いていたのは女性だった。グレアムの背後で「あっ」という小さな驚きが聞こえてくる。上品な顔立ち、表情の作り方、振る舞い――こんな場所でアルコールを提供している人間だとは――まして女性だとは――想像していなかったのだろう。頭頂部へと高く纏め上げられた金髪の塊はまるで帽子でも被っているかのようだ。そしてなにより、こんな場所に埋まっているのがもったいないほど繊細で綺麗な容姿をしていた。

 グレアムがさりげなく背後に目を向けると、パトリシアが彼女の頭に注いでいた視線を伏せたところだった。それからあまり視界に入れないようにしながらグレアムに続いた。

 グレアムは口角をぐいっと上げてカウンターの中の女主人に話しかける。

「やあヴィッキー。女王様。今日のランチ、まだ残ってるかな?」

 カウンターの中で忙しそうに動く女性――ヴィッキーが、手を動かしながら振り返った。そしてこの店の中の誰よりも大きな声で言い返す。

「グレアム! あんたっ、こないだ踏み倒した酒代、返しなさいよ!」

「あれは踏み倒したんじゃない。飲み比べで負けた方が支払う賭けだったのに負けた奴がトイレから逃げたんだ。請求するなら奴に……」

「どっちが払おうと私は構わないの。私にとって重要なのはどっちが払うかじゃないから。払われるかどうか。それだけ。後から賭けで負けた人に請求すればいいだけのことでしょうっ! さあ、早く、九シリ六デンス! きっちり返して!」

 周囲から驚愕のどよめきと口笛が鳴った。

 一シリもあれば一番安いジンが三杯は飲める。レイヴンヘッドお手製のチェリー・ブランデーを瓶で三本以上開けなければそんな金額にはならない。なにせこの辺りでは一日の生活費分ほどに該当する額なのだ。彼女の請求は学生でなくとも痛手となるものだった。

「うーむ。仕方ないな。もし奴が現れたら奴からも請求してくれよ? そして私に金を返してくれ」

 折り畳まれた紙幣を一枚、ブレザーの内側から取り出してヴィッキーに手渡す。

 ヴィッキーは「毎度、どーも」と明朗に告げると、六枚の銅貨をグレアムの掌にのせかけて止めた。

「ランチ代も徴収するわね。あと二シリ頂戴。そっちの新しい彼女の分も?」

「頼むよ」

「彼女じゃない! ……冗談じゃないわ、こんなの」

 パトリシアが悲鳴をあげるように甲高く叫ぶと、またしても、バーカウンターに座っていた人間がざわざわと声を波立たせた。

「露骨に言うわね。この子、大物じゃない? グレアム?」

「まあね。変わっているんだ。そんじょそこらでは見かけないタイプだよ……ああ、そうだ、個室は開いているかな?」

「……汚すようなことをするなら他のパブを紹介するけど? レッド・イーグル亭とか」

 グレアムはランチ代の追加分に銀貨を二枚渡しながら肩をすくめた。

 レッド・イーグル亭ならグレアムも何度か利用したことがある――駅からも大通りからもやや離れた場所にあるパブで、高級売春婦が根城にしていることで有名だ。

「彼女と静かな場所で話をするだけだよ。あまり人に聞かれたくないようだし」

「ふうん。そうなの。それじゃ、さらに二シリ追加ね」

 にっこりと微笑むヴィッキーに、グレアムは溜息をついて銀貨を放り出した。

 グレアムから渡された代金を、ヴィッキーはまとめて小型自動開閉式キャビネットに入れる。甲高いベルの音が鳴って自動的に鍵がかかった。最近、開発されたレジとは別物だが、なかなか使い勝手がいいらしい。

「ランチは私が持っていくから、先に上に行っててもらえる?」

「ノックを忘れないでくれよ?」

 彼女が調理のためにカウンターの下に潜り込んでしまうと、グレアムは踵を返してパトリシアの手を引いた。

 部屋の奥にある階段を上っていき、二階に到着すると、階下を見下ろせる廊下がぐるりと一階を囲うように続いている。グレアムは無造作にすぐ近くの個室の扉を開けると、さっと扉の横についてパトリシアを誘導した。

「さあ、どうぞ」

「……わあ」

 パトリシアはゆっくりと歩を進め、部屋の中に入っていった。

 辺りを物珍しげに見回し、ついには部屋の中心で立ち止まる。

 大して珍しいものはない。

 部屋の突き当たりにある長方形の大きな窓には赤と白の二種類のカーテン。全面に貼られた植物柄の赤いクロス。照明と冷暖房機を兼ねたガトリング・ガンの銃身に似たオブジェ。もちろん、温度計付き。真珠色の革張りのソファは一人掛け用と二人掛け用の二つが猫脚のテーブルを挟んで設置されている。オットマンやクッションも用意され、かなり居心地のいい場になっていた。

 なによりも特徴的なのは――パブの個室の割に面積を広く取ってあり、ソファはさらにもう一組、乱雑に置いてあった。

 パブという場には異質な部屋かもしれないが、取り立てて特別なものや貴重なものはない。あまりにも嬉しそうに部屋の物品を弄りだしたパトリシアに、グレアムは顎を撫でながら切り出した。

「……君、今までパブに入ったことはないのか?」

「まあ……一応、貴族の娘なのよ。ここに入ったことが知られたら外出禁止にされるわね。いえ……もっとひどいことになるかもしれないけれど」

「ふうん。君の性質からして、こっそりと遊び歩いているかと思ったが。意外とお淑やかなんだな」

「お淑やかならもうとっくに嫁に出されてるわよ」

 確かに。言われてみればそうだ。

 グレアムは合点がいくところがあって、小さく頷いた。

 見たところ、パトリシアの年齢はグレアムやアレクシスとそう変わりはなさそうだ。この年齢ならば――特に貴族の娘ならば――結婚をしていてもおかしくはない。いい相手がいなければ花嫁修業と称して上の階級の貴族の元へ奉公に出されるだろうし、フィニッシングスクールの講師見習いという道もあっただろう。妹が異国へと留学することができたのだから、どんな手も打てるだけの金銭的余裕はあるはずだ。

 グレアムの探るような目に気が付いたのか、パトリシアは面倒くさそうに二人掛けのソファの真ん中に座り込んで呟いた。

「……こう見えても、家庭教師なの」

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