これが出会い

 ジュエリートレイに敷かれた赤いベルベットの上にはネックレスがひとつだけのせられていた。

 金の塊のようなヘッドの部分に艶消しの細工が施され、葡萄の葉や実がいたるところに掘られている。そして六つの石が円を作るように鎮座していた。

 ルビー、エメラルド、ガーネット、アメジスト、ルビー、ダイヤモンド。小さな石ではあるが透き通った色合いははっきりしている。様々な色が隣り合っているせいか、デザインの緻密性よりも雑多な印象が先行するのだろう。

「派手だな」

 アレクシスの口からついて出たのはそんな感想だった。

 だが、反対側に座っていたパトリシアは前のめりになって甲高い声を上げる。

「……これって! 指輪と同じ石の組み合わせじゃない!」

「ん? あ、そういえば」 

「気付いたか」

 グレアムは脚を組んでゆっくりと椅子に背中を預けて座り直した。

「どういうこと? この石の組み合わせに意味があるっていうこと?」

「だが色も名前もバラバラだ。可能性があるとすれば誕生石……数字……硬度……頭文字?」

「頭文字……R、E、G、A、R、D……『REGARD』? 好意とか尊敬とか」

「それが答えだ」

 グレアムの悪戯っ子めいた笑みがより深まり、アレクシスは正解を確信する。

 そしてしかめ面でグレアムの言葉を待っていたが――黙ったままだ。

「――それで?」

「それで、とは?」

「どうしてわかったんだ」

 補足説明を促すのは気が進まなかったが、グレアムの隣で訝しい顔をしているパトリシアのためにも仕方なく突っついた。

「単なる知識だ。考えるまでもない。脳内の書棚や引き出しが教えてくれる。これはセンチメンタルジュエリーと呼ばれる類のものだ。ジュエリーの中に相手への密かなメッセージを込めるところが特徴。今、見せたもののように宝石の頭文字を取って単語を形成するもの、使われている題材から意味を連想させるもの、あるいは直接的なメッセージを書き残しておくものと様々な趣向で告白を後押しする。最近、じわじわと増え始めたものではあるが――こうしたメッセージを込めるというジュエリー自体は二百年ほど前から存在している。別段新しいものではないが流行の兆しが見え始めているものだ」

「……つまり、こういったものがあるということを知っていたというわけね。それで? どうしてセシルにぴったりだって言えるの?」

「君は指輪のモチーフが人の手が握手しているものだと言っていた。結婚指輪というものは、まだ結婚式のように結婚をわかりやすく示したものがなかった頃、周囲に対するわかりやすい相互合意を示すためのものだったとされている。握手というものは調和や親和性を表し、合意の一番わかりやすい形でもある。その指輪というものは昔の指輪のデザインを使用している可能性が高い。もしくは――昔のデザインを今風にアレンジしたものだろう。今は金や成長鉱物なんかが周流だが、昔のジュエリーは銀が主役だったからな。GAとやらはセシルの好みがわかっていたから、わざわざ昔のアンティークを引っ張り出してきて昔の手法でプロポーズをしたんだろう。石を入れてメッセージを完成させてほしいだなんて懐古主義――いや懐古趣味の彼女にはぴったりなんじゃないのか? GAとやらは、手紙のやり取りだけだったとしてもセシルのことをよく知っていたようだな」

 一人で深く頷いたグレアムは、話し終えると思いっ切り伸びをした。

 ウォールナット材の骨組みが軋み、花の彫りが入った細い足が傾く。独特な蔦模様を散りばめた濃紺の布地が、きしきしと不思議な摩擦音を立たせる。

 存分に筋肉を伸ばしたグレアムの後で、糸が切れたようにパトリシアが溜息をついて背もたれに倒れ込んだ。アレクシスはグレアムの座っている席の肘掛けに片手を突き、目頭に指を当てて悩ましげに眉を寄せた。

「……ひとつ、聞きたいんだが」

「うん?」

「その話は宝飾店に赴かなくてもできたんじゃないか?」

「現物を見た方がわかりやすいだろう」

 目だけを動かしてアレクシスを見やるグレアム。

「間違ってはいないが極端すぎるだろ……大体、なんだってこんな高そうなものを持って来させたりなんかして……どうやった?」

「別に。堂々と見せてくれとお願いしただけだ」

 しれっとした言い草にアレクシスは呆れたような視線を向けたが、グレアムは意に介さない。テーブルの上のジュエリートレイは、店員がさりげなく持ち上げて、どこかへ持っていってしまった。

「……確かに、そうね」

 無言を貫いていたパトリシアがようやく口を開く。

 不自然なほどもたれた姿勢のせいで顔は完全に上を向いている。子供が遊ぶようにアームチェアを前後に揺らし、それでも――こちらと顔を合わせる素振りはなかった。意地でも顔を向けない。表情を覗わせない。目を見せない。

「セシルが外国から帰ってきたときにわかったの。この子はもう、後ろをついて回るような子供じゃないって。立派な淑女だって。私の腕の中にはもういないんだって。でも――それでも私が守らなくちゃいけないって。だから、セシルが手紙の相手と結婚したいって指輪を見せてきたときはすごく驚いて、悲しくて、怒ったわ。絶対に相手を突き止めて、セシルに相応しいか見極めようって考えた。本当にセシルを任せてもいいのか知りたかった」

 パトリシアの話に耳を傾けているものはいない。

 おそらく――アレクシスを除いては。

「でも違ってた。私はセシルのことをちゃんと知らなかった。あの子の変わったところを私は見向きもしなかった。だから、GAがセシルのことを考えて指輪を贈ったことも気付かなかった。よかった。セシルの喜ぶことを知っている男だって知ることができて」

 パトリシアは勢いをつけてアームチェアから立ち上がった。グレアムを一瞥し、そしてアレクシスを正面から見据える。

 やけにきらきらとした目ががっちりとアレクシスを捉える。

 透明度が高いというのか、青い部分が大きいというのか。光彩と白目との境界から目を離せない。ここに陳列してあるどんな宝石よりも、美しく、素晴らしいカットだとアレクシスには思えた。資産価値に換算することなどできはしないが、もしできるのであれば、とんでもない額がつくに違いない。

 守らなければならない。瞬時にそう、頭の中に概念が叩きこまれた。

「……本当に、ごめんなさい。そしてありがとう」

「あ、いや……別に、構わない。それより、GAについては心当たりがないから、正体を明らかにできなくて、そっちの方は本当に……申し訳ない」

 彼女の謝罪は当然のものだ。現にグレアムはそういう態度をとって踏ん反りがえっている。

 だが、何故か……アレクシスは逆にパトリシアに対して照れ臭そうに謝っていた。そしてそれは嫌な感情はひとつも沸いてはこない。ただただ、照れがじりじりと体を焼き付ける。

「でも――」

「ん?」

「この男はなんか気に食わない! なんていうか……なにを言っても人の神経を逆撫でする! なんで!? どうして!?」

 そのまま体を突いてしまうほどの力強さで、パトリシアはグレアムを指さした。

 さされたグレアムは飄々とした態度で首を傾げる。

「さあ? どうしてだろう?」

「その態度が腹立つの! 絶対わざとでしょ!!」

「僕にも、どうして人を不快にさせるのかわからないんだ――さて、アレク。買い物を済ませてしまおうか。それでは決闘はまた別の機会に。失礼する」

 立ち上がったグレアムは有無も聞かずにさっさと出入り口に歩いていく。

 残されたアレクシスは、戸惑いながらも、口早にパトリシアに別れを告げて追いかけた。

(力になれなくて、すまないな……)

 後ろ髪を引かれる言葉を心の中で呟いて、アレクシスは明るい陽のさす外へと出て行く。

 外ではグレアムがショーウィンドウを背にして立っていた。

「それでは買い物の旅を再開しようか」

「君が金を出すんだからな」

「わかっているとも。さあて、冷蔵庫にはなにがあったかな?」

「……チーズ、だ! まったく! もう少し自分の罪状を認識しろ!」

 知らない彼女とのやり取りなどなかったことのように、いつも通りの会話を始めて、灰色の道を歩いていく。

 それから何度も、宝飾店の方を気にして振り返りながらも、アレクシスたちは食料品を扱う店へと歩み去っていった。

 これが――パトリシア・メイヤーヴェールとの出会いだった。

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