初めて見る

 庭園公園の砂利道を進む。

 小高い丘の上に作られた庭園公園は全体的に緩やかな坂になっており、周囲は森で囲まれている。出入り口に近付くにつれ、最近建てられたばかりの学生専用の団体施設――いわゆるクラブ棟が木々の間から申し訳程度に姿を現してきた。比較的新しい建物であるせいか、背が低い割に、明るい煉瓦色が存在感を際立たせていた。あまり使用頻度は高くないのか、生徒の声は聞こえてこない。なんのために作られたのか――クラブに所属していないアレクシスにはわからない。

 ひっそりとした建物を横目に通過すると、目の前に唐突に巨大な道が現れる。馬車同士がすれ違いながら入って来られるような広い道幅だ。

 まるで、都会と庭園を継ぎ接ぎしたような道を歩いていく。

 人気の少なかった庭園と異なり、ここは既に都会のひと区画なのである。

 グレアムとパトリシアはまるで踊るようにさっさと歩いていったが、アレクシスは未だに雑踏をうまく進む技術が乏しかった。二人の頭を見失わないようにしながら、人や馬車を避けて進む。

 道を行き交うのはほぼ学生だが、中には大学で教鞭をとっている教授らしき紳士や、その関係者、もしくは家族がめかしこんで馬車を走らせていた。馬車がスピードを落とさずに道を曲がっていく音は、二ブロック先からでもよく聞こえる。

 巨大な交差点に差しかかったところで、黒く艶のある馬車がいきなり現れた。アレクシスは寸でのところで避けたが、馬車の真後ろに回り込んでしまった。さらに間が悪いことに、スピード制御のために排出された蒸気がアレクシスの頭上に降り注いだ。

「わわっ!!」

 熱はこもっていないのだが、咄嗟に腕で頭を覆ってしまう。

 過剰な反応をしてしまったと思いつつもゆっくりと腕を下ろして取り繕うと、蒸気の煙の向こうでにやにやと笑いながら立っている男がいた。無論、グレアムである。

「最近の馬車には鞭や餌の他に蒸気式圧力抑制機関が搭載されているらしいなあ。馬の疲労を軽減させているのはいいが、あー……操作の度に人が咳き込んでいるような音が響くのはいただけないな。それに――これは気のせいじゃないぞ――絶対に、蒸気に紛れて馬糞の粉末が飛んできている」

「ようやく……追いついてきた人間に……かける言葉が……それか?」

「お大事に」

「まったく……やっぱり最低な男だな」

「君を待っててやったのに、その言い草はないだろう?」

「頼んではいない!」

 言い合いながら無事に交差点を横断し、石造りの巨大な箱を眼下に捉える。

 既に慣れたものの、それは異様な光景だった。

 灰色の石でできた巨大なエディル駅。元々、この場所は浅い渓谷だったらしい。城塞に攻め込む外敵を足止めするための深い溝だった。

 国境線を守る必要がなくなった今では、首都を繋ぐ主要な交通路になっている。この近隣では最大規模の近代建築物だ。

 石で出来た外装に細い鉄の支柱。列車の上を遮る黒く汚れた歩道橋。いたるところから生えてきたように設置されている看板と指示表記。駅の中にそびえる時計塔の下には、待ち合わせらしき人々が群れ、改札からは分刻みで人がどっと流れてくる。

 何十本と路線を繋いでいるホームでは、ひっきりなしに離発着が繰り返され、笛の根が響き渡った。白と黒の蒸気が立ち上り、換気の窓とフラップが一斉に稼働する。

 丸く、高い天井にはガラスがはめ込まれ、ホームの中に眩く熱い光を注いでいた。

 ときどき黒い影が遮るのは、空を通る定期空送便の小型飛行機だ。

 三人は駅を行き交う人の流れに乗って駅に入り、構内を通り過ぎて別の出入り口へ。

 旧市街から新市街へ。

 そこはなんら旧市街と変わらない街並みが佇んでいる。

 見た目では新旧の違いなどアレクシスにはまるでわからない。しいて言うならば、こちらの方が婦人や商売人の姿が多いくらいだろうか。

 グレアムは駅を出てすぐに通りを右に曲がった。そこは小さな百貨店やホテル、ちらほらと華やかな商店も軒を連ねている通りだった。

 それまでずっと、黙りこくって歩いていたパトリシアの目の色がさあっと変わった。

 声に出すことも、立ち止まることもなかったが、目を輝かせながら通り過ぎるショーウィンドウを覗いた。アレクシスは後ろからパトリシアの様子を観察していたが、自分の妹となんら変わらない彼女の姿に、ほっと胸をなでおろした。

(よかった。決闘を申し込んできたり、すごい勢いで走ったり……貴族の娘っていっても、俺の妹と大差ないんだな)

 ふと、前を歩くグレアムの足並みが、ややゆっくりとしたものに変わったことに気が付く。黒い頭が振り向くことはなかったがパトリシアを気遣ってのものかもしれない。

 パトリシアは知ってか知らずか、ちらりとアレクシスに横目を使って笑いかけてきた。

 どんな反応をすればいいのかわからないグレアムは、へらりと笑って返す。

「さあここが終点だぞ諸君。 ……アレク。君はなーにをへらへらしているんだ?」

「へらへらなどしていない」

「いーやしていた。間違いない。馬糞のせいだな?」

「していない。それと、馬糞の粉塵は、断じて浴びていないからな」

「……あなたたち、本当に仲がいいのね」

 会話の応酬に挟まれたパトリシアが呆れたように呟いた。 

「仲がいいわけじゃない。言い返しているだけだ」

「ああ、仲がいいというより――よく懐いているというべきか」

「人を愛玩動物扱いか?」

 再び始まった言葉の殴り合いに、パトリシアは盛大に項垂れた。深い溜息をついて前を歩くグレアムをじとりとねめつける。

「さっさと店に入らない? 変人紳士さん」

「それもそうだ。ではレディファーストだ、お転婆淑女さん」

 黒塗りのドアを大きく開いて、恭しく腰を曲げてパトリシアに道を譲る。

 その礼をする仕草は手慣れた紳士のものだった。パトリシアのドレスが完全に店の中に入るまで、グレアムは身じろぎせずにドアマンになりきっていた。後ろで突っ立っていたアレクシスに先に入るよう、ウインクをして促してきたが、グレアムは不愉快そうに顎を突き出して先に行くように示した。

 グレアムに続けて入った店内は、床も天井も黒く染められていた。

 小さな花がいくつも咲いたような豪奢な細工のシャンデリアが輝き、室内を、ショーケースを、その中の宝石たちを照らしている。

 店の中は間口の割に広々としていた。

 たくさんのショーケースが美術館の展示のように置かれ、ところどころに鑑定士や販売員らしき人間がレンズゴーグルや革手袋つけて立っていた。ときおり、レンズゴーグルを装着した店員が辺りを見渡すように首を動かす度に、レンズによって拡大された眼球がぎょろぎょろりと威嚇した。

 ショーケースの中には照明を当てられて一層煌めいている宝飾品が並んでいる。

 細かい歯車の彫りが入ったルビーとダイヤモンドの指輪。天然の真珠とエメラルドのペンダント。花をイメージして作られたアメジストのブローチ。宝石にさほど詳しくないアレクシスも、細工の細かさと石の光に思わず息をのんだ。

「……すごいな」

 こんな店に入る機会など滅多にない。

 アレクシスはきょろきょろと辺りを見回した。

 派手な帽子をつけた御婦人がネックレスの試着をしている。まだ若い夫婦が仲睦まじくショーケースを眺めている。緊張した面もちで一点のジュエリーの前から離れない中年の男がいる。加工された石に魅了されたように、諸々の衝動に突き動かされている印象があった。

 と、フロアの真ん中に設置されたアームチェアに悠然と座り込んだグレアムが視界に入って、顔をしかめた。本来、店員と客が商談をまとめたり、取引の待機をしたり、太客の接待の際に使われる場所だ。冷やかし同然に来店した人間が――しかもシャツとズボンでノーネクタイ、ノーコルセットの若いグループ――堂々と座るには不躾だ。

 案の定、さりげなく店員が近寄っていき、グレアムに何事か話しかけた。

 揉め事になったら間に入らなければ。アレクシスは早足でグレアムの元に歩み寄る。

 だが――店員はグレアムと二言三言、言葉を交わし、アレクシスがグレアムの近くに寄るまでの間にその場を離れてしまった。

「やあ、宝飾店は初めてかな? アレク」

「君は初めてじゃなさそうだな。グレアム」

「まあな。座ったらどうだ?」

 アレクシスは肩をすくめて首を横に振った。あからさまではないが、他の客がちらちらとこちらを盗み見ているのはわかっている。

「いや、止めておく。それより早く話を進めろ」

「話?」

「指輪の宝石のことだ」

「ああ。それでは彼女を連れてきてくれないか。あそこで鑑定士と談笑中だ」

 グレアムが示す先を目で追う。

 丁度、黒いスーツと鱗張りのコルセットを着けた鑑定士がレンズゴーグルを外したところだった。パトリシアは宝石や彫金などには目もくれず、装飾品の輝きに劣らない好奇心の光を、古めかしいレンズゴーグルに注いでいた。差し出されたレンズゴーグルを嬉しそうに装着してみたり、逆さまにしてみたり、繋目をなぞってみたり……そして何事か指摘したりして、鑑定士を質問攻めにし始めた。

 鑑定士はにこやかに応えているが、そのすぐ近くに身を置いた支配人らしき男は威圧感を与えようと一歩ずつ近付いていた。アレクシスがいる場所からでも靴の踵の軽やかな音は聞こえてくる。

 パトリシアは威圧など風の音に過ぎないとばかりに、意に介さない――否、気付いてすらいないのかもしれない。

「……彼女、なかなかおかしいな」

 グレアムが「ふうん」と息をつきながら、呟いた。

「今頃気が付いたのか。かなり、だいぶ、いや、君寄りのおかしさだ」

 アレクシスは呆れて首を傾けながらも、気を取り直して姿勢を正した。

 そして真っ直ぐの姿勢を保ったままパトリシアの方へ歩いていき、「失礼」と声をかける。

「目的をお忘れでは?」

「目的? ああ、覚えてるわよ。もちろん。 ……ありがとう、これ面白いわね。自分で作ってみるわ」

 鑑定士にレンズゴーグルを返してパトリシアはアレクシスの傍をすり抜け、さっさとグレアムの隣に腰かけた。

「……自分で作ってみるって?」

 疑問を投げかけるもそれは独り言に終わる。

 アレクシスもグレアムの元に戻ると、離れていったはずの店員がジュエリートレイを持ってやってきた。

「おまたせいたしました」

「おお。ごくろーさん」

 軽い調子で指を振ったグレアムを一瞥もせずに、目の前の小さな格子柄のテーブルの上にジュエリートレイが置かれる。

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