振り回される

「ええと……あの、よかったらベンチにでも座らないか?」

 言うに困って出てきた言葉にアレクシス自身が困惑した。

 だが一番驚いているのはパトリシアだ。目を丸くしてアレクシスを見つめている。瞬きもないまま、空を溶かしこんだような青い光彩にアレクシスを映していた。

 しばらくして、こっくりと首を縦に動かしたパトリシアは、黙ってベンチの方へ移動した。

 日陰を維持するためのパラソルが付いたL字型のベンチは、座面の温度を快適なものに保っている。座り心地は悪くないが人が座ったことを感知すると熱を排出するために、ぶうん……と低い音が震えた。この振動が人によっては気持ち悪く感じるらしく、ベンチに人がいることは少なかった。

 ただし、今のようにあまり人に聞かれたくない話をするときは別だ。

 パトリシアの後に続いてアレクシスも距離を作って白いベンチに腰を下ろす。遅れて、グレアムも大きく開いた二人の間に座った。このベンチは三人掛けなのだ。

「…………」

「…………」

「……それで、これ以上、なにを話すというんだ?」

 堂々と脚を組んだグレアムは交互に二人の顔を覗き込んでくる。

 両側から冷たい視線を一身に受けても、態度が改まることはない。むしろ肩をすくめてウインクをする始末だ。ふざけているのか、本気なのか、生活の大半を共にしているレクシスにも、この男の真意は未だにわからない。

「ふざけているのか? まだ君の疑いは晴れていないんだぞ」

「もう晴れた。君が晴らしてくれたんだ」

「事実は告げた。だが、納得できるかは彼女が決めることだ。それに、俺はお前のなにもかもを知っているわけじゃない。裏で妙な画策していてもおかしな話ではないからな」

「僕がそんな、大した人間に見えるか?」

 微笑を浮かべるグレアムに、アレクシスから「ああ」という音がたちまち消え失せていった。確かに、こんな面倒臭い手を使ってまで人と付き合うような人間ではない。

「……いや。違うな。やっぱり、君は自ら結婚を望むような男じゃない」

 アレクシスが力なく首を振ったそのとき。

「それじゃあGAっていうのはあちらが動いてこないと、どういう人間なのか本当にわからないのね……」

 グレアムの体の向こうから、そんな声が聞こえた。

 力の入っていない小さな声音だった。けれども、「んーっ! もうっ!」という甲高い呻き声はかなりの声量で、すぐ隣に座っていたグレアムはびくっと肩を跳ねさせていた。続けざまに肩を落として息をついている。幾分か落ち着いてきたようだった。

「……はあ」

「すっきりした?」

「しない。けど、グレアム・アシュベリーがGAじゃないかもしれないっていう方に、少しだけ傾いた。確かにそうよね……手紙の消印は首都か外国だったし」

(どうしてそれがわかっているのに、グレアムを容疑者に放り込んだんだ……)

 アレクシスは突っ込みを入れたくなったが黙って苦笑を浮かべた。

 互いに気まずい空気が漂いだしたところで、グレアムがふと思いついたように口を開く。

「ああ。そうだ。単純に気になることがあるんだが」

 俯いたパトリシアの顔を覗き込んで、グレアムは訊ねた。

「GAの贈ってきたセンスの悪い指輪……あれはどういう意味なのかな? 石が欠けているとも言っていたが」

 決闘を申し込んできた相手に対する会話とは思えないほど、どこか緩んだ雰囲気で話しかける。パトリシアも困惑したようで、一瞬言葉が出てこなかった。

「え、ええ。そう。センスの悪い指輪。そうよ。まるで子供が作ったような指輪なの。人の手が握手しているモチーフで、リング部分は銀なんだけど指輪の側面に石が六つも付いているの。その内の一つが空洞になっていて、石が欠けているのよ。そこだけ石が入っていないの」

「石が六つ……? なかなか豪勢な奴だな」

 話を聞いていたアレクシスは思わず顔をしかめた。

 金の指輪はもちろん、そこに入れる石が六つともなると、そのGAという男の入れこみ様が伝わってくるようだ。

「でもどの石も色や種類に統一感がなくて……派手だけどそれだけ。なんていうか、金にものを言わせて作らせた、みたいな……セシルはずっと、空いた穴にどんな石を入れるかで悩んでいるみたいだけど……」

「さらに石を追加する? それだけ派手なら一つくらいなくてもわからないだろう?」

「……手紙に書いてあったのよ。『……もし、君に結婚の意思があるのならば、その欠けた穴に石を埋めて示しておくれ』って。なんとも胡散臭い、まどろっこしい誌的な文章でね。セシルは一生懸命なんの宝石を入れるか考えているわ。正直、なにを入れても派手なのは変わらないと思うけど」

「ふむ。ちなみに石の種類はわかるかな?」

 グレアムがずいずいと顔を覗き込んでくるのが鬱陶しいのか、パトリシアは虫でも払うように何度も顔を背け直す。嫌そうな顔は浮かべながらも、質問にはしっかりと答えた。

「ええと……順番までは覚えてないけど……ダイヤモンド、ルビー、エメラルド……あと、ガーネットとアメジスト……だったと思う」

「……確かに派手だ」

「ああ派手だな」

 緑や赤や紫の色合いを思い浮かべて、二人はほぼ同時に頷いた。

 同時に、アレクシスは自分の母が着けていた結婚指輪を思い出していた。

 指の根元を巡っていた金色の輪は至って質素で、石が付いているかどうかわからない。細身の輪には確かに赤い石があったと思うが本物かどうかも危うい。

(金持ちの考えることはわからんね)

 アレクシスの家はとりわけ金持ちというわけではなかったが、父親が医者という職に就いていることがあって金に困った経験はなかった。それでも上流階級に食い込めるほどの財力に届くわけでもなく、中途半端な位置に居ることは確かだ。宝飾品にはとんと縁がなく、唯一、目につくものといえば、父親の時計と母親の指輪くらいである。それらですらアレクシスの記憶通りの安物だ。

「本当にそれが送付されてきたのか?」

「ええ。手紙と一緒にね」

「……なるほど。懐古主義というより懐古趣味だ。妹さんにぴったりな指輪だよ」

 グレアムは一人で納得すると、パトリシアの顔を覗き込むのをやめて、ベンチの座面から擦り落ちそうになりながら体勢を崩した。そのまま足を伸ばし、腕を伸ばし、狭いスペースの中で体を一直線に伸ばす。

 そして間抜けな声を出しながら、大欠伸。

 グレアムの一変した態度に、アレクシスは呆れて肩をすくめた。

「なんで彼女にぴったりだなんて、わかるんだ」

「そういうデザインだからな。ルビー、エメラルド、ガーネット、アメシスト、ルビー、ダイヤモンド……」

「待って。なんで順番がわかるの? それに、ルビーはひとつだけ……」

 パトリシアが遮るも、グレアムは素知らぬ顔で口をもぐもぐと動かして、欠伸の余韻を楽しんでいる。

(またそうやって、人をおちょくって楽しんでやがる……)

 人を馬鹿にするような言動がないだけ普段より穏やかな方ではある。

 グレアムが講義中の教授に噛みついて、教授の顔色をころころと変えさせるのを幾度となく見てきた。もちろんグレアムは教授の間違いを指摘したわけではなく、教授の示したいことを先回りして言い続けるという、傍から見ていても不快な遊びを披露したのだ。人の感情を良くも悪くもくすぐり続けるいやらしい男――付き合いが長くなってきた今でも、グレアムのそういう部分は好きになれない。

 嫌な男。だが、不思議と人にもてる。

 こういう中身の人間だとわかっていても、老若男女、誰もが彼の近くにいたがる。

 大体が一夜限りで、中には三時間ほどの付き合いから半年という長期間の猛者もいるが……ほとんどが彼と長く付き合えた試しがない。それはけして、この性格のせいではないことはわかっている。

 なにせ、アレクシスは半年も彼との同居を続けているのだ。

 彼が本当に嫌いなら部屋から出て行くこともできた。寮を変えることも、なんなら実力行使で追い出すこともできたはずだった。

 それができなかったのは――

「どうしても、知りたい?」

 仕掛けた悪戯に相手が引っかかったときに浮かべるような、無邪気な笑み。

 傾げた首につられて、パトリシアは頷いてしまう。

 アレクシスは胸を膨らませて息を吐くと、「ああ。ぜひ、聞きたいね」と告げた。

 グレアムのえくぼの穴はますます深まる。

「では、行こう」

「……どこへ」

「決まっている。宝飾店だ」

 グレアムは勇んで立ち上がり、黙って歩き始めた。

 さっさと先を行くグレアムの背中を、しばらく見つめた後、アレクシスは端に座っているパトリシアを見やる。まったく同じタイミングでパトリシアもアレクシスに目を向けていたらしく、がっちりと視線が絡まった。

 彼女に明らかな狼狽が覗える。

 アレクシスは、曇りのない青い視線に照れながら言った。

「……君を騙そうとか、はぐらかそうとか、そういうことは考えていないと思うよ。あの男はそういう輩じゃない。それだけは保証する。俺は、彼についていこうと思うんだが……君はどうする?」

「……行くわ!」

 ぱっと腰を上げて、アレクシスに微笑みかける。

 疑念よりもなによりも、彼女の中にある好奇心が勝ったらしい。強気な笑みをたたえたパトリシアは、ドレスを着ているとは思えないほどの素早さで駆け出していた。

 ハイヒールではなくブーツをはいた彼女の足元がちらりと露わになり、草や土がスカートを汚す。アレクシスは肩をすくめて、それから自分も慌てて二人の後を追いかけた。


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