【火曜日、22:57】

(もう残業が当たり前かのように感じてきた。しかも、ただでさえ忙しいのに俺がミスをやらかしたせいで残業が伸びてしまった。長々と説教するぐらいならさっさと仕事に切り替えろよ、あのクソハゲ上司。)


座席はすべて埋まっていて立っていたのは俺とほか数えられるくらいだった。扉から扉までのスペースに伸びている横に広い座席には疲れ切ったサラリーマンがほとんどで、各自居眠りだったりスマホを操作していたり目的の駅に着くまでの暇つぶしをしていた。


(にしても、真ん中に座ってるサラリーマン、ハゲ方があのクソハゲ上司と同じじゃねーか。見てるだけで腹が立つ。頭をパチーンと叩き込んでやりたい気分だ。)


そのサラリーマンは電車の揺れに合わせながら首を垂れて居眠りしていた。まるでハゲ頭をアピールしているかのように見える。

ふと、まばらに立っている乗客に目をやるとしれっともう一人の『俺』がいた。そして、『俺』はゆっくりと居眠りしているサラリーマンの目の前まで歩いてきて腕を振りかぶった。

(まさか、やめろよ。それだけはやめてくれ!!)

普段神頼みはしないくせにこの時だけは強く祈った。


しかしもう一人の『俺』は全くの躊躇を見せず。眠っているサラリーマンのハゲ頭めがけて強く平手で叩き込んだ。


話し声さえない車内にパチーン!!と叩いた音が響き渡る。


目の前で起こった突拍子もない出来事に唖然としていた。周りの乗客は気づかないふりをしているのか不思議とこちらを見ようともしなかった。

何も言葉が出てこないまま戸惑っていたら、叩かれたサラリーマンが衝撃で目を覚ましてしまった。


すぐさま、叩かれたサラリーマンのそばまで駆け寄る。

「すいません!大丈夫ですか!?」

俺がやったことではないけれど、多分俺がやったことになる気がしたので思わず声をかけた。

「えっ?何かあったんですか?」

「いや、その・・・コイツがあなたの頭をパチーンと・・・叩いてしまったので・・・」

「どういうことですか?」

「えっ、だからコイツですよ、コイツ!」

隣を指さしながら目をやるともう一人の『俺』はまだ叩き足りないのか手を振りかざしタイミングをうかがっているところだった。

電車がガタンと揺れた。それと同時に『俺』がハゲ頭にもう一発叩き込む。


パチーン!!と音が響き渡る。

乗客全体がガタンと動く。

サラリーマンの首もガタンと揺れる。


「今叩きましたよ!コイツ叩きましたよ!」

『俺』を指さしながら思わず叫んだ。

「さっきから何言ってんだ?疲れてるからほっといてくれ!!」

「ああ、すいません。でもコイツが・・・」

「そこには何もないじゃないか!!何を言ってるんだお前は!!」

「えっ、コイツが見えないんですか?」

「ふざけんのもいい加減にしろ!!」


「次は~××谷~××谷~。」


プシュ~と音が鳴り扉が開く。ハゲ頭のサラリーマンは怒りながら降りて行った。残された俺に乗客の冷たい視線が突き刺さる。ただ今は恥ずかしさよりももう一人の『俺』の姿があのサラリーマンから見えなかったことが気がかりだった。

(もしかして、もう一人の『俺』って俺以外に見えていないのか?)

冷たい視線は全て俺に刺さっている、もう一人の『俺』には誰も気にしちゃいない。もし俺が二人いた場合は両方見てもおかしくないはずだ。


もう一人の『俺』は満足そうな顔をしてまだそこに立っていた。

(こうなったらドッペルゲンガーだろうと関係ない。一か八か、とっ捕まえてやる。それで全てがわかるはずだ。)


俺はもう一人の『俺』の周りに両手を広げ捕まえようと重心を移動する。そして捕まえようとしたその瞬間、電車がガタンと揺れた。俺はバランスを崩して転んでしまった。

もう一人の『俺』はというと俺の抱きつきを華麗なステップでかわし、扉の近くまで移動していた。


「次は~○○坂~○○坂~」


プシュ~と音が鳴り扉が開く。幾人かの乗客が降りて、その後に降りた人と同じくらいの人数が乗り込んでくる。もう一人の『俺』はいつの間にかいなくなっていた。


(昨日のスマホと言い、もしかして、コイツは絶対に触らせてくれないのか!?)


●●町駅で降りるまで冷たい目線は俺を突き刺し続けた。

もう一人の『俺』は結局現れなかった。

ホームに降りた俺は疑惑が晴れないまま車両をただただ見送ることしかできなかった。

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