年次が繰り上がった四月の末、二年生になった飛鳥が新歓で歌っていた姿がSNSで拡散された。去年の冬に流行した映画主題歌で、女性歌手が報われることのない愛を歌ったそれは、飛鳥の豊かな低音によって耳の奥から身体の深くまで染み渡るように響いた。


 初めに上げたのは同じ大学の知らないやつ。ただの大学生の日常アカウントにしてはけっこうな数のシェア数が付いて、いくつか転用された投稿も回っていた。動画に寄せられていくコメント数に目が回りそうだった。なにより、後ろにいた俺たちごと飛鳥といっしょくたに"すごい大学生バンドだ"と紹介されていることに、胸のあたりがむかむかした。


 二週間にして大学中の学生が知ることとなった元動画を、俺と鮎川は食堂にて二人で眺めていた。さっき食べたばかりのカレーが逆流してきそうだった。


「なんか気持ち悪い」


 ちょっとしたお祭り騒ぎになっているそれに、肯定的なコメントばかりが増えていく。同じ大学のやつらがそれらに乗っかっているせいで拡散が止まらないということも気にくわないし、口々に上手い上手いと褒め称えられている動画の中の自分の姿は居心地が悪く、再生すればするほどネットの海へと乖離していくような気がした。ドラムを叩く自分が裂けて分離してどこかへいってしまうような。


 顔をしかめる俺に対して、対面の鮎川はスマホを片手に小さく笑った。


「別に俺たちが気にすることないんじゃない。この祭りの主役は結局のとこ久世なんだから」

「そんなこといわれてもよ」


 そうすぱっと割りきれるかよ、だって動画に映っててコメントの対象になってんのはまぎれもなく俺なんだぞ。そういおうとした俺とは裏腹に、俺のことを横目で見ていた鮎川の口角が、ゆったりと弧を描く。


「なあ三島、俺たち素人が本気になったらおしまいだよ」


 鮎川鳴海というやつは、そういうことをさらっといってのけるやつだった。柔らかそうに見えて堅い。芯があってそつがなく、自分の立ち位置をちゃんと見ている。今の時点でけっこういいとこの内々定を選べるくらいもらってるあたりも、俺よりずっとしたたかだと思う。


 鮎川は正しい。だけど、その正しさによって胸の奥のほうの痛みは増した。絞り出した声は我ながら言い訳がましかった。


「わかってんだよ、そんなことは」


 青春と呼ばれるもののなかで、俺が一番頑張ってきたことはきっとドラムを叩くことだった。毎日練習して、手首痛めたり足が筋肉痛になったり、何回やっても同じところでつまずいたり。そうしながらも徐々に叩けるようになって、やれることが増えていった、けれど、それが結局のところ今後のなんに役立つというのだろう。この武器だけで戦っていく自信は俺にはなかったし、これだけでは何者にもなれない。


 高校生から大学生になっただけでも見える景色は全然違う。いろんなとこから人は集まるし、行けるところも増えた。そうやって世界が広がったぶん足がすくんで、何もできなくなっていたときに、俺は久世飛鳥と出会った。あのまっさらな無限大の後輩に。


 背筋がぞくぞくする。五感に歌声が満ちて空間とひとつになる感覚。音が鳴るたび目の前がきらきらと輝くような瞬間を、知っているのにあきらめなければならないこと。鮎川鳴海がとっくに割りきっていたそれに、俺はずっと上手く踏ん切りをつけられずにいた。けど。

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