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高校時代からずっと、俺は軽音楽部だった。
メトロノームのカチカチとリズムを刻む音。それを、朝は早起きして、放課後は空がすっかり暗くなるまで、毎日部室で聞いてはドラムの練習をした。リズムを狂わせてはいけない。それでいて、何年ものあいだほとんど毎日練習をしていたはずなのに、うっかりするとすぐに身体はこの感覚を忘れる。
講堂の天井のライトがカッと閃光を放つように光った。一斉に音が鳴り響いて、叩きつけた振動が全身に轟いて、腕と手首と足の痺れと耳鳴りと、誰かの叫び声でなにもかもがめちゃくちゃに合わさる。この、音に飲み込まれる瞬間が好きだった。そのまま演奏ごとめちゃくちゃになっていくことも多かったんだけど。
叩いて、喚いて、叫んで、音が耳の奥まで充満して、目の前にある景色が、世界が、眼裏に光の残像だけをのこして自分ごと融けていく。技術がなくても気持ちがよかった。上手くなくったって全然いい、荒削りってやつ。スポットライトを浴びて、俺たちは今の俺たちにしか出せない音を出して、講堂には同級生たちの歓声と拍手が渦巻いている。これが青春なんだと、息を弾ませながら恍惚とした表情で考えていた高校時代の自分を、今ではさすがに若かったなと思う。だけどあのときのまばゆさは本物だった。
大学生になってから、いろんなところから来た人間と出会って、俺の世界は高校のときよりずっと広がった。ただ気持ちがよくてスカッとして、かっこいいから続けてきた俺なんかより、ずっと真剣に音楽というものに向き合っている人間も、楽器がめちゃくちゃ上手い人間も何人か見てきた。いつのまにか、もうあのときみたいにがむしゃらに自分のためだけには叩けなくなった。かといってドラムを辞め切ることもできなくて、代わりみたいに髪を金に染めて、でも特定のバンドを組まず、ただサークル内を漂うように広く浅くの関わり合いをつづけていた。そんなときに、俺は久世飛鳥と出会った。
三年生の春、飛鳥の後ろではじめて叩いたときのことを、俺はきっと一生忘れない。
軽音の名を冠したサークルはいくつかあったが、俺たちの所属するサークルはそんなに目立つ方でもなく、所属している人数は二十人ほど、そして新歓で新しく来た一年生たちに一曲ずつやってもらうという伝統があった。まあ、歌でも楽器でも勧誘したての一年生にいきなりそれをやらすっていうのは、つまり、俺たち上級生が新入生たちの味見をしていくっていう、悪趣味な慣習でもあったわけだけど。
飛鳥はサビのワンフレーズを歌ったあとに楽器が入っていくという曲を選んだ。まだバンドも結成していない彼ら一年生のため、足りないポジションには俺たち上級生がフォローに入る。
歌う前、飛鳥はくるりと振り向いて、後ろにいる俺たち楽器メンバーに頭を下げた。かしこまった様子も緊張している様子もなかった手慣れた動作に、Tシャツに黒っぽいパーカーとジーンズという出で立ちのくせ、どことなく演奏前の指揮者やピアニストのようだと思ったことを覚えている。
分厚いカーテンに閉めきられた薄暗い教室の中で、唯一教壇のところの電灯だけがついている。その付近にいる俺たちだけが照らされていて、部屋の向こう側までを見通すことができた。
それほど大きな授業に使われるわけでもない教室。閉ざされた入り口。壁側に積み上げられた机や椅子にもたれながら、片手に缶ジュースを持って、冷やかしのように少し口の端を上げている上級生。床で膝を抱えながら自分たちの番を待つ、緊張の面持ちの一年生。合わせて三十人弱。メトロノームのカチカチと揺れるリズムを思い浮かべていた俺まで、飛鳥の息を吸う音がマイクを通して聞こえた。
そして、信じられないほどよく通る、よく伸びる、一点の狂いもない彼の歌声が始まった。
あ、はい、こいつ歌上手いわ。その感想が脳にしっかりと届くまでには演奏は終わっていた。余韻で背筋が震えている。
拍手するでもなく褒め称えるでもなくざわついている教室の面々へ、彼はニコッとひとつ笑みを浮かべて、またクラシック奏者のような優雅な礼をした。
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