高校三年生の秋、最後の文化祭でいっしょにバンドを組んだクラスメイトが腕をダメにした。そいつは俺の後ろでドラムを叩いていて、背もそんなに高くないし細いし普段は眼鏡をかけた大人しいやつなのに、スティックを握ると別人みたいに激しくなるところが「いいねえ」なんて思っていたのだけれど、最後だからとはっちゃけすぎていたらしい。左右の腕が腱鞘炎になっていたうえに右足の筋肉もつって、首の筋も痛めていてという状態だったのだと聞いて、おいおいまじかよと思っていた次の日くらいに、そいつの母親が血相変えて学校に怒鳴り込んできた。


「これから大学受験も控えているのに、こんなになるまで部活動を止めないで、学校は何をお考えですか?」


 いやもう十八だし自分でコントロールすればいいのでは、となんでか軽音部の顧問と一緒に呼び出された俺は思った。満身創痍になってまでドラム叩けとはだれもいってねーし、さすがにそんなになるくらいなら自分から降りればよかったのにと思ったり、まあ気づかず無茶させてた俺も俺なのかなとかいろいろ考えていたら、そいつの母親が真剣な目で俺を見て、


「久世くん、あなたは息子の将来に責任が持てるの?」


と声を震わせながら聞いてきた。少し間を置いたあと、「はい?」と答えに困って聞き返した。


「要約すると、あなたのせいで息子はドラムを叩くのをやめられなかったといっているの」

「俺は、あいつにドラムを強要したことなんてありませんけど」

「だけど息子は、毎日あなたのためにって遅くまで練習を繰り返した。言葉にしていなくても、雰囲気には出ていたこともあるんじゃないかな。あなたは、とても歌が上手いんでしょう? 無意識に周りに自分と同じレベルを求めていたことがないと言い切れる?」


 それ俺のせいか? と口走る前に顧問が頭を下げていた。


 家に帰って兄にこのことを話しても「あー、相手の子のどうしようもなく惹かれる気持ち、ちょっとわかる気がする」とかなんとかいわれたし、姉二人も「うーん、絶対的な才能って罪よね」「飛鳥のせいではないとは言い切れないわよね」とかいってたので、解せぬ、と思った。


 後日、謝罪兼見舞いに行ったとき、両腕包帯ぐるぐる巻き、片足は吊って、首にはコルセットという大惨事のそいつにめちゃくちゃ呆れて、「おまえ自分にくらい自分でセーブかけろや」といったら、


「だって久世の歌すごかったし! おまえが俺に向かって笑うの見て、こいつのためにも生半可なことはできないって思ったから、練習やめられなかったんだ!」


と、叫ばれた。心底だからどうしたと思った。


 後ろを振り向いて、ドラムを叩くそいつを見て、笑いながら来いよといったのは俺だけど、いつもはくそ眠い行事のときしか使わない体育館の舞台を照らすスポットライト、すごく輝いていたその下に立ちたいと思ったのも、上手くなりたかったのも俺の後ろにいたかったのも、全部おまえの願望のくせに。


 今まで生きてきた中で一番解せぬことはそれだったのだが、今夜、付き合ってた彼女に三ヶ月でグーパンされたことも加わった。



「なあ兄貴」

「あー?」

「父親が不倫してて、母親がそれの悪口ずっといってて、弟がそのせいで髪を真っ赤に染めたってどういう状況だと思う?」

「なんの話!?」


 隣でテレビを見ながら高いアイスを食っていた兄は、思った以上に大きな声を出した。反射的にちょっと兄から距離を取ろうと身体を傾ける。


「バンドメンバーの話」

「はあ? いや、待て、まじかそうか、今流行りの毒親かあ」


 難しい顔をして唸りながら、兄はバニラアイスをまた一口食べた。


「なんつーか、やっぱそういう家庭って大変そうだな」

「うん、話聞いた限りしんどそうだった」

「おーう、そうか、まあ、そうだよなあ。同じ屋根の下に暮らしてるんだからさ、家族がどんなふうになったって逃げられないもんな」

「逃げられない」


 そういわれて、逃げられない井岡というものを想像してみた。追い詰められた想像上の井岡は、部屋の隅っこにうずくまりながら耳を塞いで泣いていた。あいつ身体はでかいけど強くはないし、比較的泣き虫だから、ほんと毎日その状態で身を縮めて泣いてそうだなと思った。少しそわそわした。


「おまえも大学生になって少しは人として成長しただろ。ちゃんとまともに励ましたりしてあげれば」という兄に、「うん」と返した。


 次の日、大学の本館にあるサークル共有スペースに寄ったら、美山モニカが「おいコラ」と腕を組んで仁王立ちして待っていた。こいつはうちのサークルの中でも女子のまとめ役なんかをしているやつなので、思わずめんどくせえと嫌な顔をしてしまった。昨日のグーパン案件について、何かいいたいことがあるんだろう。なにせ昨日別れた彼女もうちの軽音サークル所属だし。


「あんたはさ、音楽やってる女子でもダメならだれとなら大丈夫なんだ? あん?」

「うるせえ余計なお世話だ。同じ軽音でも別におまえのバンドのメンバーじゃないくせに、なんだよ、おまえになんの関係があるんだよ」

「夜中に電話かかってきてあんたの愚痴に二時間付き合わされた身にもなりなさいよ!」

「知るかよ!」


 そう返したところで、今度は俺のことを気に入らないと公言してはばからない野島薫という男が奥のほうからやってきて、すれ違いざま「おいおい、キーボードの彼女と別れたんだって?」とわざとらしくささやいていった。顔を合わせたところでろくに口も利かないような相手にまで筒抜けとかどうなってんだよ、昨日の今日でサークル中が知ってるってか。


「おいてめえモニカ! 人のプライベート垂れ流してんじゃねーぞ!」

「あんたが三ヶ月記念日もあの子の誕生日もないがしろにしたのがいけないんでしょ!」


 原因まで筒抜けかよ! と内心めちゃくちゃツッコんだ。


 今日は井岡は来ない。あいつはバイトを入れたけど俺はもう一限授業がある。でも授業中ひまだったから、井岡と会話すべくスマホを手に取った。


『好きなの五曲あげて』


 送ったメッセージに、『はい?』という返信がすぐに来た。


『なんでもいいから あとおまえいつもは何で音楽聞いてんの?』


 『動画サイト』というこれまた即答に、まじかよこいつCD聞く文化ないのか、と若干困った。

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