Song for you

 ドラムがいてベースがいて、俺はギター弾けるし、それだけでもスリーピースバンドができるうえにうちには音大のキーボードがいるんだから完璧じゃね? とある日呟いたら、難しい顔をした鮎川さんに「あとはおまえの言語センスな」といわれた。


 言語センスって、と思いつつ「じゃあとりあえず本をたくさん読みます」と答えたけれど、英文科必修の授業で訳してるシェイクスピアはくそ面倒くせえし、あれのことをいっているならそれはそれで、俺には一生身につかねえ代物だなっていうのと、欲しいとも思わないなということを、ギター担ぎながら考えていた。


「飛鳥くんの歌は小さな宇宙みたいだ」


 バイトの新歓でカラオケに行ったとき、俺が歌い終わったばかりのまだ暗転している部屋にて、井岡瑞希はそういった。


 ノリは良いんだけどどちらかというと内向的で、普段もそれほど口数が多くない井岡は、そのとき少し酒を飲んでテンションが上がっていたのかよくしゃべった。


「へー、どこらへんが?」

「なんかね、飛鳥くんの声を聞いてると目の前の世界が急に広がって見えるっていうか、銀河系みたいなきらきらした空間に連れていかれる気持ちになる。そんなふうに、別の場所へ連れていく力があると思う」


 すごいとか素敵とかはいわれ慣れていたけれど、そんなことをいうやつは初めてだったからなんか感心した。そういやこいつはバイト終わりによく本を買っていたし、さすがは書店員、人とは違うことをいうと思った。「鼓膜で震えて、小宇宙が広がっていくよう」とそのまま歌詞にできそうなことをつらつらという井岡に、鮎川さんがいっていたのはこれのことかとちょっと納得した。


 ちょうど隣り合って座っていたから、なんとなく気になって「俺の歌は好きか?」と聞いてみると、井岡はふわふわした笑顔で元気よく「うん!」と答えた。こいつ今けっこう酔ってんなと思った。


 井岡がいった小宇宙という例えが思いのほかよくて、というかめちゃくちゃかっこよくね? と思ったので、彼女に「なあ、俺の歌って小宇宙みたいじゃね?」とメッセージを送ってみたら、大きなはてなマークを浮かべた熊のスタンプが返ってきて、解せぬ……と思わず帰りの電車の中で唸った。


 次に井岡とシフトが被ったとき、井岡はノリは良いんだけどあまり自分から話しかけてこない元の井岡に戻っていて、まあいつも通りといえばそうなんだけどもなんかこう、おまえもっと俺に話しかけることあるじゃん? なあ? みたいな、そわそわした気持ちになった。こういうときに限って客は少ないし時間が経つのは遅いし、こいつはラストまでいねーしとイライラした。井岡は隣にいるのにこっちを向こうともしないでぼーっとしている。


「ひまじゃね?」

「そうだね」

「帰りたくね?」

「や、私はあと一時間で帰るけど」

「カラオケ行かね?」

「いいよ」

「は?」


 ぼーっと突っ立ってるだけのくせに秒速でいいよと答えた井岡に、聞いた俺のほうがびびった。おまえそれ、正面見据えたまま即答する話じゃなくね?


「え、俺のシフトあと四時間くらいあるけど」

「まあじゃあ待つよ」

「なんで?」

「え、なんでって」


 ようやく呆れた顔でこっちを見た井岡は、いつも通りの淡々とした口調で「飛鳥くんの歌、もう一度聞きたいし」といった。


 今日は酔ってないくせににこにこして俺の歌を聞いている井岡に、ああそうなんだ本当に俺の歌好きなんだおまえふーん? という、なんだか妙に得意な気持ちになった。なんでだろう。好きだのすごいだの素敵だのは、聞き飽きたくらい何回もいわれてるのに。


 帰り際、終了十分前のお知らせが来たあたりからずっと静かになっていた井岡が「吐きそうなほど寂しい」と言い出したとき、あー、そういうのやっぱ俺が持ってないもんだわと改めて思ったから、「俺と一緒にバンドやらね?」といってみた。


 寂しいといって落ち込んでいたくせに井岡は「は?」と、なんだこいつみたいな目で見てきて、だけどそういったわりには素直にも後日ちゃんと俺の大学までやってきた。



 井岡から「助けて」と短いメッセージが来たとき、急に光ったスマホの画面が眩しくて少しだけ目を細めた。腹這いになりながら上半身を起こすと、シングルベッドのうえでいっしょに寝転がっていた彼女が「なあに?」と甘えた声ですり寄ってきた。黒のゆるいタンクトップ一枚でいる俺の鎖骨を、彼女の指先がゆっくりとなぞっていく。肩に当たる明るい茶色のロングヘアはやわらかい。


「ねえ、もうなんでスマホ見てんの?」


 くすくすと笑う彼女に「えー?」と返しておおいかぶさりながら、あ、でも今井岡はめちゃくちゃ泣いてるんじゃないかという気がして、なんとなくふと、放っておけねーなと思った。


「俺ちょっと行くわ」

「え、どこに?」

「あー、バッティングセンター?」


 井岡がのこのこと俺の大学に来て、バンドに入ることになって、俺がギターを教えてやることにして一ヶ月くらいが経った。この一ヶ月、井岡とはバイトと合わせて週五くらいの勢いで会っていて、こいつストレスとかわりと一人で溜め込むタイプなんだなってことがわかった。そんな井岡には何か発散場所が必要だと思う。それと、会うたびにこにこと俺が歌うのを見ているあいつは、なんか俺が歌ってやれば泣き止むような気がして、練習用のギターを担いでいくことにした。


 実際会ってみれば井岡はそんなに泣いてはいなかったし、俺も夜のバッティングセンターで歌うことにはならなかったんだけれど、結果的に井岡は笑顔になったし、なんか前よりかっこいいバンド名も考えてもらったし、大満足、上機嫌で彼女の家に戻ったら、「信じらんない!」とドアを開けた瞬間に殴られた。


「今日なんの日だかわかってんの!? 付き合って三ヶ月記念日だよ!?」


 玄関先でグーパンされた左頬を押さえながら思わず「まだ三ヶ月じゃん……」といったら、彼女はついにわあっと泣き出した。


「私の誕生日でもあるんだよ! 完全に忘れてるとかプレゼント用意してないとかもあるし、それすらもできてないのになんでさらに彼女放ってバッティングセンターに行くわけ!? 最低! つか担いでったギターは」

「あげてきた」

「ばっっっっかじゃないの!? ほんとにバカなんじゃないのバーカバーカ!」


 ぴしゃりとアパートのドアが閉まる。しばらく考えたが開けてもらえる気がしなかったので、仕方なく実家に戻ることにした。

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