「囚われたくないと思っているのに、家のことを抜くと私という人間を説明する言葉が見当たらないの。クズな父親とバカな母親のあいだに産まれたみじめな子供になりたくない。でも、それ以外に私を形容する言葉が見つからない。私は空っぽでなにもなくて、なにもできない、そこの浅い人間なんだ。死にたい」


 しゃべりながらずるずると地面に向かって座り込んで、崩れ落ちた。


 明日になったらきっと今日という日を後悔する。関係ない人にとんでもない話を聞かせてしまった。でも少しだけ、自分の中に溜まっていた膿を吐き出せて楽になったような気も、する。


「……ごめん。ご清聴ありがとうございました」


 ようやく顔を上げると、やっぱり飛鳥は黙って私の方を見ていた。たぶん今までずっとこの失態を眺めていた。そう思うと苦笑いが込み上げてくる。


 その目に浮かんでいるのは同情か哀れみか困惑か。でも大丈夫、朝が来たらなにもかも元通りにするから、だからどうか今夜のことは忘れてほしいと思った。けれど、その目に浮かんでいる感情を確認する前に、飛鳥はつかつかとバッターボックスに入って、私に背を向けバットを構えていた。


「井岡瑞希は」


 しゃべり出した瞬間飛んできた球を、飛鳥はいきなり打ち返した。


「まず身長が172㎝ある」


 ふたたび構え直す飛鳥に、それ身体的特徴じゃん……と思わずぼやいた。


「えー、じゃあ性格。生真面目。一度使ったボールペンは出しっぱなしにせず、もとのポケットに戻さないと気が済まないA型。あっ」


 今度の球はバットの端に当たってへっぽこな方向に転がっていった。ちくしょ、とぶつくさいう声からは、飛鳥が口を尖らせる様子が簡単に想像できた。


「ああそれから、おまえ怒ったときにボールペン折る癖あるだろ」


 振り返らないまま淡々と述べる飛鳥に目を見開いた。


「見て、たの?」


 バイトの休み時間、クレームが来たり先輩にイライラしたとき、あとは家から持ち込んだもろもろとか、そういうものに押し潰されそうになったときは、こっそり気分転換にボールペンを折っていた。破壊衝動をどうにかしたくて。


 それをいつ、どこで、彼は見ていたのか。ストレスや怒りを物に当たることで発散するようになったのは、本当にここ二ヶ月くらいのことだったし、やるときは細心の注意を払っていたはずなのに。


 気まずそうな私に反して、ちらりと見えた飛鳥の横顔は笑っていた。


「だって井岡は俺らのコーラスでギターだろ。あ、あと作詞家も頼むな。正直この一ヶ月ずっとおまえのこと見てたよ。バイトでも部室でも、新しく入った仲間をな、改めて観察してた」


 カーンと気持ちのよい音が鳴って、飛鳥の最後の球がホームランボードを揺らした。


 俺のギターやるよ、と振り向きざまに飛鳥はいった。指差していたのは担いでいたギターケースだった。


「でもこれは壊すなよ? 怒ってるときにこいつに当たったりしないように」


 なんてことのないように、飛鳥は笑っていた。


「なん、で」

「そうだな、仲間になった証に?」

「ばかなんじゃないの」

「いいんだよ! その代わり大切にしろよ?」


 私は、この場に相応しいような、なにか永遠に残るような胸を震わせるようなセリフをいいたいと思いながら、ありふれたことしかいえなかった。


「一生の宝物に、する」

「おう」

「一生大切に使う」

「おう」


 優しく目を細めて微笑む彼に、こらえきれず顔が歪んだ。


「こんなことされたら、私は飛鳥くんになにを返せばいいの」


 こんな大切なものをあっさりと受け渡す飛鳥に、私はいったいなにを与えられるというのか。


 きょとんとしたあと、律儀に何かを考える素振りをした飛鳥は、じゃあバンド名考えてよといった。その答えに私はガラ悪く、はあ? とすごんでいた。


「バンド名なかったの今まで!?」

「いやあったけど! あったけど、もっとかっこいいオリジナリティーあふれる名前にしたいなってずっと思ってたんだよ。井岡が新しく入ったんだから改名にはちょうどいいなあって思ってさ」

「ちなみに今までのヤツは?」

「啓洋イーグル」

「まじでいってんの?」


 啓洋は飛鳥のとこの大学の名前だった。啓洋イーグルって、野球チームじゃないんだから。


「つけたの絶対飛鳥くんでしょ」

「うるっさい。だれも反対しなかったし」

「して! ダサい!」


 しょうがない、と覚悟を決めて私は飛鳥にいった。


「じゃあミッドナイトイーグルは?」


 今夜のことを忘れないように、覚えておきたいから、夜の名前をつけた。大丈夫、啓洋イーグルよかましなはず。


「なにそれかっこいい。深夜の鷲、超かっこいい」


 思った以上に目をキラキラさせて飛鳥は食いついた。提案した私のほうが思わず引くくらい。これだから男の子は、単純なんだから。


「でも深夜に飛んでる鳥って、なんか、真っ暗じゃね?」

「うーん、眼が光るから大丈夫じゃない?」

「光るの?」

「光り、そう。夜行性動物だし」

「じゃあミッドナイト イーグル アイだな」


 なんでアイをつけたと思いつつも、ニカっと笑った飛鳥に、まあそんなのなんでもいっかと思った。


「え、ちょ、なにそれ。買ったの?」


 家を飛び出した三時間後、ギターケースを担いで帰ってきた私に、双子の弟は呆然とそういった。


 少し考えたあと、私は得意気に胸を張って答えた。


「そうよ、悪い?」


 ギターケースを開けて、光沢のある赤い木目のアコースティックギターをゆっくりと取り出す。ベッドの上であぐらをかきながらかき鳴らしたギターが、ぽろろんとやさしげな音を奏でた。それを抱きしめて目を閉じて、飛鳥の言葉を反芻する。


 私、井岡瑞希は、身長が172㎝ある女子大生であり、生真面目な性格で、怒ると物を壊す癖のある、Midnight Eagle EyeのCho.&Gt.である。

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