第26話 ふるちんの世界 

「拙者、もはや、娘の声も思い出せないのでござる」


 ドロフネはドロフネで、さっきから土下座で謝ったり、とめどなく過去の話をしたりと、いまだ、まともな会話にならない。


 この用心棒の家で止血を受け、〈少年盗賊〉ふるちんはようやく意識を取り戻したところだった。

 板床に敷かれた客人用の布団で、彼はカルラに半身を支えられている。

 右腕は縫われて止血されているが、心配されていた感染症などの心配はないようだった。そもそも、この世界に細菌の概念はあるのだろうか?


 聞けば、ボーパル・バニーの手刀で傷口がズタズタだったので、正気を取り戻したドロフネが、刀で切り直したとのこと。

 痛みが少ないのは、その恩恵らしいが、まだ心臓の鼓動に合わせて鈍痛が襲ってくる。


 カルラの包帯や、なけなしの回復薬で体力は全快させている。しかし、失われた部位は戻るに至らない。


「あたしもさ、部位破壊のゲームは『ファンタジーⅢ』しか知らなくて……。でも、その場合は、治療魔法で復活できたんだ。だから王都にさえ戻れば」


 疲労も深かったので、王都に運ぶより先に、まずは失った血を回復させようと、カルラは、ふるちんの口に肉料理を運んでいる。


「いや、そんなに、いっぺんに食えないから。っていうか、左手でも食えるから」


「誠に申し訳ないことをした。償いきれぬ罪、腹を切ってお詫びしたい」


 いきなりドロフネが脇差しを抜いたので、ふるちんは窃盗スティールでそれを阻む。


「むっ、我が愛刀が!? なんという早業。さすが我が身の呪いを破るだけのことは」


「疲れてるんだから、あんまスキルを使わせないでくれ」


「ならば……ならば、この身、いかようにもしていただきたい」


「いや、それはもういいって。村の連中には、軽いケガ人しか出なかったみたいだし、結果だけ見れば、ほぼパーフェクトゲームだ。俺の右手なんて、誤差の範囲だろう」


 そもそも魔獣たちが襲ってきたのは、自分たちがイベントトリガーだったのだと、ふるちんは考えている。むしろ巻き込んだ側として、引け目を感じているくらいだ。


 例の《くびを はねられた》というダイアログは、いまだ表示されたままだ。ここでOKボタンを押してしまったら、本当に首が飛ぶかもしれない。ふるちんは、ダイアログを視界の外に移動させて、なるべく見ないようにしていた。


「あんたの難儀な性質は、村の連中も知らないのか?」


 満月の夜に、戦闘モードが極まると、ボーパル・バニーに変身して凶暴化。

 しかし解除は運任せなので、めったに使わない最終手段だったとか。


「まあ、黙っておくよ。それより、祭りの音楽が楽しそうじゃん」


「延びた祭りに、祝勝会も重ねるんだって。主役のふるちんを、みんな待ってるよ」


「主役? なんで俺が?」


「んー、いちばんの重傷者だから?」


 村の外から来た客人が、率先して危機に立ち向かい、一生ものの深手を負われた。

 軍隊なら勲章ものだ。


「かっこつかねぇ話だ」


 つい右手で顔をかこうとして、空を切る仕草に、またドロフネが悲痛な顔をする。


「欠損した四肢を修復する魔術など、よほど高位の聖職者でなければかなわぬこと。莫大な寄付金なくして、祈りは届かぬでござる」


「そんなに高いのか」


「費やす秘薬やアイテムがどれも希少であるし、術者は修得に多くの学費を注いでいる。平民が一生を費やしても届かぬ金額と人脈がいり申す。ふるちん殿の剣士としての道はほぼ断たれたに等しいで候」


「そういや、貧民街でも、手足のないやつ、いっぱいいたな。ケガをしたせいで、仕事にあぶれて、貧民街に落ちたって話だったけど……まあ、金で解決するなら安心だ。これから稼げばいい」


「ふるちん殿……」


「俺はあんたに、すげー期待してんだぜ? そうだな、まずは学校の先生役、頼んだぞ。用心棒ってのもいいな。あんたの強さは、ハンパないってことが分かっただけでも、今日はラッキーな日だった。他にも、いろいろ儲け話を考えてる。俺一人の手足の一本、二本、すぐさま取り戻せる大事業だ」


「かたじけない。かたじけない」


 なおも床に額をこすりつける浪人に、ふるちんは嘆息する。


「俺も、気が向いたら行くからさ。いちばん魔物を片付けたドロフネこそ、みんなに祝われてこいよ。ここで偉そうにしとかなきゃ、あとの仕事に差し障る」


「しからば、ふるちん殿の容態を知らせて参る。お二人は、あとからゆっくり参られよ」


 土間に降りて草履に足を通すと、すたたたたとドロフネが走り去った。


「あー、気疲れした」


「こっちの人からすれば、利き腕を切っちゃうって、そのまま転落人生真っ逆さまなオオゴトみたいだからね」


「治療費は、今後の課題だな。俺って、ミリオンから仕事を振られてるつっても、体の良い便利屋どまりだし、これといってスキルがあるわけでなし、そもそも昨晩は、ただ何もできず走り回って、腕飛ばされただけだし、ほんっと役に立ってねぇなあ……そもそも」


「待った、待った、どうしたの。すっごいネガティブじゃない?」


「いや、今日ほど自分の無力さを思い知らされた日はないわー。この世界、ゲームのくせに過酷すぎだわー」


「誰も責めてなんかないよ? むしろ、あたしはすごいと思ってる。ふるちんが飛び出さなきゃ、あたし、何すればいいか思いつかなかったもん」


「つっても口だけじゃん。言うだけ番長って、男としてどうなの。そもそも……」


「あ、MPがめちゃ下がったままだ」


 カルラがようやく少年のステータスに気付く。

 パーティを組んでいるので、数値が共有化されているのだ。


「ふるちん、魔法を習い始めたばっかだから、まだまだMP少ないもんね」


「ああーMPってメンタルポイントのことなのなー。これが下がるとー、とにかく悲観的になってー。どうやったら回復できるんだ……一生このまま……」


「うーん、気疲れすると減るわけだから、逆に気を強くもつとか、ポジティブにシンキングするとか」


「じゃあ北の強大な魔王ってのは、いつもハイなテンションでMPマックスで、マルチ商法の講演会を開いてたり、徹夜で人類征服の事業計画を立ててたりするのかぁ?」


「ふるちんのポジティブって、そういう感覚なんだ……。リアルの仕事は、選んだ方がいいよ」


「仕事って選べるものなのか? でもいまは、こっちのシゴトが優先だ。これから先もさ、移動用の魔法陣や古巻物スクロールを探すんだったら、旅はずっと危険がつきものだろうし、荒事も増えてくんだろ? だったら、戦えるスキルは磨いておかないとダメじゃんか」


「えー、いらないよー」


「なんでさ」


「ふるちんは、そのままのが可愛いから」


 少年の小柄な背中を引き寄せて、胸の前に抱く。彼の頭の上に、こつんとカルラのあごが載せられた。


「あ~、しっくり来る~。これが昔からのマイプレイスって感じがする~」


「なんか俺のMPって、カルラに吸い取られてなくね?」


 いまのふるちんには、抵抗する気力も残ってなかった。

 そもそも、MPを消費するような魔力依存のスキルを使った記憶がないのに、どうして底をついているのかが謎だ。


「そもそも、睡眠が必要ないゲームで、なんで俺は気絶なんかするんだ」


 現実の三〇分が、三〇日で走りすぎていく意識だけの世界。

 数時間の意識喪失など、リアルの脳に与える休息は一瞬でしかない。


「肉体的なリアリティをもたせて、没入感を高めてるのかもな。痛みだってハンパないし」


「それ、ふるちんだけだから。気絶するのも、もしかしたら、ふるちんだけ」


「あるいは、気絶するような行動を戒めるペナルティ……」


「リハビリや応急処置の練習用かもしれないね」


「そういや、このゲーム、厚生省と文科省がからんでるらしいな」


「あと防衛省もね」


「マジか」


「十中八九、そのウワサ本当。イメージアップの参画だけじゃなくって、たぶん訓練や、作戦レベルのシミュレーション環境に考えてる」


「まあ、そうか。軍隊とは言え、なんでもかんでも独自に開発するわけじゃないよな」


「どうやったら、気を失えるんだろう。ねえ、気を失ってる最中、夢とか見なかった?」


「夢?」


「寝ている間に見るほうの夢」


「ああ、そういうの見たことないな」


「えーほんと?」


「むかしは見たかもしれないが……思い出せない。なんだろう、この体に合わせて引き出せる記憶や知識に制限がかかってる気がする」


「あーわかる。記憶って、痛みや動きで思い出すことあるよね。こないだ、コンビニ行ったけど、なに買いにきたのか忘れちゃってさ。家まで戻って玄関を開けたら、そうだアイスを食べたかったんだーって思い出したの」


 つまり、思い出すきっかけになってるアクションがとれない体では、それをずっと思い出せないこともある、ということだ。


「夢はね、二度寝をするとよく見られるよ。一緒にお昼寝する?」


「いや起きよう。祭りが気になる」


 ふるちんが立ち上がろうとするのを、カルラが強引に引き戻す。


「むぎゅ」


「もうちょっと、ゆっくりしなよー。けっこう血が出ちゃったんだよー?」


「いや、祭りの手伝いを」


「なにを手伝うの? 持ってた食べ物は、もうぜんぶ渡しちゃったしー」


「片手で戦う方法も考えないと」


「それは今度でいいじゃん。なに焦ってるの? しばらくは、戦闘のことなんて考えないで、できることだけやってこうよ」


「そうも言ってられない。少しでも早く、じんたと合流しようとしたら、これから先も危ない橋は渡っていくはずだ」


「危ないことは、あたしとドロフネさんでやるよ。盗賊ギルドや、ミリオンちゃんにも頼んじゃおうよ」


「でも、それじゃあ、ダメだって。俺が何もできてないじゃん」


「ふるちんは十分頑張ってるし、成果もあげてるじゃん」


「俺が何をしたって?」


「ちゃんと人と会って、プロジェクトに巻き込んで、幾つも案件がもうすぐ始まりそう。王都に戻ったら、大忙しだよ?」


「んー、でもなあ、それはみんながスゴいだけだし」


「なんで、自分の成果を認めないのかなあ。もしかして、ふるちんって、あまり褒め

られたことないタイプ?」


「なんでさ」


「人の賞賛を素直に受け止められないって知り合いが、あたしにもいたよ。自分で自分を卑下して、そんなことないってどれだけ言っても納得してくれなかった」


 カルラは遠くを見るような目をしていた。


「確かに、誰かに褒められたり、感謝されたりって記憶はあまりないな。どんなタスクも、やって当然という雰囲気だった」


「だったら、これからは、あたしがどんどん感謝しちゃうよ。ふるちんが一回メゲたら、あたしが十回褒める」


「そんなに感謝されることなんて、ないだろ」


「いっぱい、あるよー。まず、クエスト初クリア、ありがとう」


「……そうか、クリアしたんだよな、俺たち」


 気付けば、《クエスト:村を襲う敵を撃退せよ》は達成度が100%になっていた。

 カルラのスキルによって、村人たちは、眠ったり弱体化してたりな魔犬たちをすべて撃退しつきしていたのだ。

 二人がその成果として、なにか特別なスキルを獲得したとか、金品をもらったとかはないようだ。しかし、代えがたい達成感が、じわじわと、二人を包みはじめていた。


「先にスタートしてたクエストは、どれも未達成だったもんな。《クエスト:警備隊長ミリオンの依頼を果たせ》が20%ちょいで、《クエスト:老師ランパートの孫の敵討ちを助けよ》なんて、まったく未着手だ」


「だから、今夜はムジナ女神への演奏の献納と、防衛祝賀会に加えて、あたしたちにとっては、初クエスト達成記念日なのよ。あたし、ほとんど自分の部屋に引きこもってたから、クエストなんて経験ないんだよね」


「はは、俺より一ヵ月も先にスタートしてた大先輩が、な」


 ふるちんより三〇分だけ早くログインしたカルラが、このゲームで熱中していたのは、この世界の楽器収集と、演奏。そして自分だけのスタジオ製作だった。

 ログアウトできないこの世界の一ヵ月は、体感でまるまる三十日。しかもプレイヤーは睡眠の必要がないため、まるまる二十四時間を使えたはずだった。

 それだけの時間を、カルラは冒険には注がなかった。

 おそらく人というのは、はたとえ数百年を生きたところで、そうそう生き方を変えられるものではないのだろう。


「だからさ」


 カルラは、ふるちんの体をあらためて両腕でかきいだく。


「あたしを外へ連れ出してくれてありがとう。こんな楽しい冒険に連れ出してくれて、本当にありがとう」


 カルラのあまりにも率直な言葉に、ふるちんは言葉をしばし失った。

 カルラに背を向けていなければ、赤くなった顔を見られていたはずだ。


「で、でもさ」


 ようやく呼吸が戻った。


「げ、現地の住人は大迷惑じゃんか!」


「あたしたちが来なかったら、別の誰かがクエストを発生させてたら、もっと被害が大きかったと思うよ」


 カルラが獣を鎮静化させ、村人が一匹ずつ倒す。その繰り返しで、危機は乗り越えられた。


「みんな感謝してたよ。すっごく喜んでた。日が昇ってから、柵が結構、壊されてたのも分かってね。あたしたちが来なくっちゃ、あのまま村に侵入されてたって」


 森で飼っていたブタが襲われ始めてから警戒はしていたものの、まさかここまで大量の野獣が現れたのは、予想外であったようだ。


「まあ、そう思ってくれてるなら、こっちも痛い思いをした甲斐が……あったかな」


「でしょでしょ?」


「しっかし、今になって考えると、最初のあいつらの出現は、まるで陽動だったな。村人を一方の柵に集めて、その間に、手薄になったところを狙う」


「どこかに群れのボスがいたとか?」


「だったら、まだ良いけど、獣たちをそそのかした獣使いビーストマスターみたいのがいた可能性もある」


NPCノンプレイヤー獣使いビーストマスターかぁ。ちょっと聞かないシチュエーションだね」


「じゃあ、PCプレイヤーか?」


「え、まっさかー。それこそ考えられないよ。PCプレイヤーがクエストを作成できるなんて聞いたことが……なくはないか」


「あるのか」


MMO大人数オンラインRPGじゃないけどね。『ルナティック・ドーン

』とか『ソーサリアン』とか、エディタ機能があってさ。それを人に配れるんだよ」


「さすがにMMO大人数オンラインRPGでやっちゃうと、稼ぎ放題になっちゃうからね……」


「そか、そりゃあ、さすがにゲームとしてあり得ないか。って、俺たち、今回なんか稼いだのか?」


「村長さんが御礼をしたいって言ってたし、ドロフネさんの信頼を得られたでしょ」


 実際ふるちんも、ドロフネを確保したことが最大の収穫だと、本人に向かって格好を付けていたではないか。


「信頼か。なるほど、NPCノンプレイヤーの信頼……好感度……絆値……。そういう隠しパラメータもあるかも」


「そーゆんじゃなくて、“感謝されるのが最高のご褒美”って言いたかったんだけどな」


「そっちの話か」


「自分がされて嬉しいことは、人にもしたくなるじゃん。もしかしたら、この『百王の冠』ってゲームの本質って、そこにあるのかなって思ったの」


「ゲームの本質?」


「例えば『ウルティマ オンライン』は生活するゲーム。だから生産系もすごいチカラが入ってて、いろんな料理や道具が作れるし、ショップも開けちゃった。当時としては画期的だったの。オンライン化する前から、シナリオの本筋から外れたことを楽しめるシリーズだったけどね」


「人に親切にしたら、まわりまわって親切にされる社会、か。まてよ、何かで読んだぞ。ドーキンスの『利己的な遺伝子』だっけか。協力と背信……ティット・フォー・タット戦略……」


 しばし考え込んだ少年は、ようやく、理解しかけていた何かを、言語化に成功した。


「いままで俺はずっと、世界に褒められたがってたんだ」


「世界に?」


「そう、なにをするにも世界一でないと、無意味だと思ってた。世界の誰から見ても世界でいちばんスゴイことをしないと、それ以外は全てムダでクズでしかないって、思ってたんだよ。きっと」


「あー、ネットでいろいろ見えちゃうもんね」


「でも、そもそも地球規模のランキング争いに参加する理由なんて、これっぽっちもなかったんだ。そんなのどうでもいいんだ。身近なやつに褒めてもらえれば、それで十分だったんだよ。なんで気付かなかったんだろう。だって俺の本当の世界はこんなに狭いじゃないか」


 ふるちんは自分を包むカルラの両腕を引き寄せた。


「これが今の俺の世界だ。これで十分だったんだよ」


「お、ちょっと名言っぽい」


「よし、ドロフネが信頼してくれるんなら、あいつの娘さんも探さないとな。ン年前に、俺と同じくらいの年齢だってんなら、二十歳を超えてるかも」


 敵討ちの介添人を、ドロフネに頼むのも一案であると、ふるちんは考えはじめた。偶然ながら、右手首と引き替えに、右腕以上の剣客を仲間に引き入れたわけだ。


「そうやって、俺の世界は、俺の身の丈にあった広がりを持てばいいんだ」


「うん、そうやって未来のことを考えてると、ふるちんって生き生きしてるね。MPも回復してきてる」


「え、マジか。そんなんでMP回復するの?」


「マジマジ。『MPは気から』って言うし」


 いや、言わない。


「それって、かなり示唆に富んだ発見じゃないか? うまく利用すれば、MPが無限に回復できるぞ」


「つまり『肉体は死しても、MPは死なず』ってこと? 棺桶の中からHPがゼロになったはずのオジキが飛び出すくらい」


「その例えはわからんけど、やる気が出てきたのは本当だ」


 ふるちんがカルラの腕を離れて立ち上がる。右手首がないぶん、やはりバランスがとりにくいようだ。


「まずは音楽の奉納だろ。そのあと神殿跡を調査しよう」


「もーしょーがないな。そんなキラキラした目で誘われたら、とめられないじゃない」


 カルラも立ち上がって楽器を手にする。


「少しでも体調が悪かったら、休むんだよ?」


「りょーかい」


 二人は連れだって、ドロフネの家を出た。


        ◆        ◆        ◆


 結論から言えば、ムジナ神への奉納演奏は、大成功であった。

 竪琴リュラは、天上の音楽とはかくやとばかりに神々しく村中に鳴り響き、カルラの美声が人々を涙させた。

 偉大なる音楽家グランドマスター・ミュージシャンが本気で演奏すると、ここまで人を感動させるものなのか。

 スキルの影響を受けないPCプレイヤーのふるちんも、全身が粟立つのを感じていた。


――こりゃ、リアルでも結構なアーティストなんじゃないか?


 終わりの見えない聴衆のアンコールをなんとか振り切って、カルラは神殿の奥に逃げ込んだ。

 ふるちんが拍手で出迎える。


「控えめに言って、最高だ」


 上気した顔のハーフエルフに、はちみつ酒を手渡す。


「ありがと」


「これだけの演奏をして、当の神様からは、反応なしか」


 屋根の腐り落ちた神殿跡を見上げて、ふるちんは天空に苦情を申し入れる。


「まあ、リズムゲームが始まらなくて良かったかな。ふつうに演奏手腕だけを評価されたっぽい」


「逆に難易度が高すぎるだろ、これ」


 このオンラインゲーム『百王の冠』は、単純な反復でスキル値が上がることはめったになかった。逆に、実際に挑戦し、技術を習得したり、気づきを得たときに、はじめて数値が上がるという、本末転倒な仕様になっていたのだ。


 もちろんゲーム世界なので、リアルな世界と比べて、人間離れした身体能力を発揮できるが、それは「上限を取っ払った」だけ。

 知力も同様。計算ひとつとっても、インターフェースから数値が得られることはなく、あくまで自分で計算しないといけない。その代わり、リアルではありえないほど暗算能力が高まっているのを感じられる。


「このゲームで鍛えられたら、リアルでもまんまそのスキルを発揮できそうで怖いね」


「防衛省が兵士の育成に検討してるっての、かなり信憑性高いな。まあ、実際」


 ふるちんは、出っ張りに片手を引っかけて、わずかに残された梁に飛び上がる。


「こんな芸当は、リアルじゃ無理だろうけど」


「わかんないよー? 『鳥は飛べると思うから飛ぶ』んだって言うじゃん」


「おいおい、まさか」


「うん、ここで体験した能力を、そのまま発揮できちゃう可能性もあるかなって」


「ないないない! それができるなら、子どもはみんな空を飛べている」


「信じる力と、適切な能力の使い方。この両方がそろえば」


「ないってば」


「成功体験って重要だよー」


「そういう次元じゃねぇって……ん? なんだこりゃ」


「どったの?」


「この壁、なんか書いてある。これは楽譜かな?」


 壁に囲まれて、昼間でも暗がりになっている場所だ。しかも、間近に昇ってようやく気づけるほど風化している。


 ふるちんは、背伸びしたカルラから筆記具を預かり、それを摸写する。


「あいかわらず機械みたいに正確無比だねえ。うん。これは楽譜だと思う。弦楽器で弾けるかも」


 記法を理解したのか、ぽろろんと竪琴リュラをつま弾くと、ひとめ見ただけの音階を、つまずくことなく奏でた。


「ん、たぶんこんな曲。これ、神殿で毎日演奏されていたのかもね」


「他の壁にもなにか残ってるかもな」


 ふるちんがもう一度、梁に昇ろうとしたとき、急に神殿内が明るくなった。


「うぉ、まぶしっ」


「床! 床が光ってる!」


「この部屋にも魔法陣があったのかっ」


 気付いたときには遅かった。

 二人の冒険者は、忽然としてこの村から消え去ってしまったのである。





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