第21話 北の国から来て失敗
一瞬で間合いを詰めながら抜刀したサムライの剣先は、ふるちんの眼前に迫っていた。
――やべえぇ!
ガッ。
鈍い音とともに、横なぎの刀は、ふるちんの持つ魔術師の杖に食い込んでいた。
「マジカル仕込み杖~」
ぎしりと、ふるちんが鞘を下にずらし、刀身がのぞく。
斬撃で曲がり、抜ききれないものの、魔力を帯びた光がサムライの目を射貫いた。
「うご!」
男はかまわず刀を斬り上げる。
しかし、数瞬の硬直を見逃さず、ふるちんは〈
「可憐な魔法少女だと思った? ざーんねん!」
あやまたず日本刀を盗み取ったはずが、手には
――げ、〈無刀取り〉!?
懐に入ったサムライが、ふるちんの手首をとらえ、いともたやすく得物を奪い返していた。
組み打ちに持ち込まれては、体格差から確実に殺される。
ふるちんは、〈縄抜け〉で手首の拘束を逃れ、すれ違いざまに無心で短剣を走らせる。
はじめて人に刃物をふるった瞬間だ。
しかし返ってきたのは、革鎧の感触。
ぞくりと悪寒が走り、大げさなほど距離を開けた直後に、自分の額すれすれに、切っ先が通り過ぎた。逃げを察して、ためらいなく片手で振り切ったのである。
「ひゅー」
ここで初めて、ふるちんは息を吐く。
サムライは動かない。
すでにカルラの
「……ふむ?」
我に返ったかのように、サムライはあたりを見回す。
「ただの子どもでござったか、これは失敬。ちと飲み過ぎたようでござる」
悪びれもせず納刀する所作には、ムダがない。本当に酔っ払っていたのか怪しいほどだった。
「ほんと失敬なやつだな」
「最近、あたりに人を化かすモノノケが出没しおってな」
「化かされただなんて、それこそ酔っ払いの
カルラは、粟立つ肌を沈めようと息継ぎを深くする。
「ああ、その酔っ払いが、いま目の前にいるわけだ。俺たちは伝承の生まれる瞬間を目にしている」
命の危険にさらされ、ふるちんもカルラも辛辣である。
「モノノケは本当のことでござるよ。怪しい足跡を、村の衆だれもが目撃しておる」
「じゃあ、村中みんな酔っ払いだ。で、あんた何者だ? 酔っ払い一号さんよ」
「拙者は、ドロフネ。この村の用心棒でござる」
「あんた、いつもあんな感じか? あんたのせいで、この村から誰も出入りできず、雪隠詰め祭り開催中とかいう話はやめてくれよ」
「村人の出入りは自由でござる。拙者が止めるのは、ケモノ、モノノケ、怪しき来訪者のみ。見たところ、そちらは吟遊詩人と、魔術師……に見えるが、どうも先ほどの動きは違うようでござるな」
「旅の曲芸師だよ。いまは王都にとどまってる」
「して、この村に何用でござる」
吟味するドロフネの視線は、鋭い。
「音楽の女神、ムジナ様の神殿があるって聞いたのよ。吟遊詩人としちゃあ、一度くらいお参りしておきたいからね」
「ムジナ女神……。もしかして、あのぶっ壊れた建物のことでござるか?」
今更ながら妙な名称の神である。
『たぶん、ラテン語の
チャットでふるちんが話しかける。
『このゲームの音楽って幻惑スキルだから、わりとあり得る話だね。あたしたちも化かされないよう、注意しないと』
いまこの場でも、実は二人が化かされており、底なし沼に沈みかけている可能性だってあるのだ。そういった幻惑を打ち破る術を、ふるちんらは教わっていない。
「ふむ、あのような建物でよければ。無駄足であっても、せっかくの客人でござる。
そりゃどうも、と、ふるちんは徒歩で、カルラは馬に乗ったまま柵の中に進んだ。
『化かすといえば、ふるちんもだよ。その仕込み杖、なに?』
カルラが、ふるちんの杖に疑いのまなざしを向けている。
『学問所のシルベウス老師が、この服とセットでくれたやつだよ。あいつドワーフだから、服飾ドクトリンが〈接近戦上等〉らしくって』
『あー、タンク・メイジだっけね』
金属製の武器・防具は、魔術師にとって詠唱の妨げとなる。
そのため原則として、魔術師は刀剣をもたず、かわりに魔道書か木製の杖を手にしているものだ。防具もせいぜい革ヨロイどまりである。
『ドワーフだったら、防具なしでも頑健だもん。まさに
『で、種族にかかわらず接近戦に使えるよう、さらに魔術にプラスになる魔力剣を、木の杖でカモフラージュしたのが、コレって話で』
杖からは、ほのかに
『ところで、ふるちん、気付いた? あのドロフネさん、名前が緑色になってる』
『つまり敵対行動中は名前が赤いってことか? 名前の属性カラーが、そんなにコロコロ変わるものかな』
『さっきは本当に酔っ払ってて、別人格扱いだったとか』
中央の広場まで降りていくと、物珍しそうに村人たちが仕事の手をとめて、集まってきた。
住人は皆、そろって体格は良いものの、ツギだらけの布服を着ており、経済的に恵まれているようには見えない。
装飾品が皆無で、唯一の飾りつけといえば、男女を問わず、ノドに紋章らしきものを入れ墨で彫っていた。
「おやおや、吟遊詩人の人かね。こんな
おひねりは出せないと暗に牽制をしているのだ。
「今日は、神殿に献納にきたんです。皆さんもご一緒にお聞きください」
「ほう、そうなのかえ」
「だったら、夜がええな。今日は満月だから、お月様にも聞いてもらうべ」
話を聞くに、神殿は長らく放棄されていた。
ムジナ神のものだとは、村の古老にすら伝わっていなかったのである。
農業をもっぱらとする村人は、むしろ農業暦を司る月に愛着をもっており(太陰暦か?)、麦の収穫を前にして豊穣を願う
「王都から来たそうでござる」
「おやまあ、近いけんど、夜道は危ないで、朝に帰るがええよ。寝床くらい用意するからに」
王都の間近にあるとはいえ、村は本当に貧しいようだ。
そして、娯楽に飢えているらしく、ぞくぞく家から村人が出てきて、カルラたちを歓待したがっているのがわかる。
「ふふーん、こういう雰囲気、悪くないね。ふるちん、今晩ゆっくりしていいかな」
「一晩くらいなら、大丈夫だろう」
ミリオンとの連絡手段がないのは心配だが、向こうから火急の用事があれば、早馬がすぐに着ける距離である。
「なんか、みんなで食えるもんあったかな」
ふるちんが二人で共有するバックパックを確認すると、これまでカルラがもらってきた肉やら魚やらが大量に残っていた。
「腐ってないよな。よし、女神様だかに、こいつを献納してこよう。置ききれないぶんが、みんなで食べられる」
「あ、いいねえ。バックパックにとっといても、食べきれないからね」
ふるちんがお供え物として食材を積み上げはじめると、村人の目がだんだん大きく見開かれていく。
なにしろ、馬一頭で運ぶには、物理的にあり得ない量が、山をつくっていったからだ。
ブタのまる焼き
魚の切り身(レア)
焼き魚
りんご
みかん
鳥のもも肉
キャベツ
レタス
ぶどう
洋なし
干し肉
ブロッコリー
チーズ
牛乳
発泡酒
はちみつ酒
にんにく
くるみ
ハーブ
黒パン
リゾット
ピザ
かぼちゃ
ケーキ
マフィン
ビスケット
卵
ベーコン
ニンジン
エトセトラ、エトセトラ……
村人にとって、肉など年に一回食べられるかどうかの貴重品。
新鮮な果物など、生まれてこのかた見たことすらないわけで、いちいち驚くのに疲れはて、彼らは早々に考えるのを諦めてしまった。
『いくらでもスタックできるって便利だな』
『一応、
『重くて重要そうで役に立たないアイテム? そりゃなんだ』
『つけもの石』
『は?』
『漬け物をつくるとき、重しにする大きな自然石。これがあると固い素材も、塩と密着して漬かりがよくなると思うじゃん』
『それ、そういうゲームなの?』
『ううん。ファンタジーRPG。宝箱の中に入ってたの』
脈絡がなさすぎて、逆にその意外性が、重要アイテムっぽさを出してしまって事例である。
他のアイテムを捨ててまで、この石を後生大事にラスボス戦まで抱えていたプレイヤーは少なくなかったという。
「あんれまあ、たくさん食べ物が出てくるねえ」
村人たちは、次々と現れる食べ物や食材を、大道芸人のトリックだと納得することにした。こうなったら、だまされて楽しんだ者勝ちであると。
いったん開き直ると、彼らは大いに歓喜し、村中総出で祭りの準備を始めるのだった。
「こいつぁ大層な奉納でござるな。拙者も、つい先日、豚肉を囓ったきりで、あとはジャガイモと大麦ばかりの毎日でござったよ」
「なんで自分だけブタ、ちゃっかり食ってんだよ」
金をもらって歌を披露するはずの吟遊詩人の一座が、今夜は村人におごって、歌もタダで披露するというのだから、実にあべこべな話である。
しかし、古来、民衆の不満をガス抜きする〈祭り〉には、身分の逆転劇がつきものだった。王が物乞いとなり、物乞いが王となる風習が多々あったのだ。
「ささ、旅の吟遊詩人さん、こちらへこちらへ」
二人は、大勢に囲まれて神殿あとに案内された。
塔をともなう建物は、外壁こそレンガ造りであったが、梁を木でまかなったせいで、すでに屋根が抜け落ち、どこもかしこも雨風にさらされていた。
部屋も幾つかあるようだが、どこも石畳の間を突き抜けて雑草が生い茂り、屋根材の石や泥、しっくいの破片がわずかに散乱して、ほどよいアクセントを与えていた。
妙に趣深い廃虚である。
「雨が降ると、雨水がみんなこの中心部にたまっていくから、水浸しなんですよ」
『排水溝が詰まったのかな』
『上下水の不備で滅亡した文明は、少なくないからなあ』
「だからもう、この建物も直しようがなくって」
ふるちんたちが神殿内を念入りに調べると、最奥の部屋の床に、雑草や苔に覆われた魔法陣の一部がのぞいていた。
「こりゃ、なんじゃろうね」
「丸いね。月じゃないのかな」
ふるちんが適当なことを言うので、「じゃあ、キレイにしてあげよう」と村人達が雑草を取り除きはじめた。今日はもう、祭りの準備に徹して、日常の作業はすべて投げ出すつもりのようだ。
ほどなくして、魔法陣の全容が明らかになる。
「よーしキレイになった。お月様も満足だ」
硬質の石畳を彫って刻んだ、真円の陣。
明らかに目的の意匠とは異なっていた。
「ああ、ハズレだ。もとから期待してなかったがな」
しかし、明日にでもミリオンたちに報告しなくてはならない。
ふるちんはスケッチをはじめる。
魔法陣のある部屋はあまりにも狭かったので、奉納の儀式は、入口を入ってすぐの中庭で行うことに変更はない。
そこからなら、魔法陣のある部屋も、むかし神像があったとおぼしき祭壇も、扉が失われた今では、ぶち抜きで見通せるのである。
ふるちんたちは、祭りの仕度を村人に任せて、夜までは村のなかの散策にあてることとする。
なにしろ二人とも、王都の城壁を抜け出したのは、これが初めてなのだから。
「村の外にも出るつもりか。暗くなる前に戻ってこられよ」
手持ち無沙汰のサムライが声をかけてきた。
「盗賊でも出るの?」
「ケモノでござるよ。先日も、貴重なブタが一匹、まるかじりされた
村の西側に広がる森は、国王の代官が管理している。しかし、村の住人は賦役の見返りとして、森の地面にあるものの採取と、ブタの飼育を認められている。
村人が放牧しているブタは、キノコや落ちているドングリを食べて、極上の味に育つ。毎年、それを市場に売って、大層な金に替えるのだという。
一匹やられるだけでも大損害でが、村人を襲うようになったら一大事である。そこで雇われたのが、ドロフネである。
「それってオオカミとかのシワザじゃね?」
「拙者もはじめそう考えたのだが、食われた現場を見るに、大いにオオカミとは違った。歯形といい、足跡といい、もっと巨大なケモノがおる」
「一匹やられるだけでも、大損害なんだろ」
「さよう。しかし、夜中に森で番をするわけにもゆかぬのでな。それよりも住民の命が優先でござろう。拙者が呼ばれてからは、村の囲みを補強させておったところでござるよ」
いかにも浪人歴の長そうなドロフネであるが、兵法にも通じているらしく、村の守備や戦闘訓練、住民の配置にも助言を与えているらしい。
「森を歩くのは構わんが、落ちているもの以外はとってはならぬぞ。その森は王国の所有物で、代官が管理人を巡回させているでござる。捕まれば、牢屋行きにて候」
「野獣を放置してる時点で、そのお代官様は義務を果たしてないと思うのだが」
「ふるちん、村の中にいようか。もうすぐ夕方だし」
「そうすっかー」
「ならば、いったん我が家で休むがよかろう。西門近くの空き家を住み処に当てられており申す」
案内された家は、他の家と同じく木造で、屋根は
杭に馬をつなぐと、鍵のない引き戸から、ふるちんらは入った。
小さな家だが、内部は土間が広くとられて、靴を脱いで板張りに上がるという、どことなく和風な構造だ。
調理用のカマドとは別に、家の
「ここって鍛冶屋なのか?」
「もともとは、そうであったようでござる。西の端ゆえ森が近く、木を得やすい。昼夜問わず火を使い、金属を叩きつけるゆえ、あえて人の少ない場所に居を構えたのであろう。拙者も、農具を修理する程度には、道具を整えてでござる」
炉の排煙は、板間の下を抜けていることから、冬は、鍛冶の熱を床下暖房にまわせる構造のようだ。
玄関口には、液体の満ちた樽があり、そこに幾本かの刀が刺さっていた。
刀は柄が外されており、
「油っぽいけど、サビないようにしてるのか? 白鞘に入れておけば十分だと思うんだが」
「にしても、すごい数だよねえ」
「趣味で刀を集めておるでござるよ」
「俺の仲間にも、刀剣マニアいたような気がするな」
ふとミリオンの顔が浮かんだが、いまその名を出すと、立場を怪しまれそうなので、やめておく。
「さて、さっきの仕込み杖を、貸してみるがよい。拙者が
「え、ああ」
二人は、土間からの上がり
斬撃が杖のなかまで食い込み、刀身が歪んでしまっているのを、男は手応えで把握していたのである。
「貴殿、魔術師の姿をして、その実、刀使いとはな。なかなか偽装に長けた御仁であるな」
慎重に杖から刀を抜き取ると、ドロフネは刀身のゆがみを吟味する。
「ふむ、この程度なら。なにしろ、炭もろくに手に入らぬゆえ、欠けていたら、直しようがなかったでござる」
「え、刀って継ぎ足せるの?」
「魔法武器ならば、耐久性も下がらず修復可能でござる」
「剣使いのくせいに、いい鍛冶の腕してんだな。でも炭がないって? ここでは、燃料に何を燃やしてるんだ」
「もちろん、
「王様ってケチだな!」
ふるちんが憤慨する。
「そうだ、カルラ、貧民街にオガクズの山があったよな」
「うん? あのゴミ山? 製材所で木を切ったときのゴミだよね。火が付いたら危ないってのに、あの置き場所でお金を稼いでる人がいるから、ミリオンちゃ……警備隊の人も困ってたね」
「あれ、固めたら炭にできると思うんだが」
「そうなの?」
「バーベキューや焼き肉屋で使ってる、穴のあいたチクワみたいな炭。あれがそうだよ」
「ゴミから炭が作れるのでござるか?」
「ああ、できるかもしれねえ」
「むむむ~? ちょっと待って。炭にすると、どんなメリットがあるの?
「いい質問だな。炭ってのは、蒸し焼きにして作るぶん、確かに手間も燃料もかかって、エコじゃあない。だが、メリットが大きいんだ」
木炭にすると、炎も煙も出なくて、火力が一定にできる。
火が消えにくいし、燃焼時間も長い。
不純物が少なくて、軽い。重量あたりの熱量は、木炭のほうが圧倒的に高い
空気の送り方しだいで、温度も自由に調整できる。
積み上げておいても、
そもそも、炭を作るときの余分な燃料は、ちょっとだけでいい。
といった内容を、ふるちんは挙げていく。
「準備に手間がかかるけど、使いやすくて便利な火……ってことね」
「そう。だから、料理や鍛冶にはもってこいだな。不純物が少ないし、無駄な炎を上げないから、熱が材料に伝わりやすい。煙が出ないから煙突が必要なく、それだけ熱が逃げにくいってのも、あると思う」
「じゃあ、あのオガクズの山を、処分費用をもらいながら引き取って、ここでさらに炭にすれば、すごいお金儲けができるってわけね」
「あるいはあのオガクズ置き場を、俺らで買い取るとかな」
「でも、どーやって固めるの? 特別な接着剤とか必要じゃない?」
この世界に実在するの?とカルラは問う。
「オガクズの成分で、勝手に固まるそうだ。そもそも炭にしなくても、固めただけで、
「じゃあ、そっちのを先に商売にしたほうがいいよ。炭にするのって、専用の
「それもそうだな。あと、オガクズがどれくらいのペースで発生するかも考えなきゃだ」
あくまでゲームの世界なので、オガクズの山を使い切ったら、ぽんと次の日には湧いている可能性もある。
木材だって、ほとんどのゲームでは、木を切りまくっても禿げ山にならず、時間さえ開ければ、無限に斧を当てられるのだから。
「ってわけで、俺はこの村に、オガライトづくりを提案するね」
ふるちんは、ドロフネにウインクしてみせる。
「ダ……ダフネ?」
女性の名前らしきを口にするドロフネ。
「ほえ」
信じられないものを見るかのように、ふるちんに手を触れかけたドロフネは、あわてて、それを引っ込めた。
「いや、なんでもない。オガクズの話でござったな。村長が聞けば、たいそう喜ぶ話でござろう。いっそカルラ殿が、今夜の奉納演奏で、女神殿から神託を受けたことにしてはいかがか」
「あ、それ、おもしろそー」
「おっさん、なかなか悪いこと考えるねえ」
「人聞きの悪いことを、ふふっ」
笑いながらドロフネは、溝を掘った柱に、例の刀を差し入れる。
クイクイと捻って、曲がりを直した。
「ふむ、こんなものでござろう」
すとんと、刀身は常の中に収まった。
「お、さんくすー。結構、簡単に直るもんなんだな」
魔法少女の杖を手にして、ふるちんは上機嫌でくるくると板間で踊りだす。
「それは熟練の技ゆえ。素人がマネして、直してはならんでござるぞ。最悪、ぽっきり折れてしまうで候」
「うえ」
ふるちんは、板間ですべって転んだ。
「ってー」
尻をさすりながら、ふるちんは足を組んであぐらをかく。
「ふるちん、はしたない」
「いーじゃん、誰も見てないし、聞いてないんだから」
ドロフネが貸し与えられた家は、村の西のはずれにあり、周りもほどんど空き家か倉庫という状態である。
「ここを訪れるのは、森のケモノくらいでござろうか」
「俺たちを招いたってことは、そっちからも秘密裏に話があったんじゃねえの?」
「なかなか嗅覚のするどい御仁であるな。しかしながら、鼻は拙者も自信があり申す」
ドロフネは、実際に、鼻息あらく匂いをかぐ仕草をする。
「貴殿、男であろう」
「あ、すごーい」
「わかるのか」
「声変わり前で、あやうく騙されるところでござったが、その仕草ではな。あとは何より、匂いござろう」
ふるちんは、自分の両腕の匂いを服ごしに嗅ぐ。昨日から着たままんの服だから汗っぽいが、常人に男女の区別ができるものだろうか。
「ふるちん殿の格好は、そちら……カルラ殿のご趣味か。それとも、失礼ながら、売りをしておられるのか」
「ん? おっさん、
「拙者は、そっちの気はあり申さん。貴殿くらいの娘がいたので、逆に辞めよと説得するつもりでござった」
「過去形ってことは……」
医療の発達していないこの世界では、幼子の病死と事故死は、日常茶飯事らしい。ふるちんたちも、当然それを想像したのだったのだが、
「恥ずかしながら、五年前に人買いに
「想定外にブラックな世界だった」
「拙者の出自は、北方アイサーン。そこで我が娘ダフネと暮らしておったが、生き別れたときが、ちょうど貴殿と同じくらいの
「五年前かあ」
「たった五年。その何十倍にも感じられ申した。もはや娘の声も容姿も忘れてかけており申す。しかし、いたいけな子どもに過酷な生活を強いるものは、許さぬつもりでござるよ」
じろりとカルラをにらむ。
「い、いやいや、安心してくれ、売りとかやってるわけじゃない。俺のこの格好は……俺は、魔術師の弟子でもあるんだ。その師匠の趣味が半分。残りはまわりの趣味」
自分でも気に入り始めているのだが、それは黙っておく。
「正式に魔術師のお弟子でござったか。それなら納得だ。一家の後継たる男子は、人に妬まれやすく、呪われやすく、ゆえに魔除けに女児として育てる風習があるときく。その師匠殿も考えあってのことかもしれぬな」
「そんなもんかねえ。まあ、俺としては、こういう偽装工作っぽいのが割と性に合ってる気がしてるよ」
時々自分でも忘れそうになるが、彼は盗賊クラスである。
こっそり仕掛けを施したり、いたずらしたりという内在する欲求が、キャラメイキング時の性格診断で反映された可能性が多分にある。
「で、オッサンは、わざわざそんな遠くから何しにきたんだ」
「娘の足跡を追ってるうちに、王都まで来たのでござる。普通、奴隷にした娘は、少し離れた地域で売り飛ばされてオシマイでござるが、どうにも人買いが手放さなかったようでござる。闇の奴隷市を追ってるうちに、とうとう拙者、ここで路銀がなくなったわけで候」
「それで、村の用心棒か。ここって、なんだか知らねぇけど、貧乏そうだよな。用心棒たって、そんなに儲かるように見えねえけど」
「然り。謝礼は食い物だけでござる。とりあえず生きてはいけるが、刀の修繕すらままならぬ状況で候。畑も与えられ耕してはいるものの、収穫はまだまだ先。それゆえ、先ほどの貴殿のオガクズの話は、渡りに船というもので候」
「街にいけば、すぐに金の入る仕事もあったんじゃね?」
「それがどうして。王都は、よそ者には厳しいでござるよ。役人につつむワイロもなければ、紹介を頼めるツテもない。とくに拙者は北部出身の田舎者ゆえ」
「冒険者ギルドとか行ってないのか? おっさんの腕なら、引く手あまただと思うぜ」
「それが、なかなか」
「そうだなあ」
ふるちんが顔を向けると、その意図を察して、カルラは無言でうなずいた。
ふるちんが思った通りやれという支持の表明だ。
「おっさん、あんた何ができる? 王都に近々、学校ができるんだけど、教師を探してるんだ」
「ほう、学校とな」
ドロフネは居住まいをただす。
「拙者、これでも地元では、剣術指南役と、寺子屋の指導をしておったでござるよ」
「へー、寺子屋なんてあったんだ」
「領主様が、開明的な方でござってな。読み書きはもちろん、算術や天文学など、王都よりも教育には力を入れておったでござる」
「こいつぁ、掘り出しもんを見つけたかもな。働く気はあるかい?」
「それは願ってもないことでござるが、王都ともなれば、下級貴族の子弟か、商人の子どもが学びに来るのであろう? 拙者のような田舎者が教師では、勤まるか心配で候」
「うんにゃ、学校は貧民街に作って、通うのはそこのガキどもだ。言うこと聞かないやつあ、切りつけたって文句は言われないだろうぜ」
「それは問題あると思うけどなあ」
「貧民街に、学校とな? それはさらに興味深いでござる」
「王都の治安を担う警備隊がバックについてるから、うまくすれば、そのコネで、娘さんや人買いの情報も集められるかもしれねえぜ」
「ぜひ務めさせていただきたい。伏してお願い申し上げる」
ためらいなくドロフネは、土間に降りて両手をついて頭を下げる。
「いやいや、先生が頭を下げるなって。それに実際に採用できるのかは……誰だろう。警備隊長か? それとも宰相か? そいつの腹づもり次第だ」
今の流れだと、ふるちんに全て押しつけられそうだが、やはり誰か学長的な人物を据えるべきだろう。素性あやしからず、内外から人材を集められそうな人物を、である。
「ただ、一番の懸念と言ったら、さっきのアレだな」
「ん?」
「おっさん、今まで何人斬った?」
視線を下に落とし、サムライは黙り込んだ。
「おっさんが剣を握って、切り込んでくると、気迫っていうかオーラっていうか、修羅の血が噴き出して見えんだよ。まあ、だから腕の立つ剣客だなって、俺も評価してるんだけどさ」
名前が赤く見えたという話はしない。
「修羅の血、か。なかなか言い得てござるな」
ドロフネが立ち上がり、すそのホコリを払う。
「なんかで顔が割れてて、王都で職に就けない立場じゃないのか? 冒険者ギルドにも寄れないってのは、ちょっと怪しすぎるぜ」
「そうで、ござるな。実は拙者――」
ドロフネの声を、鐘の音が遮った。
カンカンカン カ カンカンカン
「なんだ、火事か?」
「ケモノだ! あれは、村の中にケモノが出た合図!」
用心棒は「やはり満月か」と言い捨て、扉を蹴破る勢いで戸外へ飛び出していった。
「ケモノって何だ? ブタを食い散らかしたやつ?」
「それか、人を化かすモノノケかな」
「とりあえず俺たちも行く……うおわっ」
二人の目の前に、前触れもなく、クエストが表示されていたのである。
《クエスト:村を襲う敵を撃退せよ》
「もー、未達成のクエストがどんどんたまってくー」
「……ふざけるな」
押し殺すような声が、可憐な姿から漏れ出していた。
「どったの、ふるちん?」
カルラが顔をのぞき込んで、その背筋を凍らせた。
「ふざけるなってんだ! 開発者の野郎、出てこいッ。これじゃあ、まるで俺たちが来たせいで、村が襲われたみたいじゃねえかっっ」
ふるちんの叫び声が、家の中にこだまするのを、カルラはどこか遠い国の出来事のように聞いていたのだった。
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