第17話 時よ止まれ、おまえは美しい
ミリオンの頭に、巨大な肉切り包丁が振り下ろされようとする刹那、ふるちんは幾通りもの都合の良い展開を思い浮かべていた。
一 ミリオンは目にも留まらぬ体裁きで、包丁をかわす
二 オークが実は親友で、包丁はギリで止まる
三 カルラが、鎮静化の音楽を奏でていた
四 ガウスがミリオンを突き飛ばす
五 ミリオンが実は超石頭
六 オークはもう死んでいる
七 ゾーエンの一喝で、オークは踏みとどまる
八 カルラが隠し持った弓で、斬撃をそらす
九 実はこれは夢で、ふるちんはプーランの寝室で酔いつぶれている
十 かわせない。現実は非情である
――おいおい、こんな時に、どんだけ悠長に俺は思索にふけってるんだ。
しかしオークは、相変わらず包丁を振り降ろす姿勢のまま、静止していた。
ふるちんの無意識の祈りが通じたのか、時間は完全に停まっていたのである。
――仲間の死を目前にして、俺の脳クロックが異様に高まっているのか? ありったけのリソースを演算に費やして、世界が停まって見えるのか?
人は死に瀕したとき、ドーパミンやら何やらが大量に放出され、脳が超活性化することがあるという。
走馬燈が見えるというのは、過去の記憶から解決策を見い出すため、脳が必死に情報検索をしているのだとも。
――だったら俺は、今できる最善の手を考えるべきだな。
今は時間が停まっているから、ふるちんも身体は動かせない。
――だが、メニュー操作はできるんだな。
アクションゲームで、アイテム使用画面や、特殊な照準中だけ、時間停止している感覚に近い。もしかすれば、気付かないほど非常にゆっくりと時間が動いているのかもしれないが。
いつこのモードが解除されるかわからない。
ふるちんは焦りつつも、オークの
革のブーツ、布の服、麻縄のベルト、金属製のイヤリング、そして包丁。
――このデカい武器をどうにかできないか。
自分のスキルを確認する。
わずかながらに〈
――相手がオークなら、成功率は低くなさそうだ。
だが、あの武器の重さは、どうだろう?
そして、密着していない敵から、スリ取ることが許容されるのか?
――落ち着け。これは、まだベータテストなんだ。細かいつじつま合わせは、まだ実装されていないに違いない。それにファンタジー世界だ。スキルなんてのは、魔法なみに非常識な力を発揮するはずで……。
ふるちんは意を決して、〈
シュフォォォ!
圧縮空気が解放されるような音がした。
食堂の喧噪が一気に戻る。
ふるちんの目の前に、盛大に空振りをするオークの姿があった。
「おや?」
いつまでも衝撃が来ないことをいぶかしみ、ミリオンがオークにふりむく。
オークは武器がどこにすっぽ抜けたか、足下を捜す。
カルラは何が起きたか理解できず固まったままだ。
ガウスは意に介さずサラダをミリオンの小皿によそおっている。
そして……
ふるちんの手元には、肉切り包丁が握られていた。
「オデの包丁!」
オークがずかずか歩いてきた。
「なにが包丁だよ、何に使うんだよ、こんな見せかけの武器」
それはバルサ材よりも軽い木材に、色を塗っただけのシロモノだった。
「これは、試合に使う、武器だあ」
試合形式にもよるが、ヨロイを着た相手に強くぶつければ勝利。その際、武器が派手に壊れたほうが、審判に強打をアピールでき、相手にもケガをさせずにすむのだという。
ふるちんから奪い取った包丁を、オークは背中に戻し、ヒモで縛り直す。
「ちっとも、驚く、しないで、おもしろく、ないっ」
周囲の人間は、ふるちんのスキルに気付かず、単純に包丁がすっぽ抜けただけと思っているようだ。
――俺も、命拾いしたのか? 街中で窃盗がバレたら、瞬殺されるゲームが多いって、カルラが言ってたからな。
「くそ、冷や汗が出まくりだ。なに笑ってんだミリオン。おまえ、わかってたのか」
「遠目で真贋がわかないようでは、武人失格ですよ」
「とはいえ、まったく避けないのも、どうかと思うぜ。女のコなんだから、かわいい顔にケガしたら、まずいだろう」
「えっ? ああ、まあ、そうですね」
ミリオンが急にしどろもどろになる。
カルラがふるちんの足を踏みつける。
「った! なんで!?」
「だから、ふるちん殿の登用には反対したのです」
ガウスにも文句らしきを言われ、ふるちんの思考はさらなる混迷を極める。
「で、なんで、おまえもちゃっかりテーブルに座ってるんだ。肉の配達の途中だったんじゃねぇのか」
ミリオンが誘ったとはいえ、先ほどケンカをふっかけてきたオークが、遠慮もなく同席している。
「ああ、おで、フレッシャー」
「さわやかな名前してんじゃねーよ。ミリオン、こいつ知り合いか?」
「この店に出入りしているのは、よく見かけました。この方は、王都でも顔を隠さないですから。フレッシャーさん、あなた元は兵士ですよね? 退役者だけの試合で、いつも上位に入ってる、あの方ですか?」
「ん、そだ。よく、知ってるな」
オークが人なつっこく相好を崩す。
「オークってのは、初対面のやつには、あんな挨拶する習慣があるのか? 挨拶するたびケガ人ができてたら、警備隊長の首が、ぽぽぽぽぽーんだぞ」
「まあまあ、幸いどちらもケガをしなかったことですし」
「ガウスのおっさんも、ちったあ注意してやれよ」
副官は、すっかり諦めたというふうに、首をゆっくり左右にふる。
やってらんねーと、背もたれに身体を預けて、ふるちんが伸びをする。
『ふるちん、さっき何したの?』
会話が途切れたのを見計らって、カルラがチャットで声をかけてきた。
カルラだけ、包丁が不自然に移動したことに気付き、流れゆくログのなかに、ふるちんのスキル行使を見つけたのだ。
『
『あの距離で? すごいね。しかも、これだけ人がいて誰も気付かなかったよね』
『視線がオークに集中してたおかげかもな。バレてたら、大騒ぎだったろう』
『まあ、目の前に警備隊長がいるから、そのへんは大丈夫だったかもだけど。でも、よくあんな状態で、とっさに使えたね。あたし、全然動けなかったもん』
『ああ、それなんだが』
ふるちんは、自分に起こったことをカルラに説明する。
『あたしは、なにも感じなかった。時間停止に気付いていたのは、ふるちんだけね。さすがに
『その間、俺以外のプレイヤーが意識を失ってたり、その間の記憶が消えてるとか』
『そんな動画の切り貼りみたいに、きっちり都合よく、人の記憶や意識を操作できるのかしら』
『だとしたら、やっぱり俺の脳クロックに、一時的なブーストがかけられたんだろうな。もともとこの世界の一日って、現実世界の一分だろう? 安全性を確保しての一四四〇倍。一時的になら、さらに高速化する余裕はあったんだろう』
それに、あの時間停止の世界では、一切の音が消え、色も消失していた気がする。
それだけでも脳への負担は大幅に減じていたはずだ。
『だけど、どうして、そんなことが可能になったんだ。今までわりと死にかけたこと、あったと思うんだが』
『それは気付いちゃったから』
カルラはテーブルの下で、ふるちんの手を握った。
『あたしが、この世界の創造主について語ったせいで、この世界の知られていないけど、制限もされていない仕様に気付いちゃったのかもしれない』
この世界には、目の前にあるのに、言われるまで気付かないものが、あまりにも多すぎるのだ。どれが自分の大切なものかを、自分の責任で判断しなくてはならない。
『じゃあ、死ぬ気……というか、死にそうな気になれば、いつでも使える能力なのか』
『かもしれない。単に操作が早くなるだけなら、多用しても、脳への負担は心配なさそう』
『カルラにも使えるようになるかもな』
『うん、練習してみるよ』
二人が頷きあったタイミングで、ミリオンが席を立ち、革手袋をはめる。
「さて、小腹もふくれましたし、気合いを入れて仕事の続きをしましょう」
仮執務室に戻ったミリオンは、ものすごい勢いで各方面に手紙を書き、次々と伝令に手渡す。ついには係の者が出払ってしまった。
「では、この手紙は、ふるちんさんに託しましょう」
ミリオンは、薄手の羊皮紙の束を丸めて、赤い封蝋を施したものを、ふるちんに手渡す。
「こっそり忍び込んで、机の上に置いておけばいいのか?」
「正面から堂々とお願いします。王立学問所の老師シルベウスあてです。この方に会って、魔法陣の相談をしてください」
「そいつぁ助かる」
場所を確認すると、ふるちんとカルラは、さっそく連れだって向かった。
二人を見送ったガウスの背中に、ミリオンが語りかける。
「不思議な二人ですね」
「ええ、監視の者からも、怪しいむ行動はないと。二人でいるときは口数の少ない、しかし仲の良い姉弟とのことです」
「そこが引っかかるんですよね。今日も食堂で、なにか示し合わせがあったようなのですが、それらしい信号をなにも用いない。もう少し素性がわかれば、重要な仕事を任せたいと考えていたのですが」
「大丈夫ではないですかな? ミリオン殿は、常に直感だけで、人の才と悪意をかぎわけてきた。あなたが、あそこまで気を許すのであれば、ほぼ問題はないでしょう」
「それが彼らの手管かもしれません。詐欺師というのは、人を籠絡するのに長けているのです。宰相閣下から副王の動きに留意せよとのお言葉があったはしから、この暗殺未遂ですからね」
「あの二人は、まったくもって善意と好奇心だけで動いておりますよ。だから人を惹きつけるのです。なにゆえバルバデン=ギリウスの闇トカゲと知己があるのか疑問ですが、カルラ殿がエルフであったのと関わりがあるやもしれませんな」
「ボクのほうこそ、あの二人に好奇心を抑えられませんよ。しかし疲れました。ちょっと仮眠をとらせてください」
ミリオンは椅子に身体を預けると、ずるずると身体が下がっていった。
「そういえば、昨日から寝ずに働いておりましたな、我々は。あんな事件の直後だというのに、いや、だからこそ、かえって目が冴えて仕方がなかったですな」
「ええ、ワクワクが……止まりま……せん」
静かな寝息が聞こえてくると、ガウスは少女の身体をそっと横抱きにすると、応接用の長椅子に横たえた。
靴を脱がせ、胸元をゆるめてやると、彼女のマントをかけて、自分はカーテン向こうの控えの間に退く。
「……予言の日まであとわずか。あの方が王国を、ひいては世界を終わらせるとは、とても信じられませんな、副王陛下」
「なにか、おっしゃいましたか、ガウス殿」
受付の任にある兵士が聞き返す。
「ああ、少し仮眠をとる。隊長殿への用向きがあったら、起こしてくれ」
「了解しました」
ガウスは椅子の一つに腰掛け、腕組みをしたまま目を閉じた。
――願わくば、この時がとまり、いつまでも今日であり続けることを祈りたい。
彼は、他にも祈りの言葉を携えていたが、それを唱える間もなく、すぐさま深い眠りに落ちていった。
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