第16話 プーラン・酒場・オーク

 カルラは、ふるちんの発言の意味が理解できない。

 耳で理解しても、心が追いついていかない。


『なんで……兄貴があたしを敵だと思うの……?』


 両の目を閉じていながら少年盗賊は、困惑の視線が向けられているのを痛いほどに感じていた。


『カルラの兄貴が、本当にこの世界を管理する調整神だったら、ゲームバランスを崩すチート野郎は、見つけ次第に排除してくるもんだろう。当然の発想だぞ』


『でも、兄貴だよ』


『おまえが妹だってわかるのか? わかったところで、チートを許すのか?』


 カルラはぐっと胸元の竪琴リュラを引き寄せた。


『わかるに決まってる。許すに決まってる。だって、あたしの兄貴なんだよ』


 理屈が通じない。


『俺はな、おまえに絶望を抱いて生きろとは言わない。ただ、警戒をしてほしいだけだ』


 ふるちんは、どう説明したものやらと、こめかみを押さえる。


『このゲームが、待ちに待ったカルラの正念場なんだろ? だったら、アカウントをBAN追放だっけ、それをされるのだけは避けてくれ。二度とこのゲームにアクセスできなくなったら、目も当てられない』


 カルラがうつむくのが気配でわかった。


『とにかく慎重に情報を集めよう。だから目立つな。裏方に徹しろ。バグ技は見つけても使うな。なにか新しいことをするときは、先に俺がやる』


『……わかった』


 納得していない口ぶりながら、一応はカルラが承諾をする。


――どう説明すれば良かったんだろうな。


 表面上はカルラを肯定し、それとなく自重をうながすべきだったか。

 残りの移動時間を、ふるちんはひたすら会話内容の反芻に費やした。


 泪橋のたもとにつくと、一行は馬車を降り、立ち番をしていたギルド員とともに、プーランのギルドハウスに赴く。


「にーちゃんのおかげで、万事うまくいった。礼を言うぜ」


 大男のタンゲに両脇をもたれ、ふるちんは〈高い高いリフトアップ〉の洗礼を受ける。


「おい、おっさん、やめれっ」


「坊主、軽すぎるぞ、ちゃんとメシ食ってるか」


「盗賊は身軽なのがいいんだよ」


 タンゲがふるちんを小脇に抱えたまま私室に入ると、プーランは寝台に上体を起こしたまま、ふるちんたちを出迎えた。


「おー、みんな無事で良かったなっ」


 彼女は盗賊に似合わぬ白レースの寝間着を着ており、来客に失礼がないようにか、これまた上品な素材のカーディガンを羽織っている。


「プーランさんのおかげで、すべてうまく解決しました」


 ミリオンが、その両手をとって感謝を伝える光景は、まるで姉を見舞う弟のようだ。


「なに、この魔法陣」


 ぶすっとした表情で、カルラが床を見やる。


 プーランの寝室には、床に大きく白チョークで円形の図が描かれていた。


「こいつぁ、病気の快癒を祈るまじないでな」


 タンゲが足でかき消す。もはや用済みになったのだ。

 ふるちんは嫌な予感を胸に抱く。


――もしかして魔法陣って、わりとあちこちに描いてあったりする?


 プーランは、〈死んだふり〉状態とはうってかわって、顔色が良かった。肌つやにおいては、若返ったかと思うほどだ。


「プーランも、こんなに早く生き返れるとは思ってなかったぞっ。おかげで体調もすこぶる絶好調だが、タンゲらが休め休めとウルサいのだっ」


「確かに血色が良いが……おまえ飲んでるだろ」


 室内が酒臭かった。


「薬酒だよ、薬酒っ」


 バレては仕方なしと、毛布に隠した素焼きの小ジョッキを取り出し、ぐびり。


「薬の匂いだと思ったら、お酒だったんですか」


「もー恥ずかしくって、飲まなきゃやってらんないってっ」


「それって〈死んだふり〉と関係あるか?」


 ふるちんが皆の疑問を代表する。


「どうやって起きたのか聞いていいか?」


「やだよっ」


 復活の鍵は〈彼女が最愛する者の口づけ〉であった。つまり、彼女はそれを果たされたことになる。


「もしかして、片思いだったんですか?」


「それはないっ。断じてないっ。だから余計に恥ずいのだっ」


「誰だったのかなー、お相手は」


「ああ、ランとレンが無理矢理……ふるちんっ! おまえが入れ知恵しくさったそうじゃないかっ、この裏切り者っ」


「俺のせいかよ。感謝されても非難される覚えはねぇぞ」


「ふるちんさん、どういうことですか? いいかげん種明かししてください」


 ふるちんは両手をぐるぐるまわして、何か良いわけを考えていたが、皆の視線に耐えかねて、白状をする。


「つまりプーランは特定の誰かとかじゃなくって、あの街がいちばん好きだったんだよ。言わせんなよ、ばか」


「えっ、まさか街の……地面に接吻させたのですかな」


 ガウスがドン引きする。


「大航海時代、新天地にたどりついた船乗りは普通にやってたぞ」


――例の暗殺イベントが発生するまでに、どうにかしてプーランの好感度を高めておけば、別の展開もあったのではないか。


 そう、ふるちんは考えるのだが、後の祭である。


――別のプレイヤーが、また同じイベントを発生させたりでき……なさそうだな、これ。


「もしかして、プーランさんは、みんなを試したのでしょうか。ギルマスの信条を理解しているかどうか、を」


「それか、不届き者たちが立候補してくるのを、意地悪く観察したかったとかなー」


「それは趣味がわろうございますな」


「勝手に話を進めるなっ。〈死んだふり〉の解除方法は、プーランには決められないのだっ」


 一行の笑い声が室内に響く。


「第三ギルドの制圧には、おまえらの見取り図が役に立ったそうだっ。潜り込ませていた部下も、隠し部屋には気付いてなかったようだなっ」


 ふるちんとカルラの持つ自動地図作成オートマッピング機能は、未探索の場所もある程度まで透視する仕様になっている。


「あんな、ぐっちゃぐちゃな建て増しだらけ、ふつうのヤツじゃ、隠し部屋に気付かないよなあ」


 隠れていたギルドマスターは、直接暗殺に関わってはいなかったものの、数々の暗殺業務を黙認していたことから、ケジメとして引退に追い込まれだろう。

 第三ギルドの構成員は、すべてプーランが預かる身となっている。

 ルィジーは牢屋の中で、誰の依頼かを念入りに調べられている。


「あの建物、古いけど、石造りで広くて便利だよね。学校もあそこに作れるかな」


 カルラがぽつりと言う。


「ギルドの連中を全部教師にしちまうのか? あいつらロクなこと教えないぞ」


 それよりも、どうやって、あんな石造りの建物を増築できたのかが、ふるちんにとって最大の謎だった。


「やっぱ、石積みの一部を、いったんバラしたんじゃない?」


 カルラもだんだん、いつもの気安い喋り口調に戻ってきた。


「大工事だな。もしかして町内に職人がいるのか? ぜひ話をしたいもんだ」


 見舞いの手土産として持ち込んだ果物などを食しつつ、皆で今後の計画に夢をふくらませていく。


 修羅場を乗り越え、ふるちんらは確実に連帯感を強めていた。


「そうだ、ふるちんっ。おまえ、うちのギルドに入らないかっ?」


 プーランの誘いも至極当然であった。ふるちんは盗賊初級者ではあるが、マスターシーフ級のプーランでしか見えない〈死の視線〉を看破し、姿を消していた黒魔導師ヴィカラットをも検知していた。


「そうね、入ったら? もともと、あたしと会ったのもギルド探しがキッカケだったじゃん」


「あ、それは困ります。ふるちんさんは、今後、ボクの執務室に出勤してもらわないと」


 ミリオンが異を唱えた。


「そもそも、今後、街の改革をしようって人が、盗賊ギルドに入っていたら、怪しまれてしまいます」


「なんだとー、盗賊が怪しい商売だってーのかっ」


「指名手配されてるプーランさんとこうして会ってるだけで、ボクはだいぶ危ない橋を渡ってるんですよ」


「おー、そいつはご苦労だったなっ。プーランからの杯だ、もっと飲めっ」


「いえ、ちょっと、これキツ過ぎるんですけど」


「なんだとーっ、プーランの酒が飲めないってのかっ」


「この人だいぶ酔ってきたんで、打ち合わせは次の機会にしましょうか」


 ミリオンが強引に締めにかかる。


「そうだな。まだ病み上がりだろうし、ちょっと日をあけよう」


 一行がぞろぞろ部屋を出る。


「ふるちーんっ、今度はこの街の顔役をごっそり集めて、飲みまくるぞっ」


「へいへい」


 ぞんざいに聞き流した風ではあるが、ふるちんは十分に感謝していた。


 この街は、雑多な問題が山積しすぎて、さまざまな利権がせめぎ合っている。今後、いろいろと事業を展開していくには、まずは街の有力者たちの協力をとりつけておくのが一番だ。


        ◆        ◆        ◆


「でさ、さっき聞きたかったんだけど、魔法陣って、わりと普通に使われてるのか?」


 馬車のなかで、ふるちんが問う。


「いえ、あんなのは初めて見ましたよ。民間では普及しているのかもしれませんが」


「うわー俺、あの図形、覚えてねーぞ。街中に似たような魔法陣がたくさんあるんなら、目当ての仕掛けと区別がつかん」


「ふるちん、記憶力いいと思ったんだけどな。黒いおじいさんのスケッチ、すごいうまかったじゃん」


「あいつは、わかりやすい外観してんだよ。いまにも魔法使いって感じで」


「あ、図はわかります」


 頭を抱えるふるちんに、ミリオンは平然と答える。


「え、もしかして、おまえこそ、実は一度観たら忘れない系すごい記憶力の子?」


 ふふふと笑いながら、ミリオンは胸元から、筒状にまるめた羊皮紙をとりだす。


「人の顔は忘れませんが、あんな複雑な図は、さすがに無理ですよ」


 両手で左右に広げた羊皮紙には、うっすらと魔法陣の形にシワが残っていたのである。


「水で書いたからって、完全に消えるわけじゃないんです」


「うひょーっ」


 ふるちんはミリオンの両の手をつかんで、羊皮紙に見入る。


「すげえ、これなら紙に写して、バラまけるってもんだ。あの黒いじーさんも、親切だな。ツンデレってやつかー?」


「あの」


「いやまてよ、図形を決め打ちで聞いてまわったら、足下を見られそうだな。それよりも、『あなたの知ってる魔法陣をご紹介ください』って公募はどうだろう」


「ふるちんさん?」


「この国の魔法陣をコレクションできるといえば、選考委員に魔術師たちも喜んで協力しないもんかな。ミリオンの知り合いで、魔術師いないか、ええ、おい?」


「羊皮紙が破れるから手を離してください」


 きっぱりと言われ、ふるちんは、ようやくミリオンの両手をつかんだままだと気付いた。


「ああ、すまん。でも、羊皮紙って、そうそう破れるもんじゃないだろう」


「知りません」


 心なしか顔を紅くしたミリオンが、羊皮紙を巻いていく。


「えっ、俺なんかした? いたいけな子どもが、年相応にちょっとハシャギ過ぎただけじゃん」


 カルラが、無言でふるちんの頭をしばいた。


 少年は理由がわからず、頭の上に疑問符が並びまくる。


「年相応と言えば、あのプーランも、いろいろ考えてるんだな。次回の打ち合わせは、大いに進展がありそうだ」


「そりゃ街一番の盗賊ギルドのマスターだもん。部下が優秀なだけなら、乗っ取られてオシマイだから」


「昨晩もミリオンの影武者が勤まったってことは、やっぱり、それなりの風格があるんだろうな」


「文字だって読めるし、どっかいいとこのお嬢さんだったんじゃない?」


「没落貴族の令嬢、か。そんな話、ごろごろしてそうだな。むかしの武士や海賊も、都落ちしてきた貴族様を大切にしたんだろう?」


「ボクもプーランさんには、幻の姉の面影をみることがありますよ」


 気を取り直したミリオンが、話に合流する。


「また、その話ですか」


 と、ガウスがさりげなく「自分こそが隊長の些事まで把握しているんだぞ」とアピールする。


「ボクには、昔、長い黒髪の姉がいたような記憶があるんです。物心ついてから父母に聞いても、笑われるばかりでしたけど」


「あるあるー。近所のお姉さんや、若かったお母さんを、よくそう思っちゃってたりするんだよねー」


「でも、ボクの周りに、女性で剣の達人なんて一人もいないんですよ。その姉は、大型の野獣すら剣一本でたやすく屠りますからね」


 隠密行動を旨とし、短剣を小器用に使いこなす盗賊のプーランとは、似ても似つかぬスタイルである。


「どこまで本当の記憶か疑わしいけど、ミリオンが剣術やりはじめたのって、その幻のお姉さんの影響?」


「いま思えば、そうかもしれませんね」


「やっぱ姉妹や兄弟の影響って、大きいんだなあ」


 見まいとして、それでも一瞬、カルラを見てしまった少年の視線を、ミリオンはしたたかに捉えていた。


「ふるちんさんは、カルラさんと姉弟ではないんですか?」


「んあー」


 ふるちんは言葉をにごす。

 同郷だと説明しているので、ミリオンも血まではつながってないと理解しているはずだ。


 だが、それ以上の説明は、このNPCノンプレイヤーには危険だ。

 自動学習により、新しい知識を積み重ねていくことで、ゆくゆくはゲームバランスを崩すほどのメタ知識を得てしまうのではないか? そんな恐れを、少年盗賊は抱きはじめていたのだ。


――これが普通のプレイだったら、さんざんバグをいぶり出してやるんだが、創造主様ににらまれそうな行動は今後は控えなきゃな。


「ふるちんは、あたしの可愛い弟分。うちの地元の姉弟概念は複雑でね。正しく理解してもらうには、もう少し時間がかかるかな」


 カルラが、煙に巻くような説明で援護をする。


「了解しました。いまは聞かないことにしておきましょう」


 意外にもミリオンがあっさり引いてので、ふるちんは拍子抜けだ。


「あ、それから、ふるちんさんは、今日から隊長室付の事業監督官に任命します。お給料は出しますが、盗賊ギルドに加わることは禁止です」


「お、おう」


 フェイントをかけられて心がグラついたところに、有無をいわさぬミリオンの態度で、思わずふるちんは承諾してしまう。


「それは、何をすればいいんだ?」


「あなたが街の改善のため実行したいことを、ボクに相談してください。資金や人材を工面します」


「それは願ったり叶ったり、だな」


「王都の警備隊長であるボクには、街の治安に関して、大きな権限が与えられています。宰相閣下の直下ですので、ほかの役所との折衝も、ボクを通せば比較的すみやかに根回しできるでしょう」


「そうだな、まずは学校か」


「そうですね。執務室に戻り次第、学問所の教授陣に手紙を書きます。話し合いの内容は、貧民街への学校の設立と、王都内の魔法陣情報の収集ですね」


「あ、ちゃんと聞いてたのか」


「当然です。これまでのあなたの働きを見れば、その発言を軽んじることなどできません」


 ミリオンの生真面目なまなざしに、ふるちんはたじろぐ。


「うえ、こっぱずかしいぞ」


「ふるちん殿を知らない者は、その外見で侮るかもしれない。が、そこは実力でねじ伏せていただきたい」


 副官のガウスが助言を加える。


「このミリオン隊長も、実際そうして警備隊を従えたのだから」


「まあ、学問所とコネができるのは有り難いな。すでに魔法陣の実地調査フィールドワークをしてる研究者もいるかもしれないし」


「ねえねえ、あたしは何をすればいいの?」


 自分だけノケモノにされている雰囲気に、カルラが割り込みをかけた。


「お仕事が必要でしたら、口利きできますが、本業はよろしいんですか。何がやりたいんです?」


「んー、ふるちんのマネジメントかな?」


「いえ、それはボクのほうで担当しますので」


 あっさり却下されて、カルラはむっとする。


「あなたお一人でできる仕事を教えてください」


「カルラは音楽のエキスパートなんだ。音楽理論、演奏、指導、作詞・作曲、なんでも出来るぞ」


「んーまあ。一通りは」


「となると学問所の講師としてお迎えできますよ。自由七科リベラル・アーツで、とりわけ音楽は女性に人気ですから」


「へぇ、女のコも授業を受けられるんだ」


「ええ、貴族の女性は、最低限の教養がないと社交界で生きられませんし、地方では領地運営の才覚を求められますからね」


 ただし、とミリオンは補足する。


「男性が受講する授業では、集中を乱さぬよう、ヴェールをかぶっていただきますが」


「えっ、あたし、そんなに魅力的? 照れちゃうなぁーあはは」


「カルラさんは十分に魅力的ですよ。よろしければ推薦しますが」


「んー、先生になったら、学問所の本とか自由に読めるのかな?」


「なんでも自由ではありませんが、信頼を得られれば、それなりに重要な書庫にも入れるでしょう」


「だったら、興味あるかな」


――古巻物スクロール目当て、か。


 この世界と、カルラの兄との関わりを調べるには、世界の奥義に直結する古巻物スクロールは無視できない。

 事実、カルラは、チャット機能も古巻物スクロールから得ているのだ。


「では、執務室に戻ったら、さっそく推薦状を書きましょう」


 ミリオンが両手を小さく合わせる。思惑通りに進んだせいか、明らかに機嫌が良い。


「忙しくなりますよ。あ、その前に食事にしましょう。ガウス、執務室に四人分の食事を運ばせてください」


「軍の食事をですか? まあ、慣れておくにくはないですが、途中で馬車を降りて、居酒屋にでも入ったほうが」


 副官の口ぶりからすると、ミリオンらが普段口にしている食事は、とても一般人が食べられるシロモノではないようだ。


「そうですか。では良い店を知っていれば、ガウスが案内してください」


「街のことは、隊長のほうがお詳しいでしょうに」


 ガウスが苦笑する。


 実際、一行はミリオンの案内するまま、宿屋が営む食堂に入っていった。


 王都の宿屋は、大半が一階を食堂にしており、とくに石造りの建物は、深夜まで営業を認められていた。


 ふるちんたちの入った店は、木造ながら、分厚い漆喰で内外を保護され、耐火性は十分にあり、さらには川縁ということもあって、併設するパンの焼き場の熱で、風呂屋も営んでいた。


「実はこのお店は初めてなんです。大人数で来れば、なにが美味しいか、いっぺんにわかりますからね」


「なにがウマいか、事前に調べたりしないのか?」


「密偵を放って、ウワサを集めるんですか? 職権濫用ですよ」


「違う違う、ウマい店とメニューが、本や新聞になってないのかって」


「ははあ、面白いことを考えますな。しかし、文字の読める階層が、こんな古い食堂に来ますかな」


 ガウスの指摘もうなずけなくはない。


「あら兵隊さん、いらっしゃい。古くて悪かったわね」


 ネコ耳の生えた女給が、不機嫌に注文をとりにくる。王都には珍しい亜人種であった。


「亜人種が多いのね、このお店」


 薄暗くてわからなかったが、店員も客も、さまざまな容姿であった。

 翼の生えたもの、ツノの生えたもの、尻尾の形状もさまざまである。

 ふるちんが亜人種を見るのはほぼ初めてだった。


「ようやくファンタジーっぽくなってきたな」


 店の主人が亜人種を毛嫌いしなければ、客も店員も口コミで集まるのは道理であった。

 ここが世に人のいう亜人種酒場〈デミアン〉である。


「なに、気に入らなければ帰っていいんだよ」


「気にするものですか」


 カルラは自分の髪をよけて、店員にだけ耳をのぞかせた。


「あら、あらあら、あなた、エルフなの? だったら大歓迎よ」


 え?っとミリオンとガウスが、カルラを見る。


「わたしゃ、ここの給仕長のゾーエンってんだ。吟遊詩人かい? 良かったら一曲、聞かせておくれよ」


「夜にまた来るから、そんときでいいかな。いまは、仕事中の小休止ってとこでね」


 ゾーエンは、ミリオンたちへの態度もしぜんに柔らかくなる。


「で、なにが食べたいんだい? 初めてなんだろ、サービスするよ」


「それぞれ違うオススメを四人分ください」


 ミリオンが、メニューも見ずに注文をかけた。もとより、文字を読める客が少ないから、まともなメニューなどどこの店も置いていないのだが。


「そうですか、カルラさんは亜人種の方でしたか」


「ハーフだけどね。気持ち悪くなった?」


「とんでもない。亜人種に偏見があったら、このお店に誘ったりしませんよ」


「へぇ、有名なんだ」


「このあたりでは知られたお店なんでしょうね。ボクは、フードを被ったり、マントをはおった亜人種の人たちが入っていくのを、よく警邏中にみかけてるんです」


 だから、前から入ってみたかったのだという。


 ほどなく、肉の香草焼きや、焼き魚、フルーツの揚げ物、スープなどがやってくる。とても四人前には見えない。


「王都で、これだけ新鮮な食材が手に入るというのも、珍しいですね」


 ふるちんらは、屠りたての肉を数日前に食べていたが、ほとんどの人々はせいぜい保存用の燻製肉しか食べられない。ブタを飼っている森が、王都から遠すぎるのだ。


 魚は王都の近くで釣れるのかもしれないが、果物はどこから入手しているのだろう。

 さすがに取り皿は、二人で一枚だが、あるだけ贅沢な部類である。


「あ、ミリオンちゃんもガウスさんも、フォークとスプーン使う?」


 皮の手袋をはずして、手づかみにかかる二人に、カルラが声をかける。


 基本、王都はどこの店も手づかみで、スープは皿から直飲みするスタイルである。ふるちんたちは、それに馴染めず、初めはパンに挟んだりしていたのだが、じきに自前の食器を持ち歩きはじめた。

 腰のポーチだけでも、驚くほどアイテムが収納できるのである。


「え、いつも、それだけの量を持ち歩いてるんですか? お皿まで?」


「うちらの故郷は、素手で食べるのは、かえって行儀が悪いんだよ」


「っかし、プーランとこで、軽くつまんだあとだと、これはキツいな」


 ふるちんが子どもらしい小さな腹をなでる。


「おいしいから、大丈夫ですよ」


 ガウスが切り分けるはしから、ミリオンがぱくぱく食べている。


「ミリオンは爵位がなくっても、貴族の類縁だろ? 軍に入る前は、さぞかし旨いものを食ってるんだろうに、こういう庶民の味もいけるわけ?」


「それがどうして、どうして」


 ミリオンが首を左右にする。


「客を招いての高級料理というのは、手間をかけるほどに味が失われ、それはもう、悲惨きわまりないメニューばかりですよ」


「貴族の食事などというのは、肥満と虫歯をもたらす魔族のエサですな」


 ガウスも深く同意する。


「公爵家の人間が言うんだから、真実みがあるわね」


「……だったら、貴族様向けに、庶民食堂のガイドブックも、需要があるんじゃね?」


 ふるちんが先ほどの企画を蒸しかえす。


「お忍びで通えるよう、不自然でない服装や、庶民的なマナーなどもアドバイスするんだ。あるいは、こうやってガイドを一人つけて、グループで来られるようにする」


「食堂を借り切ったほうが早くないですか?」


「一般客を眺めるのも楽しみのうちだって。とくに亜人種なんて、見慣れてないだろう。でも、店に話をつけておくのは、いい根回しだな」


 カルラから、白紙の折り本とチョークを借りて、ふるちんはものすごい勢いでメモをする。

 もちろん日本語だ。

 折り本には、いろいろな容量があり、カルラがよく買うのは、もっとも安価な2DDと呼ばれる折り本だった。


「貴族が庶民や亜人種の生活をナマで知っておいて、損することはないと思うぜ」


「たしかに。初めは興味本位でも、いずれ相互理解につながるかもしれません」


 料理のほとんどをミリオンが平らげようという頃、食堂に大男が入って来た。


「くせぇなあ」


 ブタ顔の男は、背中に巨大な肉切り包丁を背負い、両手に革袋を持っている。

 傍目には肉屋の配達といったふうである。


「人間くせえってんだよ、おでは。今日は、いつにも増して、人間が多いんじゃ、ねぇか?」


 長い牙を噛み鳴らす。


「やめとくれよ、味さえ気に入ってくれるんなら、うちは誰でも歓迎なんだからさ」


 ゾーエンが戸口で男を追い返そうとする。


「いいや、気にくわねえ。なんで、兵隊野郎が、ここにいるんだ。みんな、気付いてねぇのか? そいつは、街の警備隊長の、ガキじゃねぇか」


 客の視線が、ミリオンたちに集中する。


「そろそろ帰りますかな、隊長殿。オーク相手に、話は通じませんぞ」


 不穏な空気を察して、ガウスが腰を浮かせた。


「放っておきましょう。武人たるもの、食べられるときに食べておくべきです。あ、ゾーエンさん、追加よろしいですか?」


 これみよがしに食事を楽しむミリオン。


「わりと、ムキになる性格?」


「よくご存知で」


 ガウスがあきらめて腰かけなおす。


「おでが、オークだってから、聞く耳も、ないってぇのか?」


 オークは、肉の入った革袋をゾーエンに押しつけると、足を踏みならしてミリオンに近づいた。


――おい、まさか、こいつ。


 背中の巨大な肉切り包丁を手に取ると、片手で振りかぶる。


「今日のおでは、機嫌が、悪いんだ」


 それでもミリオンは、剣を抜くどころか、逃げるそぶりも見せない。

 マイペースでワインをちびちび口にしている。


――意地を張るにも、ほどがあるだろ、隊長さんよ!


 ミリオンの小柄な体躯に向かって、禍々まがまがしい凶器が、まっすぐに振り下ろされた。

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