第16話 プーラン・酒場・オーク
カルラは、ふるちんの発言の意味が理解できない。
耳で理解しても、心が追いついていかない。
『なんで……兄貴があたしを敵だと思うの……?』
両の目を閉じていながら少年盗賊は、困惑の視線が向けられているのを痛いほどに感じていた。
『カルラの兄貴が、本当にこの世界を管理する調整神だったら、ゲームバランスを崩すチート野郎は、見つけ次第に排除してくるもんだろう。当然の発想だぞ』
『でも、兄貴だよ』
『おまえが妹だってわかるのか? わかったところで、チートを許すのか?』
カルラはぐっと胸元の
『わかるに決まってる。許すに決まってる。だって、あたしの兄貴なんだよ』
理屈が通じない。
『俺はな、おまえに絶望を抱いて生きろとは言わない。ただ、警戒をしてほしいだけだ』
ふるちんは、どう説明したものやらと、こめかみを押さえる。
『このゲームが、待ちに待ったカルラの正念場なんだろ? だったら、アカウントを
カルラがうつむくのが気配でわかった。
『とにかく慎重に情報を集めよう。だから目立つな。裏方に徹しろ。バグ技は見つけても使うな。なにか新しいことをするときは、先に俺がやる』
『……わかった』
納得していない口ぶりながら、一応はカルラが承諾をする。
――どう説明すれば良かったんだろうな。
表面上はカルラを肯定し、それとなく自重をうながすべきだったか。
残りの移動時間を、ふるちんはひたすら会話内容の反芻に費やした。
泪橋のたもとにつくと、一行は馬車を降り、立ち番をしていたギルド員とともに、プーランのギルドハウスに赴く。
「にーちゃんのおかげで、万事うまくいった。礼を言うぜ」
大男のタンゲに両脇をもたれ、ふるちんは〈
「おい、おっさん、やめれっ」
「坊主、軽すぎるぞ、ちゃんとメシ食ってるか」
「盗賊は身軽なのがいいんだよ」
タンゲがふるちんを小脇に抱えたまま私室に入ると、プーランは寝台に上体を起こしたまま、ふるちんたちを出迎えた。
「おー、みんな無事で良かったなっ」
彼女は盗賊に似合わぬ白レースの寝間着を着ており、来客に失礼がないようにか、これまた上品な素材のカーディガンを羽織っている。
「プーランさんのおかげで、すべてうまく解決しました」
ミリオンが、その両手をとって感謝を伝える光景は、まるで姉を見舞う弟のようだ。
「なに、この魔法陣」
ぶすっとした表情で、カルラが床を見やる。
プーランの寝室には、床に大きく白チョークで円形の図が描かれていた。
「こいつぁ、病気の快癒を祈るまじないでな」
タンゲが足でかき消す。もはや用済みになったのだ。
ふるちんは嫌な予感を胸に抱く。
――もしかして魔法陣って、わりとあちこちに描いてあったりする?
プーランは、〈死んだふり〉状態とはうってかわって、顔色が良かった。肌つやにおいては、若返ったかと思うほどだ。
「プーランも、こんなに早く生き返れるとは思ってなかったぞっ。おかげで体調もすこぶる絶好調だが、タンゲらが休め休めとウルサいのだっ」
「確かに血色が良いが……おまえ飲んでるだろ」
室内が酒臭かった。
「薬酒だよ、薬酒っ」
バレては仕方なしと、毛布に隠した素焼きの小ジョッキを取り出し、ぐびり。
「薬の匂いだと思ったら、お酒だったんですか」
「もー恥ずかしくって、飲まなきゃやってらんないってっ」
「それって〈死んだふり〉と関係あるか?」
ふるちんが皆の疑問を代表する。
「どうやって起きたのか聞いていいか?」
「やだよっ」
復活の鍵は〈彼女が最愛する者の口づけ〉であった。つまり、彼女はそれを果たされたことになる。
「もしかして、片思いだったんですか?」
「それはないっ。断じてないっ。だから余計に恥ずいのだっ」
「誰だったのかなー、お相手は」
「ああ、ランとレンが無理矢理……ふるちんっ! おまえが入れ知恵しくさったそうじゃないかっ、この裏切り者っ」
「俺のせいかよ。感謝されても非難される覚えはねぇぞ」
「ふるちんさん、どういうことですか? いいかげん種明かししてください」
ふるちんは両手をぐるぐるまわして、何か良いわけを考えていたが、皆の視線に耐えかねて、白状をする。
「つまりプーランは特定の誰かとかじゃなくって、あの街がいちばん好きだったんだよ。言わせんなよ、ばか」
「えっ、まさか街の……地面に接吻させたのですかな」
ガウスがドン引きする。
「大航海時代、新天地にたどりついた船乗りは普通にやってたぞ」
――例の暗殺イベントが発生するまでに、どうにかしてプーランの好感度を高めておけば、別の展開もあったのではないか。
そう、ふるちんは考えるのだが、後の祭である。
――別のプレイヤーが、また同じイベントを発生させたりでき……なさそうだな、これ。
「もしかして、プーランさんは、みんなを試したのでしょうか。ギルマスの信条を理解しているかどうか、を」
「それか、不届き者たちが立候補してくるのを、意地悪く観察したかったとかなー」
「それは趣味が
「勝手に話を進めるなっ。〈死んだふり〉の解除方法は、プーランには決められないのだっ」
一行の笑い声が室内に響く。
「第三ギルドの制圧には、おまえらの見取り図が役に立ったそうだっ。潜り込ませていた部下も、隠し部屋には気付いてなかったようだなっ」
ふるちんとカルラの持つ
「あんな、ぐっちゃぐちゃな建て増しだらけ、ふつうのヤツじゃ、隠し部屋に気付かないよなあ」
隠れていたギルドマスターは、直接暗殺に関わってはいなかったものの、数々の暗殺業務を黙認していたことから、ケジメとして引退に追い込まれだろう。
第三ギルドの構成員は、すべてプーランが預かる身となっている。
ルィジーは牢屋の中で、誰の依頼かを念入りに調べられている。
「あの建物、古いけど、石造りで広くて便利だよね。学校もあそこに作れるかな」
カルラがぽつりと言う。
「ギルドの連中を全部教師にしちまうのか? あいつらロクなこと教えないぞ」
それよりも、どうやって、あんな石造りの建物を増築できたのかが、ふるちんにとって最大の謎だった。
「やっぱ、石積みの一部を、いったんバラしたんじゃない?」
カルラもだんだん、いつもの気安い喋り口調に戻ってきた。
「大工事だな。もしかして町内に職人がいるのか? ぜひ話をしたいもんだ」
見舞いの手土産として持ち込んだ果物などを食しつつ、皆で今後の計画に夢をふくらませていく。
修羅場を乗り越え、ふるちんらは確実に連帯感を強めていた。
「そうだ、ふるちんっ。おまえ、うちのギルドに入らないかっ?」
プーランの誘いも至極当然であった。ふるちんは盗賊初級者ではあるが、マスターシーフ級のプーランでしか見えない〈死の視線〉を看破し、姿を消していた黒魔導師ヴィカラットをも検知していた。
「そうね、入ったら? もともと、あたしと会ったのもギルド探しがキッカケだったじゃん」
「あ、それは困ります。ふるちんさんは、今後、ボクの執務室に出勤してもらわないと」
ミリオンが異を唱えた。
「そもそも、今後、街の改革をしようって人が、盗賊ギルドに入っていたら、怪しまれてしまいます」
「なんだとー、盗賊が怪しい商売だってーのかっ」
「指名手配されてるプーランさんとこうして会ってるだけで、ボクはだいぶ危ない橋を渡ってるんですよ」
「おー、そいつはご苦労だったなっ。プーランからの杯だ、もっと飲めっ」
「いえ、ちょっと、これキツ過ぎるんですけど」
「なんだとーっ、プーランの酒が飲めないってのかっ」
「この人だいぶ酔ってきたんで、打ち合わせは次の機会にしましょうか」
ミリオンが強引に締めにかかる。
「そうだな。まだ病み上がりだろうし、ちょっと日をあけよう」
一行がぞろぞろ部屋を出る。
「ふるちーんっ、今度はこの街の顔役をごっそり集めて、飲みまくるぞっ」
「へいへい」
ぞんざいに聞き流した風ではあるが、ふるちんは十分に感謝していた。
この街は、雑多な問題が山積しすぎて、さまざまな利権がせめぎ合っている。今後、いろいろと事業を展開していくには、まずは街の有力者たちの協力をとりつけておくのが一番だ。
◆ ◆ ◆
「でさ、さっき聞きたかったんだけど、魔法陣って、わりと普通に使われてるのか?」
馬車のなかで、ふるちんが問う。
「いえ、あんなのは初めて見ましたよ。民間では普及しているのかもしれませんが」
「うわー俺、あの図形、覚えてねーぞ。街中に似たような魔法陣がたくさんあるんなら、目当ての仕掛けと区別がつかん」
「ふるちん、記憶力いいと思ったんだけどな。黒いおじいさんのスケッチ、すごいうまかったじゃん」
「あいつは、わかりやすい外観してんだよ。いまにも魔法使いって感じで」
「あ、図はわかります」
頭を抱えるふるちんに、ミリオンは平然と答える。
「え、もしかして、おまえこそ、実は一度観たら忘れない系すごい記憶力の子?」
ふふふと笑いながら、ミリオンは胸元から、筒状にまるめた羊皮紙をとりだす。
「人の顔は忘れませんが、あんな複雑な図は、さすがに無理ですよ」
両手で左右に広げた羊皮紙には、うっすらと魔法陣の形にシワが残っていたのである。
「水で書いたからって、完全に消えるわけじゃないんです」
「うひょーっ」
ふるちんはミリオンの両の手をつかんで、羊皮紙に見入る。
「すげえ、これなら紙に写して、バラまけるってもんだ。あの黒いじーさんも、親切だな。ツンデレってやつかー?」
「あの」
「いやまてよ、図形を決め打ちで聞いてまわったら、足下を見られそうだな。それよりも、『あなたの知ってる魔法陣をご紹介ください』って公募はどうだろう」
「ふるちんさん?」
「この国の魔法陣をコレクションできるといえば、選考委員に魔術師たちも喜んで協力しないもんかな。ミリオンの知り合いで、魔術師いないか、ええ、おい?」
「羊皮紙が破れるから手を離してください」
きっぱりと言われ、ふるちんは、ようやくミリオンの両手をつかんだままだと気付いた。
「ああ、すまん。でも、羊皮紙って、そうそう破れるもんじゃないだろう」
「知りません」
心なしか顔を紅くしたミリオンが、羊皮紙を巻いていく。
「えっ、俺なんかした? いたいけな子どもが、年相応にちょっとハシャギ過ぎただけじゃん」
カルラが、無言でふるちんの頭をしばいた。
少年は理由がわからず、頭の上に疑問符が並びまくる。
「年相応と言えば、あのプーランも、いろいろ考えてるんだな。次回の打ち合わせは、大いに進展がありそうだ」
「そりゃ街一番の盗賊ギルドのマスターだもん。部下が優秀なだけなら、乗っ取られてオシマイだから」
「昨晩もミリオンの影武者が勤まったってことは、やっぱり、それなりの風格があるんだろうな」
「文字だって読めるし、どっかいいとこのお嬢さんだったんじゃない?」
「没落貴族の令嬢、か。そんな話、ごろごろしてそうだな。むかしの武士や海賊も、都落ちしてきた貴族様を大切にしたんだろう?」
「ボクもプーランさんには、幻の姉の面影をみることがありますよ」
気を取り直したミリオンが、話に合流する。
「また、その話ですか」
と、ガウスがさりげなく「自分こそが隊長の些事まで把握しているんだぞ」とアピールする。
「ボクには、昔、長い黒髪の姉がいたような記憶があるんです。物心ついてから父母に聞いても、笑われるばかりでしたけど」
「あるあるー。近所のお姉さんや、若かったお母さんを、よくそう思っちゃってたりするんだよねー」
「でも、ボクの周りに、女性で剣の達人なんて一人もいないんですよ。その姉は、大型の野獣すら剣一本でたやすく屠りますからね」
隠密行動を旨とし、短剣を小器用に使いこなす盗賊のプーランとは、似ても似つかぬスタイルである。
「どこまで本当の記憶か疑わしいけど、ミリオンが剣術やりはじめたのって、その幻のお姉さんの影響?」
「いま思えば、そうかもしれませんね」
「やっぱ姉妹や兄弟の影響って、大きいんだなあ」
見まいとして、それでも一瞬、カルラを見てしまった少年の視線を、ミリオンはしたたかに捉えていた。
「ふるちんさんは、カルラさんと姉弟ではないんですか?」
「んあー」
ふるちんは言葉をにごす。
同郷だと説明しているので、ミリオンも血まではつながってないと理解しているはずだ。
だが、それ以上の説明は、この
自動学習により、新しい知識を積み重ねていくことで、ゆくゆくはゲームバランスを崩すほどのメタ知識を得てしまうのではないか? そんな恐れを、少年盗賊は抱きはじめていたのだ。
――これが普通のプレイだったら、さんざんバグをいぶり出してやるんだが、創造主様ににらまれそうな行動は今後は控えなきゃな。
「ふるちんは、あたしの可愛い弟分。うちの地元の姉弟概念は複雑でね。正しく理解してもらうには、もう少し時間がかかるかな」
カルラが、煙に巻くような説明で援護をする。
「了解しました。いまは聞かないことにしておきましょう」
意外にもミリオンがあっさり引いてので、ふるちんは拍子抜けだ。
「あ、それから、ふるちんさんは、今日から隊長室付の事業監督官に任命します。お給料は出しますが、盗賊ギルドに加わることは禁止です」
「お、おう」
フェイントをかけられて心がグラついたところに、有無をいわさぬミリオンの態度で、思わずふるちんは承諾してしまう。
「それは、何をすればいいんだ?」
「あなたが街の改善のため実行したいことを、ボクに相談してください。資金や人材を工面します」
「それは願ったり叶ったり、だな」
「王都の警備隊長であるボクには、街の治安に関して、大きな権限が与えられています。宰相閣下の直下ですので、ほかの役所との折衝も、ボクを通せば比較的すみやかに根回しできるでしょう」
「そうだな、まずは学校か」
「そうですね。執務室に戻り次第、学問所の教授陣に手紙を書きます。話し合いの内容は、貧民街への学校の設立と、王都内の魔法陣情報の収集ですね」
「あ、ちゃんと聞いてたのか」
「当然です。これまでのあなたの働きを見れば、その発言を軽んじることなどできません」
ミリオンの生真面目なまなざしに、ふるちんはたじろぐ。
「うえ、こっぱずかしいぞ」
「ふるちん殿を知らない者は、その外見で侮るかもしれない。が、そこは実力でねじ伏せていただきたい」
副官のガウスが助言を加える。
「このミリオン隊長も、実際そうして警備隊を従えたのだから」
「まあ、学問所とコネができるのは有り難いな。すでに魔法陣の
「ねえねえ、あたしは何をすればいいの?」
自分だけノケモノにされている雰囲気に、カルラが割り込みをかけた。
「お仕事が必要でしたら、口利きできますが、本業はよろしいんですか。何がやりたいんです?」
「んー、ふるちんのマネジメントかな?」
「いえ、それはボクのほうで担当しますので」
あっさり却下されて、カルラはむっとする。
「あなたお一人でできる仕事を教えてください」
「カルラは音楽のエキスパートなんだ。音楽理論、演奏、指導、作詞・作曲、なんでも出来るぞ」
「んーまあ。一通りは」
「となると学問所の講師としてお迎えできますよ。
「へぇ、女のコも授業を受けられるんだ」
「ええ、貴族の女性は、最低限の教養がないと社交界で生きられませんし、地方では領地運営の才覚を求められますからね」
ただし、とミリオンは補足する。
「男性が受講する授業では、集中を乱さぬよう、ヴェールをかぶっていただきますが」
「えっ、あたし、そんなに魅力的? 照れちゃうなぁーあはは」
「カルラさんは十分に魅力的ですよ。よろしければ推薦しますが」
「んー、先生になったら、学問所の本とか自由に読めるのかな?」
「なんでも自由ではありませんが、信頼を得られれば、それなりに重要な書庫にも入れるでしょう」
「だったら、興味あるかな」
――
この世界と、カルラの兄との関わりを調べるには、世界の奥義に直結する
事実、カルラは、チャット機能も
「では、執務室に戻ったら、さっそく推薦状を書きましょう」
ミリオンが両手を小さく合わせる。思惑通りに進んだせいか、明らかに機嫌が良い。
「忙しくなりますよ。あ、その前に食事にしましょう。ガウス、執務室に四人分の食事を運ばせてください」
「軍の食事をですか? まあ、慣れておくに
副官の口ぶりからすると、ミリオンらが普段口にしている食事は、とても一般人が食べられるシロモノではないようだ。
「そうですか。では良い店を知っていれば、ガウスが案内してください」
「街のことは、隊長のほうがお詳しいでしょうに」
ガウスが苦笑する。
実際、一行はミリオンの案内するまま、宿屋が営む食堂に入っていった。
王都の宿屋は、大半が一階を食堂にしており、とくに石造りの建物は、深夜まで営業を認められていた。
ふるちんたちの入った店は、木造ながら、分厚い漆喰で内外を保護され、耐火性は十分にあり、さらには川縁ということもあって、併設するパンの焼き場の熱で、風呂屋も営んでいた。
「実はこのお店は初めてなんです。大人数で来れば、なにが美味しいか、いっぺんにわかりますからね」
「なにがウマいか、事前に調べたりしないのか?」
「密偵を放って、ウワサを集めるんですか? 職権濫用ですよ」
「違う違う、ウマい店とメニューが、本や新聞になってないのかって」
「ははあ、面白いことを考えますな。しかし、文字の読める階層が、こんな古い食堂に来ますかな」
ガウスの指摘もうなずけなくはない。
「あら兵隊さん、いらっしゃい。古くて悪かったわね」
ネコ耳の生えた女給が、不機嫌に注文をとりにくる。王都には珍しい亜人種であった。
「亜人種が多いのね、このお店」
薄暗くてわからなかったが、店員も客も、さまざまな容姿であった。
翼の生えたもの、ツノの生えたもの、尻尾の形状もさまざまである。
ふるちんが亜人種を見るのはほぼ初めてだった。
「ようやくファンタジーっぽくなってきたな」
店の主人が亜人種を毛嫌いしなければ、客も店員も口コミで集まるのは道理であった。
ここが世に人のいう亜人種酒場〈デミアン〉である。
「なに、気に入らなければ帰っていいんだよ」
「気にするものですか」
カルラは自分の髪をよけて、店員にだけ耳をのぞかせた。
「あら、あらあら、あなた、エルフなの? だったら大歓迎よ」
え?っとミリオンとガウスが、カルラを見る。
「わたしゃ、ここの給仕長のゾーエンってんだ。吟遊詩人かい? 良かったら一曲、聞かせておくれよ」
「夜にまた来るから、そんときでいいかな。いまは、仕事中の小休止ってとこでね」
ゾーエンは、ミリオンたちへの態度もしぜんに柔らかくなる。
「で、なにが食べたいんだい? 初めてなんだろ、サービスするよ」
「それぞれ違うオススメを四人分ください」
ミリオンが、メニューも見ずに注文をかけた。もとより、文字を読める客が少ないから、まともなメニューなどどこの店も置いていないのだが。
「そうですか、カルラさんは亜人種の方でしたか」
「ハーフだけどね。気持ち悪くなった?」
「とんでもない。亜人種に偏見があったら、このお店に誘ったりしませんよ」
「へぇ、有名なんだ」
「このあたりでは知られたお店なんでしょうね。ボクは、フードを被ったり、マントをはおった亜人種の人たちが入っていくのを、よく警邏中にみかけてるんです」
だから、前から入ってみたかったのだという。
ほどなく、肉の香草焼きや、焼き魚、フルーツの揚げ物、スープなどがやってくる。とても四人前には見えない。
「王都で、これだけ新鮮な食材が手に入るというのも、珍しいですね」
ふるちんらは、屠りたての肉を数日前に食べていたが、ほとんどの人々はせいぜい保存用の燻製肉しか食べられない。ブタを飼っている森が、王都から遠すぎるのだ。
魚は王都の近くで釣れるのかもしれないが、果物はどこから入手しているのだろう。
さすがに取り皿は、二人で一枚だが、あるだけ贅沢な部類である。
「あ、ミリオンちゃんもガウスさんも、フォークとスプーン使う?」
皮の手袋をはずして、手づかみにかかる二人に、カルラが声をかける。
基本、王都はどこの店も手づかみで、スープは皿から直飲みするスタイルである。ふるちんたちは、それに馴染めず、初めはパンに挟んだりしていたのだが、じきに自前の食器を持ち歩きはじめた。
腰のポーチだけでも、驚くほどアイテムが収納できるのである。
「え、いつも、それだけの量を持ち歩いてるんですか? お皿まで?」
「うちらの故郷は、素手で食べるのは、かえって行儀が悪いんだよ」
「っかし、プーランとこで、軽くつまんだあとだと、これはキツいな」
ふるちんが子どもらしい小さな腹をなでる。
「おいしいから、大丈夫ですよ」
ガウスが切り分けるはしから、ミリオンがぱくぱく食べている。
「ミリオンは爵位がなくっても、貴族の類縁だろ? 軍に入る前は、さぞかし旨いものを食ってるんだろうに、こういう庶民の味もいけるわけ?」
「それがどうして、どうして」
ミリオンが首を左右にする。
「客を招いての高級料理というのは、手間をかけるほどに味が失われ、それはもう、悲惨きわまりないメニューばかりですよ」
「貴族の食事などというのは、肥満と虫歯をもたらす魔族のエサですな」
ガウスも深く同意する。
「公爵家の人間が言うんだから、真実みがあるわね」
「……だったら、貴族様向けに、庶民食堂のガイドブックも、需要があるんじゃね?」
ふるちんが先ほどの企画を蒸しかえす。
「お忍びで通えるよう、不自然でない服装や、庶民的なマナーなどもアドバイスするんだ。あるいは、こうやってガイドを一人つけて、グループで来られるようにする」
「食堂を借り切ったほうが早くないですか?」
「一般客を眺めるのも楽しみのうちだって。とくに亜人種なんて、見慣れてないだろう。でも、店に話をつけておくのは、いい根回しだな」
カルラから、白紙の折り本とチョークを借りて、ふるちんはものすごい勢いでメモをする。
もちろん日本語だ。
折り本には、いろいろな容量があり、カルラがよく買うのは、もっとも安価な2DDと呼ばれる折り本だった。
「貴族が庶民や亜人種の生活をナマで知っておいて、損することはないと思うぜ」
「たしかに。初めは興味本位でも、いずれ相互理解につながるかもしれません」
料理のほとんどをミリオンが平らげようという頃、食堂に大男が入って来た。
「くせぇなあ」
ブタ顔の男は、背中に巨大な肉切り包丁を背負い、両手に革袋を持っている。
傍目には肉屋の配達といったふうである。
「人間くせえってんだよ、おでは。今日は、いつにも増して、人間が多いんじゃ、ねぇか?」
長い牙を噛み鳴らす。
「やめとくれよ、味さえ気に入ってくれるんなら、うちは誰でも歓迎なんだからさ」
ゾーエンが戸口で男を追い返そうとする。
「いいや、気にくわねえ。なんで、兵隊野郎が、ここにいるんだ。みんな、気付いてねぇのか? そいつは、街の警備隊長の、ガキじゃねぇか」
客の視線が、ミリオンたちに集中する。
「そろそろ帰りますかな、隊長殿。オーク相手に、話は通じませんぞ」
不穏な空気を察して、ガウスが腰を浮かせた。
「放っておきましょう。武人たるもの、食べられるときに食べておくべきです。あ、ゾーエンさん、追加よろしいですか?」
これみよがしに食事を楽しむミリオン。
「わりと、ムキになる性格?」
「よくご存知で」
ガウスがあきらめて腰かけなおす。
「おでが、オークだってから、聞く耳も、ないってぇのか?」
オークは、肉の入った革袋をゾーエンに押しつけると、足を踏みならしてミリオンに近づいた。
――おい、まさか、こいつ。
背中の巨大な肉切り包丁を手に取ると、片手で振りかぶる。
「今日のおでは、機嫌が、悪いんだ」
それでもミリオンは、剣を抜くどころか、逃げるそぶりも見せない。
マイペースでワインをちびちび口にしている。
――意地を張るにも、ほどがあるだろ、隊長さんよ!
ミリオンの小柄な体躯に向かって、
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