第8話 追跡

 〈少年盗賊〉ふるちんにだけ見えているらしい赤い光。

 その糸の先は、王都の警備隊長、ミリオンの心臓に達していた。


「あの赤い線は、市街からずっと伸びてて、何人もの歩哨の目の前で光り続けていた。だけど誰も気付いてない」


 おそらくプレイヤーにだけ、あるいは盗賊シーフスキルをもった者にだけ見える類いではなかろうか。


 光の先端を追い、ふるちんは漆黒の街を駆け抜ける。


 堅牢な石造りの要塞を離れ、壁に守られた市街に入ると、足裏の感触は、屋根瓦を踏むものに変わった。カチャカチャという音を極力殺すため、しぜん着地も踏み出しも工夫がいる。


――忍び足スキルが上昇しはじめたな。


 ふるちんには、このゲームの要点が分かってきた。


 スキルが上がるから、技が使えるのではない。

 むしろ逆で、自分がコツを覚えていくたびに、スキルの数値にその評価が反映されているのだ。


 確かに物理法則は、このゲーム世界独自の定数によって支配されている。しかし、成長しているのは、あくまでプレイヤー自身である。


 スキル値の上昇が目に見えるのは、自分の成長を気付かせる指標であり、研鑽のモチベーションを維持する機能にすぎない。少なくとも、現時点では。


「まるで職業訓練のシミュレータだ」


 現実リアル世界に戻っても、この道で食べていけるような錯覚を覚えさせる。実際には、どこも街灯や家々の照明で明るいし、防犯カメラも山ほどあるわけだが。 


 赤い線の終わりが見えてきた。

 とある尖塔に、線が消えているのだ。


 ふるちんは、いつしか貧民街に入り込んでいた。大昔のレンガ造りは半分程度で、残りは粗末な木造だ。屋根も板や茅葺かやぶ藁葺わらぶきで、何度も腐った屋根を踏み抜きかけた。


――建物の端を歩けってことか。


 二階建ての建物などほとんどないのだが、教会の塔だけは高くそびえている。


 かつては鐘が吊してあったようだが、落ちたか持ち去られたかで、虚ろな空洞だけがある。


 赤い線は、そこから発しているようであった。


――遠方からの監視にはもってこいだな。この直線距離なら、望遠鏡のようなアイテムで要塞まで見えるかもしれない。


 石造りの鐘架はアーチ型で、その下にかすかに人の気配がある。姿を巧みに潜めているようだ。


――ご同業者かな。挨拶でもしておこうか。


 名前表示オールネームをすると、緑の名前が表示される。


「NPCか」


 全身像ペーパードールを開く。名前はルィジー。職業は暗殺者アサシン


――おだやかじゃないな。


『やほー、ふるちん、起きてる?』


「うわっ」


 どこからか、声が伝わってきて、思わず声が出る。


『チャット機能の使い方を見つけたから、試してるんだよ』


「チャット機能?」


『あ、普通に会話しなくても送れるっぽいよ。アイコンが光ってると思うから、それに意識を向けて心の中で喋って』


 空中に操作卓コンソールを表示し、〈チャット:受信あり〉と表示されているアイコンを視線クリック。


 カルラの顔アイコンに切り替わったので、そこに向けて念じるように話しかける。


『あーあー、聞こえるか?』


『うひゃっ、そばで声が! え、ふるちん、どこにいるの?』


『少なくとも、あんたの家じゃない。古びた教会の鐘楼のそば』


『えー、どこだろ。あとで地図、共有させてね。でもでも、そっかー、チャットって、そばで会話してるみたいになるんだね。おもしろーい』


『この機能、ガイダンスにはなかったな』


『えっとね。古巻物スクロールに書いてあったんだ。』


『なんだそれは』


『わりと貴重なアイテム。この国の印刷物って、大半が折本なんだよね。たぶん木版印刷。それよりもっと昔の媒体ってーと、巻物なのよ。これは羊皮紙なのかなあ。触った感じはすごく紙っぽいけど、つやつやしてる。魔力を込めてあるって、古物屋のオジさんが言ってたかな』


 さわさわと手でこする音も伝わってきた。これはボイス・チャットというやつだろう。ほとんど通話機能である。


『で、この巻物に、古代の叡智を手書きした貴重アイテムを、ひとまとめに古巻物スクロールって呼ぶらしいのよー』


『で、手に入れた古巻物スクロールに、チャットの使い方が書いてあったと』


『うん、さすがにチャット機能とは書いてないけどね。雰囲気が壊れるから。〈遠話〉っていう、古代の叡智。魔法とも違う位置づけみたい』


 古巻物スクロールも、プレイ前のガイダンスには、まったく聞かなかった要素だ。


『たぶん、これはこのゲームの隠し要素なのよ。チャットの方法なんて、NPCが読んでも意味がわからないし、ただ古そうなだけで美術的な人気もないから、あたらには貴重な内容でも、わりと安く売られちゃうみたいね』


 いわゆるコレクション・アイテムというやつだろうか?


 金貨十枚で買い取ったというから、決して安くはない。が、〈隻眼の吟遊詩人〉カルラ自慢の、グランドマスター級の音楽スキルなら稼るのかもしれない。


 いまのふるちんには、金貨一枚すら稼ぐアテはないから、雲の上のような話だった。


『その古巻物スクロール収集ってやつ、盗賊シーフのスキルを活かせるかな』


『あ、そうかも。市場で売ってるの、あたしも初めて見たもん。たぶんNPCの館や図書館に忍び込まないと、他のは手に入らないんじゃない? この世界の叡智をいっぱい集めちゃえば、ゲームがもっと面白くなると思う! それに』


『ログアウトの方法も見つかるかも、か』


『いつ戻る? この巻物、見せたいんだけど』


『いま、ちょっと気になるNPC暗殺者アサシンに接近中なんだ。どうも、あの警備隊長さんに何かマーキングしている可能性がある』


暗殺者アサシン……盗賊シーフの派生クラスだね。標的として、なにか刻印を押したのかな。そういうスキルがあるのかもしれない。あーあ、他のプレイヤーがいればすぐ分かるんだけどなあ』


 カルラが帽子の内側に手を入れて、銀髪をワシャワシャかき乱す音が聞こえてきた。


『ヤバそうだったら、深追いしちゃだめよ。このMMORPGはオープンワールドだから、自分の何倍も強い敵が、そこらへんにゴロゴロいるの』


『そうだな、あんまり痛い思いはしたくない』


『そういえば、彼女、あの警備隊長。クエストの持ち主よだから、それと関係あるかも。だとしたら、余計に警戒しないと』


『なんだ、女だっての知ってたのか』


『どう見ても女のコじゃん!』


 怒られてしまった。


全身像ペーパードールに、クエストのアイコンがグレー表示になってるいの気付いた? ああ、それどころじゃなかったよね』


 その時ふるちんは、市場のみんなに殴られまくって、半ば意識を失いかけていたのだ。


『他のどのNPCにも、あんなアイコンはないの。たぶん特別なNPCで、彼女がかかわるクエストが用意されてるってことだと思う。どうやったら発生するかわからないけど、これはチャンスだよ』


 そもそもクエストを受けるために、一般市民に盗賊ギルドの場所を訊いてしまったのが、集団リンチの発端だった。


『ようやく念願のクエストを始められる……かも。感慨深いな』


 鐘楼の影が動いた。


 ふるちんは、ステルスしたまま後をつける。赤い糸は、導火線のように伸びていく。


 相手も何者かの気配を感じ、察知ディテクトスキルをしきりに行使している。


 ふるちんの視界の端に、防御に成功したという表示が滝のように流れ落ちていくのにあわせて、隠蔽ハイディングスキルなどが小刻みに上昇していく。


――探知されないギリギリの距離で追いかけるしかないな。


 赤い光を追うかぎり、見失うことはない。だが、自分のスキルが鍛えられるスリルに、ふるちんはあらがえなかったのである。


 対象の走り方や息づかい、意識の向け方にまで注意をはらい、真夜中の尾行は続いた。

 スキル成長が鈍ると、ふるちんは先ほどより距離を詰める。すると、また数値が上がり始める。


――つまり相当の手練れということかな。


 貧民街の奥までたどりつき、ふるちんは足をとめた。


 とある石造りの建物に、暗殺者アサシンのアジトらしきを認めたのである。

 そこには、大勢の気配が息を殺して群がっていた。


 名前表示オールネームで表示されるのは、ベテランの盗賊シーフや、暗殺者アサシン毒殺者ポイゾナーといったたぐいばかりだ。


 ともすれば、ふるちんの存在も気付かれているかも知れない。真の達人は、相手に気取られず、相手を知ることができるのだ。


「これ以上は、ヤバイな」


 誰が見ているとも知れない薄暗い窓に向かって、ふるちんは親指を立てて、互いの健闘をたたえる。


『カルラ、今から帰るよ。一刻もかからない』


『お、ずいぶんお疲れだねー?』


 チャットに話しかけると、すぐさまカルラの反応があった。

 緊張の世界から戻ってきたあかしだ。


『作り置きでよければ、肉入りスープとパンでねぎらってあげよう。今日はキミのこの世界での誕生日だからね』


――誕生日、か。


 そんな日を祝ってもらうのは、記憶にあるかぎり初めてのことだった。

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