第7話 宿命の赤い糸
――これが、
家々の屋根を、足音も立てず、風を切って走り去る。
身体が、翼が生えたように軽い。
段差も、
――動線が見える!
わずかな星々の明るみだけを便りに、〈少年盗賊〉ふるちんは、ひたすら夜の王都を駆けていく。
――難所を乗り越えるたびに、スキルが上がっていく!
パラメータの変化に気付いたのは、カルラの下宿の屋根に飛び乗った時だった。
ログアウトのボタンがどこかに隠れていないか、インターフェースを徹底的に見直した際に、ログにステータス変化のタブがあるのに気付いた。
街で殴られまくって、体力や腕力がアップしていた。
カルラのうんちくを聞いて、知力も向上していた。
低レベルなので、少し鍛えるだけで、スキルやステータスが上がる。
行動範囲が広がる。
さっきまで行けなかった場所に行けるようになる。
見えなかった世界が見える。
それに気付いた少年は、限界まで己を追い詰めながら〈夜の散歩〉に心を躍らせていた。
王都を守る城壁は、四隅が要塞となっているが、ふるちんが達したのは北東のそれであった。
――両手を広げてからの~
ふるちんは跳躍する。
――コンドルダイブ!
スパーンという渇いた音のあと、ふるちんは石畳の上に着地していた。
足下の石畳がいくらか欠けていたが、身体に痛みはない。体力ゲージも緑のままだ。
「この世界で一年すごすってのも、悪くないかもな」
大きく息を吐きながら、ふるちんは口元がゆるむのを感じていた。
正直、楽しい。
カルラだって、実際、楽しみまくって一ヵ月を過ごしている。
「いつログアウトできるかは、神のみぞ知る……か」
だが、生きていける気がした。
少なくともこの王都にいる限りは、殺し殺され流行病に苦しむような、生と死が隣り合わせ中世を自分は避けていられる。
空腹にはなっても、おそらく餓死には至らない。死んでも、どうにかして復活できるだろう。蒔かず、刈り取らず、ただこの世界を堪能すればいいのだ。
「……スタミナが回復しないな」
先ほどからゲージを眺めているのだが、スタミナの戻りが遅い。やはり空腹のせいだろうか。スタミナが黄色のままでは、大きなアクションはできない。
要塞部のノコギリ型の
「朝から何も食ってなかったからな」
さて、盗賊は、どうやって稼げばいいのか。ギルドがない以上、自分で食い扶持を開拓するのか。それとも、宿屋あたりで仕事の斡旋があるかもしれない。商人の家で住み込みで雇われて、盗みを働くというのはどうだろう。
夜な夜な、王の宝物庫に忍び込んで、財宝をかすめ取るのも楽しそうだ。
どうして
「どこまで造り込んであるんだろうなあ、この街は」
あれだけ走り回って、地図はほんの一部しか自動作成されていない。この街をじっくり探索したあとは、いずれ街の外にも出てみよう。
暗闇を見通す
それは、数値がすでに初級者を越えたことを意味していた。
「赤い……線?」
ふるちんの目に、いつしか、どこまでも伸びる赤い線が見えていた。
はじめは一時的なバグ表示かと思われたが、ふるちんが立ち上がったり、座ったりしても、変化がない。
「段差があるにしても、長いな」
休憩を終えた少年は、赤い線を目的地と定め、再び夜の街に飛び出す。
線にはすぐにたどりついた。
間近で見ても、線は遠目で見たときと同じ太さを保ったままだ。触れても手が素通りする。熱くも冷たくもない。
片方は、市街のどこかへと続き、もう片方は、要塞内部へと続いている。
「気になるなあ。なんだろうなあ」
線の行く先を確かめるため、手近な要塞部へと足を運ぶ。
見張り塔も、通路も、どれも石造り。可燃物がない安心感からか、そこかしこに
とはいえ数には限りがあり、光源から少し離れれば、もう漆黒の闇だ。ふるちんの今のステルス能力であれば、容易に隠れ潜むことができる。
一人ずつ歩哨をかわして、線を追うと、どうやらまだ執務中らしい一室に通じている。
窓にはガラスがはめこまれ、品の良いカーテンも見えていることから、それなりに地位のある高官の部屋らしい。
ふるちんは、音もなく窓を開け、するりと身体を物陰に忍び込ませた。
――案外、気付かれないものだな。まあ、ゲームだし。
ふるちんが机に向かって書きものをしている軍人を見やると、どうにも見覚えのある若者だった。
――あれは、俺がボコられてるときに来た、隊長さんとかいうヤツだ。
少年盗賊ほどではないが、やはり若い。十代なのは確かだろう。
警備隊長というのが、どれほど偉いのか、ふるちんは知らない。ともあれ、室内の調度品を見る限り、軍での地位がよほど高いのか、それとも本人の貴族的な地位がすごいのか。
若者の出で立ちと言えば、金モールのついた式典にも出られそうな軍服姿のままだ。黒髪の後ろを、うなじのあたりで縛った一種のポニーテールで、首元が妙になまめかしい。
――あれ、もしかして女?
いつ自分に気付くかと盗賊が様子をうかがっていると。若い隊長の頭は、しだいに上下に揺れ始めた。
やがて、上半身がびくりと動き、足下をガツンと踏みしめたはずみに、机上のインクつぼが倒れる。
「わっ、わっ」
上着にインクがとび、あわててボタンをはずした若者の胸元に、ふるちんは注目する。
――うーん、大きくはないが女性と認定。これより、少女と呼称する。
上着を脱ごうと四苦八苦する彼女だったが、おろしたての布地が固いせいか、腕がソデの内側に引っかかって、抜ける気配がない。
見かねたふるちんは、そっと背後から近づき脱ぐのを手伝った。ダメな後輩を思い出す。
――このままシャツまで脱がしたら、NPCに対するハラスメント行為で、アカウント警告でもこないかなあ。
こういうゲームには、
運営側のスタッフが操作しており、ほぼ不死だ。それに、強力な運用コマンドの数々を行使できる。プレイヤーのルール違反を取り締まり、バグで動けなくなったキャラクターを救助する。
――運営の人間と会えるんだったら、ログアウトできない不具合を相談できるんだけどなー。
しかし、そのために、目の前の少女にイタズラをするというのは、どうにも良心がとがめた。NPCとはいえ、見た目はプレイヤーと変わらない人間の姿をしているのだ。
そして、何より気に掛かるのは、赤い線の行く先である。
そのまっすぐな光は、彼女の心臓のあたりに届いていた。立ち上がったり、上着を脱いだりする間も、確実に心臓を貫くように、トレースしていたのである。
――これは、何かのマーカーか?
赤い線がどこから出発しているのか、もう一端も確かめねばならない。そう考えたふるちんは、再び音もなく窓から外に出た。
入れ替わりに扉がノックされ、部下が入ってくる。
「ミリオン隊長、宰相府から文書が届きました」
「ガウス? 外にいたのですか?」
「ええ、隣の部屋に」
白髪と白髭の男が、まじめくさった顔で答える。
「では、いま私を手伝ってくれたのは……」
てっきり彼女は副官が手助けしたのだと思っていた。
「お召し物を汚されたようですな。従者に洗わせますので、今日は宿舎へお戻りを」
机の有様からガウスは、少女が寝ぼけていたと考えたのだ。
「先に書類を見せてください」
「あまり根をお詰めなさいますな」
ガウスは首を左右にして、紙ばさみを渡そうとはしない。
「しかし、一日でも早くこの仕事に通じなくては、王都の治安維持に差し障りがあるでしょう」
「都の不安は、長年の課題で、一朝一夕に解決できるものではありません。就任直後で不安もあるでしょうが、不慣れなときこそ、ゆっくりお休みになるべきです」
公爵家の長女にとって、警備隊長など、ただの腰掛けである。
さすが武家の名門、女であっても軍務に就くのだと形だけでも知らしめれば、諸侯も納得しようというものだ。
なのに、この生真面目な少女は、期待される責任以上を果たそうとする。
彼女の役職たる〈第一隊長〉は、すべての大隊に命令できる事実上の連隊長である。
国境ならともかく、都の警備隊で、自ら馬を駆って巡察に出るような連隊長など、この長い王国の歴史のなか、一人でもいただろうか?
「これも宿命……ですかな」
「ガウス?」
「いえ、何も」
副官は
「隊長殿は十分、日々の責務を果たしておいでです。それでも至らぬというなら、それは我々、部下の不備。これ以上、我々をお責めくださいますな」
古参の部下にそこまでされれば、返せる言葉もない。しぶしぶ、少女は髪の後ろをほどきはじめた。
「貧民街の視察は、まだ難しいでしょうか」
「まだ危険な状態かと」
いずれ頃合いをみて、と幾度も繰り返した言葉をつなぐ。
「わかりました」
少女は壁の剣をつかむと、扉の前で一度だけ振り返る。
「おやすみなさい。ガウス」
「ごゆっくり、お休みなさいませ」
副官は、いかめしい表情のまま彼女を見送る。
時は、宵の
夜はまだ始まったばかりであった。
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