第6話 おうちに帰れない!?

「いままでログアウトしたことないって……あんた、この一ヵ月、ずっとゲーム世界に引きこもってたってのか?」


 ふるちんは我が耳を疑い、問いただす声が大きくなる。


「うん、なんか寝なくてもゴハン食べなくても疲れなくって、ずっとプライベート・スタジオ造るのに勤しんでいたわけだよ、少年」


 全身の力が抜け、ふるちんは柔毛の敷物にへたり込む。


「やっぱ、あんた特別なアカウント使ってるんじゃないのか? そもそもクローズドのベータテストが始まったのは、今日だぞ。なんで一ヵ月も前からプレイできるんだ」


「あたしも解禁日からのプレイだってば。せっかくの五連休を使いつぶすつもりで、スーパーの早朝特売も捨てて、わざわざ早朝からログインしたんだよ」


「五連休のアタマ……って、五月三日の憲法記念日か? 俺もそのはずだったんだが」


 まさか――。


「ふるちんがログインしたの、西暦なん年!?」


「に、二〇一七年」


「……あ、よかった」


 カルラは短く息を吐く。


「あたしと同じだ。ゲーム世界の一ヵ月で、世界が一年たってたら、どうしようかと思った」


 電流の速度は、極めて速い。光速に近いとも言える。


 コンピュータが光速で演算したせいで、ウラシマ効果が起きてしまったのだとしたら……という考えが、彼女の脳裏に一瞬よぎったのだ。


「一年もクライアントと連絡つかなかったら、失職どころか捜索願いもんだよね」


「一ヵ月でも問題だぞ。その前に、プレイヤーが衰弱死してるけどな」


 五月の気候であれば、死後すみやかに異臭騒ぎとなり、発見されていただろう。


「そっか、プレイヤーが死んだら、ゲームのあたしも死んじゃうんだよね」


 うつむくカルラがつぶやく。


「なにを当たり前のことを……」


 下を向いたままのカルラの目が、また金色に光った気がした。


「ネットワーク・ゲームでの死の概念って、とっても複雑なの。『エバークエスト

』をはじめとする多くのタイトルでは、死んだら特定の場所に戻される。けれども、『ウルティマオンライン』だと、幽霊になって、その場にとどまれるのよ」


「お、おお」


「幽霊になったプレイヤーには、世界がみんなモノクロに見える。自分の死体を見下ろしていても、仲間からは、姿が見えない。話しかけても、その言葉は理解不能。それは、とても孤独を感じさせる仕様だったのよ」


 何かが乗り移ったかのように、一方的に語り出す。


 詩才をもつ吟遊詩人バードだけに、ちょっとしたキッカケで神懸かりになるのかもしれない。


「おーけー、おーけー。ゲームーの考現学がとても重要なテーマだってのあ、同感だ。しかし、すぐに結論は出ないだろうよ。まずは目先の課題を片付けようじゃないか」


「目先……の」


「ああ、同じ日にログインしているのに、ゲーム内では一ヵ月も差があった。この現象について、どう説明したらいい」


 カルラは、今度は天井を見上げて、しばし考えこむ。


 少なくとも、思考をそらすことには成功した模様だ。


職業クラスによって、スタートする場所も時代も違う……とか?」


「ずいぶん高度なテクノロジーを実装したもんだな」


 ふるちんは苦笑する。


「もっと単純に、『ログインした時刻』じゃないか? 俺は朝の六時きっかりにソフトを起動した。それが会社でいつも起きる時間で、これも仕事だと割り切ってたから、目覚めて一発目に取りかかったんだ」


「えっ、ふるちん、会社で寝泊まりしてるの? 大丈夫?」


「いつでも適度に冷房が効いてるし、わりと静かだし、起きたときには同僚も何人か仕事してるから、寂しくないよ」


「お風呂は? 洗濯は?」


「同じ建物内にコインランドリーがあるし、近場に銭湯もスポーツジムもある」


「うわー、聞かなかったことにしよー」


 異形の生物を見るかのように、カルラは距離をおくべくイスを動かす。


「ちょっと、それは傷つくな」


 ふるちんはコホンと小さく咳払いする。

 

「アカウントに情報を追加するのは、十分くらいだった気がする。そのあと性格診断とガイダンスがえらく長くて、結局ログインしたのは、六時三〇分くらいだったと思う」


 没入時に使用するVRゴーグルは、画面内に時刻表示がある。


 完全にゲーム世界に意識が潜行ダイブするまでは、それが見えているのだ。


「あたしの場合はね、サービス開始きっかり、朝の五時に情報の入力開始。それまでは、ずっとサービス開始をお待ちください~なメッセージが出ていて、アカウントを受け付けてくれなかったんだ。そのあと、性格診断がおもしろくって、ずっと何度もリロードしてやり直してたから、だいぶ時間喰っちゃったなあ」


 カルラがどれだけ例の性格診断に関心が深かったのかは、治療時のアツい講釈から、十分にうかがえた。


「そのかわりガイダンスは全部スキップしたから、やっぱログインは六時くらいだったかな?」


 カルラ、朝の六時にログイン。


 ふるちん、朝の六時三〇分にログイン。


 その差、わずか三〇分。


「それが、この世界での三〇日の違いになったってこと?」


「逆をいえば、ゲーム世界で一日経っても、現実リアル世界では、たった一分しか経過していないってことか」


「あり得る話ね。ここはデータだけの仮想世界だから、潜行ダイブ後は、五感のすべてが脳に直接伝わってる。あらゆる物事が、おっとろしく高速に処理できちゃうんだよね」


 その推測が正しければ、一ヵ月まるまるゲームに没頭していたカルラであっても、現実リアルでは、朝食時間程度の浪費でしかない。


 仮にトイレを我慢していたのでなければ、実影響は、きわめてわずかだろう。


「よかったー、あたし、現実リアルでもまだ生きてるよ、きっと」


「まだ、朝の六時半か。そりゃ、ログインしてるプレイヤーがほとんどいないわけだ。いや」


 突然、いやな汗が、ふるちんの背中を伝った。


「安心するのは早いぞ」


「どったの」


「このログアウトできないってのが不具合だとしても、開発者がそれに気付くのに、何分(何日)かかる? それを修正するのに、さらに何分(何日)、何時間(何カ月)かかるんだ?」


「あー」


 その間、ずっとこのゲーム世界で、過ごさねばならないのだ。


「アップデートに六時間かかるとしたら……まるまる一年だねえ」


「無茶苦茶だ」


 ふるちんはアタマを激しくふって、ドアに手を掛ける。


「外でアタマ冷やしてくる」


「え、今日は月が出てないから、まっくらだよ」


 王都といえど夜は、一部の繁華街をのぞいて、街灯もない暗闇である。


 人々も、照明用の油を惜しんで、早くに寝てしまう。


 地区によっては、火事の防止のため、金持ちであっても灯火の利用は厳しく制限されている。


「俺、盗賊シーフだから……たぶん夜目は利くと思う」


 そっか、とカルラがうなずく。


「病み上がりなんだし、疲れたら帰ってくるんだよ?」


 当たり前のように家族として受け入れているカルラの態度に、少年盗賊は、不思議な懐かしさを感じるのだった。

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