第1話 白い空間
「――あ?」
気付けば俺は、白一色の空間にいた。
「…は?」
服装は、瑞希の墓に行くために刑務所を出てから買ったジーパンとシャツのまま。
体勢は、あのおばさんに刺されて座り込んだときのまま。
怪我は、どこにも無く。
汚れは、血の一滴もついていない。
(…夢じゃねえ、な。ただ、現実ってわけでもなさそうだ)
直感的に、これが夢とかそういうものじゃないことはわかる。何故かはわからんが、わかる。
しかし、それしかわからん。
辺りを見回しても白いことしかわからず、奥行きも把握できない。実際に触れていなければ、地面すら認識できない。そんな空間。
俺は確かにあのおばさんに刺された。俺はあの時確実に死んだ、はずだ。たぶん。
それが、気付けばこんなところに座っている。
「…おいおい、まさか…?」
脳裏を過ったのは、とある本。
俺は自分から本を買って読んだりはせず、いつも瑞希が持っている本を借りて読んでいた。
瑞希は特に決まったジャンルもなく、種々雑多に本を買っていた。
その中にあった、一つの本。タイトルは忘れたが、そこに書かれていたものと、今の状況は少し似ていた。
「…まさか、転生ってやつか?」
「話が早くて助かります」
俺の自嘲気味な呟きに、誰かが口を挟んで来た。
声の感じからすると若い女性のように思えるが、周囲の光景に変化は無い。
「…もしかして、神様か?」
姿は見えず、しかし声は明瞭に聞こえる。おまけにこの状況。それくらいしか思い付かなかった。
「少し違います。私は神の僕である天使、名はリリエルと申します」
いろいろと不可解ではあるものの、会話が出来る相手であるということ。一先ずそのことに俺は安堵した。
「…天使、ねえ。…それじゃあ、ここは死後の世界ってやつか?」
「それも少し違います。貴方が理解出来る言葉で言えば、三途の川の中州といったところでしょうか。此岸には戻れない、彼岸の一歩手前にある中州です」
「そりゃわかりやすい。なら、俺はやっぱり死んだんだな?」
「はい、地球の貴方は確かに死にました。ここにいる貴方は魂、霊魂のような存在だと考えてください」
「あいよ」
リリエルと名乗った天使とやらは、俺の質問にきっちり答えてくれた。
とりあえず今の状態と状況についてはなんとなくわかったし、特に混乱もしてない。瑞希が持ってた異世界に転生するっていう話の小節も似た様な感じだったし、なにより、やるべきことを終えたことから、未練も何も無かったから。
「じゃあ、リリエルさんは死んだ俺に何の用があるんだ?」
あの小説だと確か、世界を救う勇者になってくれ、だったか?そんな感じの事を言われてたが、リリエルさんは何を言い出すのかね。
「ミズホさん。地球とは違う世界で、生きてもらえませんか」
「…、ん?」
小節と違う答えだったのは、別にいい。言われたかったわけでもないし。
俺の名前を知っていたことも、別にいい。天使ならそれくらいわかるんだろ。
だが、生きてもらえないか、ってのは、どういうことだ?
「…それは、命令とか強制か?」
「違います。これはあくまでも、…そうですね、提案や要望という形になります」
「…拒否したら?」
「もし貴方が拒否すれば、貴方の魂は地球にて輪廻転生の理に導かれ、タチバナミズホという人格は消滅します」
「…さすがに、死後の世界で瑞希に会えるなんてオチは無かったか」
別に天国みたいなところを信じていたわけじゃない。
ただ、神や天使が実在してるならもしかして、なんて思ってしまっただけだ。
それに、もしも瑞希が天国にいたとしても、俺はどうせ地獄に堕ちるだろうしな。
「…だったら、その生きてもらえないかってのはなんだ?漠然とし過ぎてよくわからん。俺にいったい何をさせたいんだ?」
「その世界で、生きてください。私が貴方に求めるのはただそれだけです」
「…本当に、それだけなのか?」
「はい。特に何かを成さずとも、例えば人気の無い場所でひっそりと暮らしていただいても構いません。貴方がその世界で生きているという事実、存在が重要なのです」
「…」
生きている事実が重要、ねえ。なんか引っ掛かるな。
「なあ、リリエルさん。あんたはその世界で、俺を使って何をするんだ?」
「何かをする、ということはありません。何かをさせないために、貴方をその世界に存在させたいのです」
「…どういう意味だ?」
何か裏があるような気がしてたが、させないためってのはどういうことだ?
「その世界には、他の世界からの転生者が数多くいます。しかし、様々な者が無秩序に転生者を送り込んでしまった結果、その世界は混沌と化し、今では崩壊の危機に直面しているのです」
「…それで?」
世界ってのは案外簡単に崩壊しちまうんだな。
「転生者の流入さえ防げば、あとは世界が持つ自浄作用で崩壊は回避出来ます。ミズホさん、貴方にはその役目を担って欲しいのです」
「やってくる転生者をやっつけろってのか?」
「いいえ。正確に言えば、貴方には世界の扉になって欲しいのです」
「…世界の、扉?」
それこそ神様の役目なんじゃないのか?
「はい。貴方が生き続ける限り、私以外の外界の存在がその世界に干渉することは出来なくなるように手を加えます。貴方は世界の扉となり、外界との行き来はその扉を通らなければならなくなり、その鍵は私だけが持っている、と考えてください。なので、先程も言った通り、ミズホさんにしていただきたいのは、その世界で生きること、それだけです。扉はそこにあるだけで、その役目は開くか閉じるかだけ。それも誰かが扉を動かさなければただの壁と同じ。ミズホさんにはその扉になっていただきたいのです」
「…なるほど、ね…」
例えがわかりやすかったおかげで、話の内容は理解出来た。俺に求めていたのは、本当にその世界で生きることだけだったようだ。
だが、それはそれとしても、疑問点はいくらでも出てくる。
そもそもその話は本当なのか?どこかにウソはないか?何故転生者がそんなにいる?何故その世界には転生者が大量にいる?神や天使は何故無秩序な転生をさせた?そんなことになる前に何か手は打たなかったのか?考え始めればキリがない。
でもまあ、そんな疑問は、今はどうでもいい。
「とりあえず、リリエルさんがしたいことは分かった。だがな、俺は瑞希がいない世界に興味はない。瑞希がいないなら、第二の人生なんてのもいらん」
重要なのは、瑞希だ。
瑞希がいないなら、そこに意味なんてないからな。
「もちろん、報酬は用意してあります」
「報酬?俺は地位も名誉も財産もいらんぞ」
俺が欲しいものは、いつも瑞希が欲しがったものか、瑞希のためになると思ったものだ。
瑞希がいないなら、俺は何もいらない。
「タチバナミズキさん。それが世界の扉になっていただく報酬です」
「っ!?」
…瑞希が報酬、だと?
「おい、それはどういう意味だっ!」
気付けば俺は声を荒げていた。
瑞希を物みてえに言うのに腹が立ったのもあるが、それ以上に、瑞希が報酬ってのは、それはつまり――
「貴方がこの件を引き受けてくれるのであれば、貴方の妹である、ミズキさん。彼女も共に転生させましょう。それが報酬です」
――瑞希に、会える?
「私が世界の扉という役割を貴方に頼んだのは、貴方が妹さえいれば必ず生きてくれる人であり、妹以外に何も望まぬ人だったからです」
「…」
また、瑞希の笑顔が見れるのか?
「人は、ただ生きるだけではいつか壊れてしまう生き物です。人が生きるには理由、言い変えれば、欲望が必要になります」
「…」
また、瑞希と言葉を交わせるのか?
「永き時を生きるのであれば、それ相応の欲望が必要になります。しかし、過ぎたる欲は破滅へと向かう道標となってしまう。だからこそ、ミズホさん。私は貴方を選んだのです」
「…」
また、瑞希と触れ合えるのか?
「その欲は強く、他の全てを撥ね退ける。おそらく貴方は、何があろうと妹を護るでしょう。そして妹がいる限り、貴方は何があろうと生き続けてくれるでしょう」
「…」
また、瑞希と一緒に、生きることが出来るのか?
「…聞いてますか?ミズホさん」
「…、あ?」
俺は、とにかく泣いていた。
頭の中は瑞希のことでいっぱいで、他には何も考えられない。
話?全く聞いてなかった。
「…。では、ミズホさん。世界の扉という役割を、引き受けてもらえますか?」
「っ…、いくつか、確認したいことがある」
歓喜と感動で内心興奮していた俺は瞬時に承諾しようとしたが、寸前で踏み止まった。
これは瑞希に関わることだ。そう自分に言い聞かせ、頭をフル回転させていく。
俺は涙を乱暴に拭い、リリエルさん、いや、リリエル様の話に集中した。
「瑞希を転生させると言ったが、瑞希は今どうしているんだ?」
時間という概念がここにあるのかわからないが、俺の中では瑞希がいなくなってから5年もの月日が流れている。さっき言ってた輪廻転生とかなんとかが本当にあるなら、瑞希は消滅しているんじゃないのか?
「ミズキさんの魂は今、私が管理しています。私が貴方を見つけることが出来たのは、ミズキさんが地球で死に、その魂がこちらに来た際それを読み取ったからなのです。私はいつか貴方がこちらへ来たときのため、ミズキさんの魂を輪廻転生の理から外し、保管しました。この場へ呼び出すことは出来ませんが、ミズホさんと共に転生させられます」
「そういうことか…。なら、記憶、人格や性格はどうなる?」
俺の記憶が全くない瑞希でも別に構わない。だが、それ以外の記憶まで全て失っていたら、人格や性格まで変わっていたら。さすがに心の準備くらいはしておきたい。
「記憶、人格、性格、それらは死ぬ直前の状態を引き継ぎます。多少の混乱は可能性として考えられますが、おそらくミズホさんがここで目覚めたときと同じように感じられるでしょう」
「…死ぬ直前…」
それはつまり、瑞希は自分が襲われた記憶も、殺される瞬間も、全てを覚えているということになる。
(最悪の場合は、殺される直前からいきなり目の前に俺が現れる、なんてことになるってことか…)
「…転生させられる具体的な場所は?いきなり街中なんてことはないよな?」
「お二人とも一緒に、人目につかない森の中へ転生させます。正確な位置や具体的な距離はお伝え出来ませんが、日が昇る方へ進めば街へ辿り着く位置にします。ただ、数日の野宿は覚悟していただきますので、道具や衣服、荷物については最低限、こちらで用意しておきます」
「…森の中か」
欲を言えば小屋とかの方がよかったが、人目につかないなら森の中でも及第点だ。
おそらく、転生して目覚めた瑞希はかなり混乱して、錯乱するかもしれない。それを落ち着かせるための時間が取れるかどうかが問題だった。
「…身体はどうなる?」
「その世界に適応できるよう、私が創った人間の身体になっていただきます。見た目は地球に存在していたものに似せて作ってあるので、大きな差異は無いかと。これはミズホさんも同様です」
「…見た目以外は、何が違う?」
「身体構造のほとんどについてはミズホさんの認識のままになります。地球の身体と違う点は、身体能力、思考能力、内臓機能の向上。それと、世界の仕組みが異なりますので、地球で生きていた頃にはなかった特殊な力を有します。そして、ミズホさんになるべく永い時を生きていただくため、お二人には少々限定的な特性を付与させていただきます。」
「…それぞれの詳細を求める」
俺はすでにリリエル様の頼みを引き受けるつもりでいる。今は可能な限り情報を集めておきたかった。
「肉体の能力と機能の向上、特殊な力については、その環境が地球と比べると非常に苛酷なためです。詳しくお話することは出来ませんが、そこでは人が容易に死んでいきます。病や毒、人を襲う存在。それらに対抗できるようにするための措置です。具体的なことについては、実際に感じてもらうのがいいでしょう。不老については、単純に寿命が無くなると考えてください。筋力の増加などの成長は反映されますが、老化という意味での変化は一切無くなります。限定的というのは、ミズホさんとミズキさんの両名が存命である限り発動し続けるという条件があるからです」
「…その特性についてなんだが、それは、俺達を不死身にすれば済む話なんじゃないか?」
話の中でまず気になったのは、不老について。確かに、俺と瑞希を不老にするというのは、世界の扉という役割においては理に叶っている。
だが、何故不死ではなく、不老なんだ?しかも条件付きだと?
「不死者という存在を世界に生み出してしまえば世界の秩序を乱すことになり、それは崩壊へと繋がります。また、世界への影響を抑えるため、あまり強大な力を与えることも出来ません。それらを鑑みたうえで出来る限界が、条件付きの不老だったのです」
「なるほどな…」
俺にはよくわからないが、どうやらいろいろな制約があるようだ。
「あと、地球と比べると苛酷な環境ってのは、具体的にどういうことなんだ?」
「はい。イメージとしては、ミズホさんがいた地球にある創作物のような世界だと考えていただければよろしいかと」
「創作物…。ゲームとかマンガみたいなものか?」
「その認識で大差はないかと。具体的には、人類の総数を抑えるため…、どうやら、限界のようですね」
「?」
限界って、何がだ?というか、なんかすごく壮大で危険なことを言いかけてなかったか?
「ミズホさん、世界の扉について、引き受けていただけますか?」
リリエル様は少し早口になって聞いてきた。
「それについては、引き受けるつもりだ。瑞希がいるならな」
「…ありがとう、ございます」
「だが、その前にもっと聞いておきたいことがある。特殊な力とか、その世界についてももっと詳しく聞きたい。人類の総数を抑えるってのはどういう――」
ピシッ!
「?」
突然、何かが割れるような音が背後からした。
何か嫌な予感がした俺が振り返ると、
「…ヒビ?」
真っ白だった空間に、真っ黒なヒビが、縦に大きく刻まれていた。
「…私の行いを快く思わない神や天使もいるのです」
「…限界ってのは、そういうことか」
「話が早くて助かります」
リリエル様は最初と同じ事を言う。
「っ!?」
次の瞬間、俺の周囲が、いや、俺自身か?が光り出した。
「時間がありません。このような形になってしまいましたが、ミズホさんとミズキさんを今すぐ転生させます」
「なっ、まじかよ!」
こっちはまだまだ聞きたいことが山ほどあるってのに、こんな状態で放り出されるるのかよ!
「…リリエル様!最期に一つ言いいたいことがある!」
だがそれでも、俺は姿の見えない天使に、言わなければならないことがあった。
「…なんでしょう?」
光はどんどん強くなり、目を閉じてても瞼を貫通してくるようだ。
俺は最期になるだろう言葉を、全力で伝える。
「瑞希のこと、感謝する!ありがとう!」
リリエル様がいなければ、俺は瑞希に会えなかった。
まだ会えたわけじゃないが、あっちに行ってからだと伝わるかわからなかったからな。
「…良き人生となることを、切に願っております」
その言葉を最後に、俺の視界と意識は、完全に光に飲まれた。
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