おにいちゃん、世界救わなくていいの?
なぼこ
プロローグ
「久しぶりだな、瑞希」
俺は、初めて訪れた墓に話し掛けた。
「最初はそんなにかかるとは思ってなかったんだが、結局五年もかかっちまった」
ここへ来る途中で買った、色とりどりの花束を墓石に立て掛け。
「でもまあ、成人の誕生日には来れたわけだし、それでチャラにしてくれるか?」
次いで、持ってきた荷物から瑞希が好きだったイチゴのショートケーキを取り出し、ロウソクを2本立てて、墓に添えた。
「20歳の誕生日おめでとう、瑞希」
墓の前で胡坐をかいて座り、手も合わせずに話し掛ける姿は、墓参りの形としてはあんま褒められたもんじゃねえってのはわかってる。
それでも俺は瑞希に、瑞希の墓に手を合わせたくなかった。線香もあげたくなかった。
瑞希を、最愛の妹を。死者として、故人として扱いたくなかった。
「俺も今日で35だ。世間じゃおっさんなんて呼ばれるような歳になっちまった。見た目はそんなに老けてはないと思ってるんだけどな」
俺と瑞希の誕生日は同じ日。ロウソクが二本なのは、瑞希の分と俺の分。昔二人で暮らしてた頃は、毎年こうして互いの誕生日を祝っていた。
「瑞希、覚えてるか?昔さ、俺が家で酒を飲んでた時、いつか一緒に飲むんだーって言ってたよな」
俺は荷物の中から、2本の缶ビールを取り出した。
――カシュッ、カシュッ
静かな寺院墓地に、小気味良い音が響く。
「成人おめでとう、瑞希。乾杯」
墓に置いた瑞希の分の缶ビールに自分のを当て、俺は目を閉じ、一息にビールを飲み干した。
「く~っ!久しぶりだと余計に美味く感じるなぁ!どうだ瑞希、初めての酒は。やっぱりまだ苦いだけか?」
視線を墓に戻すと、いつの間にかロウソクの火は消えていた。
「なんだ、ケーキに夢中かよ。…まあ、6年ぶりだもんな。始めての酒より、誕生日ケーキの方が大事か。でもあんまりがっつくなよ?昔ケーキを喉に詰まらせたこと、俺はまだ覚えてるんだからな」
5年前の誕生日、瑞希は俺が買ってきたケーキを食べれなかった。
それからは、俺が瑞希のところへ来れなかった。いや、来ようと思えば来れたのを、俺の我儘で来なかった。
だから瑞希が誕生日ケーキを食べるのは、今日が丁度6年ぶりになる。
「あれは、俺達が2人で暮らし始めてから最初の誕生日だったな。瑞希が泣きながらケーキ食べて、そしたらいきなり苦しそうに蹲って。俺、親父とお袋が瑞希を連れて行こうとしてるのかと思ったんだぞ?」
俺は瑞希の墓の隣に立つ、別の墓石を眺めた。
俺達の親は2人とも、瑞希が幼い頃に事故で死んでしまった。
それは俺達の両親の墓で、瑞希の墓は両親の墓の隣に立っている。
俺は全財産をここの住職に渡し、瑞希だけの墓を立ててくれと頼んだのだ。
「…ほんと、いろいろあったな」
両親が死んだ当時、それまでほぼ絶縁状態だった親戚達は俺達を引き取ることに難色を示し、結局俺達は親が残してくれた家に2人で住むことにした。
そこそこの遺産と、俺が進学せずに就職していたおかげで経済的には大きな問題が無かったのは良かった。だが、やっぱり2人で暮らしていくのは大変だったし、苦労も多々あった。瑞希はまだ5歳で、小学校にも上がってなかったからな。
それでも、瑞希が笑ってくれるだけで、俺は頑張れた。それが俺の幸せで、生き甲斐だった。いつのまにか、それが俺の全てになってた。
たまにはケンカすることもあった。結構ヤバイこともあった。でも、俺と瑞希は、互いに助け合いながら、笑って生きていたと思う。
「…幸せ、だったんだよな…」
そして、幼かった瑞希も成長し、中学を卒業した。
いつかは瑞希にも彼氏が出来たりするんだろうかと思いながら、俺はこんな生活が、幸せが、いつまでも続いていくんだと、そう考えていた。
「それが結局、瑞希は親父達のところで、俺は指名手配中の逃亡犯か」
5年前の誕生日。
その日は偶然にも、瑞希の中学校の卒業式だった。
有給を取った俺は父兄として参列し、卒業証書を受け取る瑞希の姿を見た時には、久しぶりに涙を流していた。
学校の校門前で写真を撮った後、友達と話すこともあるだろうと思った俺は、暗くなる前には帰ってこいよと言って、瑞希を残して先に帰った。
卒業祝いと誕生日を兼ねたケーキや料理を準備し終えたあたりで、瑞希からメールが届いた。
『遅くなってごめんね、今学校出た!急いで帰るから、ケーキ摘み食いしちゃだめだよ!』
俺は軽く笑いながら、気をつけて帰ってこいよ、と返信した。
そして、メールから1時間が経ち。
少し遅いなと思いつつも、中学最後の下校を楽しんでるのかなと考えた。
2時間が経ち。
さすがに気になってメールしてみたが、返事は来なかった。
3時間が経ち。
何度メールしても電話しても全く反応しないことに焦りと不安を感じ、俺は警察に連絡した。
1日が経ち。
瑞希は行方不明扱いになった。
3日が経ち。
目撃証言から、瑞希が誘拐されたことがわかった。
そして1週間が経ち。
俺はようやく瑞希と再会出来た。
もう動かない、冷たくなった瑞希と。
瑞希がどうしてそうなってしまったのか。それはすぐに判明した。
複数の男達が、学校帰りの瑞希を襲い、攫い、集団でレイプして、首を絞めて殺した。
特に瑞希の知り合いというわけでもなく、今回の件はたまたま瑞希が被害者になった。ただそれだけだった。
しかも容疑者全員が未成年。余罪も無く初犯だったということから、そいつらは少年院に数年入るか、保護観察になるだけ。
残されたのは、たった一人の家族を失い、幸せを奪われ、人生を壊された、俺。
復讐へと至ったのは、当然の帰結だった。
「…瑞希は、やっぱ怒るんだろうな…」
墓の前で苦笑しながら、俺はこの5年間を思い返す。
瑞希の葬式を終わらせ、あとのことを幼い頃から世話になっていた住職に任せた。
そして、事件に関わった者を、一人ずつ殺していった。
路地裏や空き地、アパートの一室。場所は様々。
磔にして、性器を斬り落とし、全員の首を絞めて殺した。
躊躇なく、感情的にもならず。作業のように、10人を殺した。
殺す度、後悔は無かった。ほんの少しの達成感と、瑞希に怒られそうだな、と思っただけだった。
決して楽ではなかったし、逆にこっちが殺されそうになる時もあった。
それでも、やり遂げた。やり遂げてしまった。
「苦節5年。おまえに関わった10人全員、死んだぞ」
こんなことをしても瑞希は喜ばない。そんな綺麗事はどうでもよかった。
これはただの自己満足。復讐しかすることがなく、復讐しか生きる道がなかっただけのこと。
それでもここに、一度も来ることも無かった妹の墓へ来たのは、復讐という唯一の生きる理由が無くなったことの、一つの区切りとしてだった。
「…一人に、なっちまったな…」
両親の墓には線香を置きながら、ついそんな呟きが漏れた。
今日までは、復讐のために生きてきた。それしか考えていなかった。
しかし、それが叶ってしまった今。俺は、俺以外の墓を前にして、改めて自分が一人になってしまったことに気付いた。
「…なあ、瑞希。俺、これからどうしたらいいんだ?」
俺は瑞希に問い掛けた。
「俺さ、瑞希の高校の制服見るの、楽しみにしてたんだ。成人式だって、振袖姿の瑞希を見るの、すごい楽しみにしてたんだ。あとさ、いつか瑞希が連れてきた男に、おまえにウチの妹はやらんって言うのも、ウチの妹を頼むって言うのも、親父の代わりに俺がやるんだろうなって思ってた。そんで、結婚式の時、俺、すんごい泣くだろうけど、瑞希のウェディングドレス、すごい綺麗だろうなって。子供なんか生まれたら、瑞希に似て絶対可愛いだろうなって。俺、たぶんバカみたいに可愛がるんだろうなって…っ」
俺は、いつの間にか、泣いていた。
「…俺が楽しみにしてたことも、俺がしたかったことも、俺の夢も。…全部、無くなっちまったんだよ」
ポケットから、一枚の写真を取り出す。
そこには、中学の卒業式で撮った、濃紺のブレザー姿の瑞希が、満面の笑みを浮かべて写っていた。
「…なあ、瑞希…」
「――すいません」
「…ん?」
瑞希の写真を眺めたまま、どれくらいそうしていたのだろうか
掛けられた声に気付いて顔を上げれば、空は夕焼け色に染まっていた。
「橘、瑞穂さん、ですか?」
俺の目の前には一人のおばさんが立ち、俺を見下ろしながら、俺の名を口にした。
「…そうですが、どちら様で?」
俺は写真を持ったまま立ち上がった。身長は170センチの俺の方が少し高い。
「…安藤、隆。この名前に、聞き覚えはありませんか?」
おばさんは無表情なまま、俺への問いを重ねる。
「ん~…。すいません、覚えがないですね。もしかしたらどこかで会ったのかもしれませんが」
俺は隠すことなく、正直に答えた。
「…あなたは、殺した相手の名前も、覚えていられないんですか?」
「…」
アンドウタカシ。その名前については思い出せないが、このおばさんがどういった人なのか、察しがついた。何をしにここへ来たのかも、鞄の中に片手を突っ込んでいる意味も。
だから、
「はい。瑞希を襲ったやつらの名前など、全員忘れました」
俺は素直に答えた。
「…あなたには、後悔や反省は、無いんですか?」
「それが殺したあいつらに対してという意味でなら、無いですね」
「…どうして、わたしの子を殺したんですか?」
「だって、瑞希を殺したやつが生きてるなんて、おかしいじゃないですか」
おばさんの表情は変わらない。
「…なら、同じことを私が考えても、構わないですよね?」
「構わないと思いますよ」
「…」
おばさんは鞄から包丁を取り出した。
「…逃げないんですか?」
「こうなるだろうな~とは思ってたんで。あ、でもどうせならちょっと待ってもらえます?逃げたり助けを呼んだりはしないんで」
別にここでこの人に殺されるのは構わない。因果応報だ。それに、生への執着もない。
ただ、ほんの少しだけ、やり残したことがあった。
「…遺言でも書くんですか?」
「残したところで読む人が誰もいませんよ」
俺は瑞希が食べ残したケーキを食べきり、瑞希が飲み残したビールを飲みきり。
ゴミを纏め、持ってきた荷物と一緒にしておく。
そして、罰当たりなことはわかっているが、俺は瑞希の墓に背を預ける形で立った。
「すいませんね。瑞希のやつ、食べ物を残すと怒るんですよ」
「…いい子、だったのね」
「そりゃあ、自慢の妹ですから」
夕焼けに染まる空。
音は無く。
笑って立つ俺と、無表情に刃物を持つおばさん。
端から見ればおかしな状況だと思う。
でも、俺はこの状況を受け入れた。
「…なんで、こんなことになっちゃったのかしら…」
おばさんは俯き、小さく呟いてから、
「っ…ごめんなさいっ!」
包丁を両手で構え、俺に向かって走り出し、
――ズッ
包丁は、その根元まで、俺の腹に突き刺さった。
「がぁっ!」
痛い。熱い。痛い。熱い。
想像していたよりも、何倍も痛くて、何十倍も熱かった。
「…っ」
おばさんは俺から包丁を引き抜き、無言で俺から離れると、そのままどこかへ歩いて行ってしまった。
「…み、みず、き…!」
腹から何かが出て行く感覚を感じながら、俺はその場に座り込んだ。
背には瑞希の墓。下には、瑞希と親父とお袋がいる。
「…いま、から、…俺も、行く、ぞ…」
もう痛みはない。熱もない。ただ、眠い。
俺は、右手に持っていた瑞希の写真に視線を落とした。
血で少し汚れてしまったが、笑った瑞希が見えた。
「…みず、き」
それも、見えなくなる。
感覚が、無くなっていく。
「…あい、してる、ぞ…」
俺は、直接言えなかった言葉を最後に。
瑞希の墓にて、その生涯に幕を下ろした。
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