雨に出会えば

緑川碧

第1話 雨に出会えば


雨は嫌いだ。



滝のような雨がトタンで錆びた屋根に打ち付ける中、佐々木晴士はギプスを巻かれた不自由な右足を睨みながら思う。


雨は濡れるし、ジメジメする。そして更に嫌いになる出来事が先日起こった。


自転車をかっ飛ばしていた雨上がりの日、濡れたマンホールの上で綺麗に転んだ。一緒にいた友達からはつるっ、ズコーっという効果音がぴったりのこけ方だったらしい。そして、その晩尋常じゃない腫れ方をしたため、家から二時間近くかかる市民病院に行った。


牛蛙のような顔をしずんぐりとした体型の医者が診察した。「あーこりゃ折れてるね、綺麗に、ぽっきりと」と医者はあっけらかんと言った、牛蛙から雨を連想し、更に嫌いになった。


真っ黒な雲が町を灰色に染めている。数日は雨が続くと、今朝のテレビの天気予報士が言っていたことを思い出す。


しばらく陰鬱な気分が続きそうだと、再びため息を漏らす。何かいいことが起きないものかと思うと、パシャっと足音がしたため顔をあげる。



そしてはっと息をのんだ。目の間にはセーラー服を着た細身の女性が立っていた。同じ学校の制服を着ているが、見たこともない美人だ。髪は短く肩までで綺麗に切り揃えており、少し湿った髪が色っぽさを醸し出している。セーラ服の袖から出ている腕は細く、ほっておくと折れてしまいそうな百合のようなはかなさを感じる。それとは対照的に彼女の目はとても力強く感じる。



彼女は傘を閉じると、俺の目をしっかりと見た。


「私の顔に何かついてますか」


凛とした透き通るような声で問いかけてきた。


「あ、いや、つい綺麗だったから」

「」


眉を寄せ、絶句してしまった彼女を見て、数秒経った後自分が初対面の相手に何を言ったのかを理解した。顔が熱くなるのを感じる。


「違、いや違くないけど。つい本音が、じゃなくて...同じ学校なのに見たこともなくて、それでつい見ちゃったんだ。」


嘘は言ってない。実際、これほどの美人が同じ学校にいて噂にならないはずがない。


「見たこともなくて当然です。今日は下見に来ただけですから。」


声に棘が付いているのが分かる。軟派な男、それともただ変な奴って思われてそうだな。


「じゃあ転校生か、うちの高校にようこそ。俺は佐々木晴士って言うんだ。君は?」


彼女は少し逡巡し、伊勢雪乃と答えた。名は体を表すというが、同じ日本人なのかっていう位、肌が白い。湿気をまとった、ねっとりとした風が頬を撫でる。先ほどまでなら不快に思えた風が何故か少し心地よい。



彼女のリボンの色に目をやる、俺の学校は女子は学年毎にリボンの色が異なり学年が分かるようになっている。ちなみに男子はネクタイの色が異なる。


「リボンの色が赤っていうことは、伊勢さんは俺と一緒の学年か。よろしく」

「雪乃でいいです」

「それは、馴れ馴れしくないかな」

「名字で呼ばれたり、さんを付けられるのは嫌いです」

「そうか、じゃあ改めて雪乃さ…雪乃、よろしく」


さんで呼ぼうとしたら、尋常じゃない目つきで睨まれた。こんなにもさん付けを嫌うとは少しばかり変わってるなと思う。


「雪乃はバス通学なのか」

「ええ、家まで大分遠いからバス通学をするつもりよ。佐々木君は?」

「足がこれだからな。傘をさして歩くのも大変だから、雨の日だけはバスを使っているんだ」


この後他愛のないことを話しているうちに、あれだけ打ち付けていた雨がやみ始めていた。遠くからは雲の切れ目から陽が差し込んでいた。そして街の端から端に虹色の端がかかっていた。



虹が出ていると雪乃に伝えようとしたら、彼女は既に虹に気づいており柔らかな笑みを浮かべながらじっと見つめていた。


――綺麗だ。彼女を見た瞬間まるで世界が止まったかのような錯覚を受けた。それほどまでに美しいと感じることができた。


もしかしたら、この彼女の横顔を見るために俺は足を折り、雨の中バスを待ち続けていたのかなと思った。

馬鹿馬鹿しいが雨の日も悪くないなと思い、この出会いに感謝した。

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雨に出会えば 緑川碧 @tsubaki_ao

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