第4話「母さんと、お買い物 中編」

 聖也の心には、たったひとつの決意がそこにはあった。


「ちゃんと、謝らなくちゃ。そいでもって、本当に大切なことをコウに伝えるっきゃないっ」


 ふんす、と。


 鼻から強く呼気させると、自然と、握りしめていた両こぶしに力が込められてく。


 今一度、勇気こころを一つにする思いで陳列棚の角の、その先へと向かう。


 まもなく、ポイントに差し掛かってくる。


 全体右向け右。


 (ぐるり、と……)


 すると、


 ドンッ!

 

 突然、何者かにぶつかった。


「うわっ、ちょ……!」


 小柄な体型の聖也は、その予想外なベクトルの力によって身体をよろめかす。


 一瞥させてみると、そこには、ついぞさっき別ったばかりのはずな親友が突っ立っているではないか。


「こ、コウ……」

「お、おう。お前かい……ごめんなぁ、痛かったか?」


 寝耳に水、とはこのことである。聖也は唐突な展開にあっけにとられていた。


 対して、航平はと言うと、聖也ほどではなかったがやや狐につままれてるといった面持ちで、平謝りをした。


 親友のしおらしい様子を前に、聖也は居ても立っても居られなくなる。


 今、言わねば。


「あのさ、コウ……」と、まさに彼が言わんとしていた。


 その時だった。


 何の前触れもなく、航平によって彼は利き腕である右うでを掴まれた。


 それから、呆気に取られる暇もないほどに、航平が畳みかけてくる。


「と、とにかくええわ。こっち、来てくれや」

「ちょ……っ!」


 文字通り腕を航平に引かれたことで、聖也はするすると或る場所に連れてかれた。


 ビスケット類が主に陳列された棚のほうをあとにして、目的の箇所へとずんずん歩みを進める。


 しばらく突き進んでくと、そこにたどり着いた。


 昼下がりのスーパーには、至って似つかわしくない光景が広がっていた。


 見渡すばかりは、多くの人、人、人!


 それも、どの顔ぶれも聖也や航平よりずっと老成してるそれであり、と言うよりかはどれもいい年してそうな中年男性ばかりが群がっているではないか。


 白髪の入り交じった黒山の人だかりが店内の往復路にて、すっかりあふれ返ってる有り様だ。


 そんな様相を、そこからは目と鼻の先のところであるせんべいの陳列棚の角の隅にて彼ら二人は目を凝らしてみていた。


 加齢臭が立ち込める人だかりを前にして、聖也と航平は揃って、口を噤んでしまってた。


 そんなきな臭い雰囲気に耐え兼ねたのか、我先にと、航平が口を開いた。


「なあ、どう思う」

「……こう言うのを、”跳梁跋扈ちょうりょうばっこしてる”っていうんだっけ?」

「かも、知れへん」


 聖也の口から飛び出た難解な動詞を、彼は婉曲的に肯定してみせる。


 続けて、しっかしよくもまあこんな店の一角でぎょうさん人が集まるもんやな、と小さく息を吐きつつ述べていた。


「け、ケンカとか?」

「んー、俺も最初はそっちかと思ったんやけれども、この場の雰囲気的にそれはないわ。それに、ほら。あのおっさんの顔、よく見てみぃ」


 試しに、と言わんばかりに航平がとある中年男性にと人差し指を向ける。


 そこの無精ひげを生やした中年男性は、さも精悍な態様で人だかりのその遥かを見遣っていた。目元を細目に細め、先をまっすぐ凝らして見ている。ここへ来る途中で酒でも一杯あおってきたのだろうか、ほんのり顔を赤らめており血色がいやに良かったのである。


 聖也が、ふと見渡すと黒山の最中にいる男性らは皆一様に先述した感じの表情を浮かべていることがうかがい知れた。


「みいんなずっとこんな調子やねん。それに、仮にケンカかなんかやったら流石にちょいと静かすぎるし。そもそも、店ン中やさかい、こないところで乱闘でもおきようもんなら真っ先に店ン中の従業員が通報するなりなんなりするはずやがな」

「確かに、見た感じそんな緊迫した様子もまったくないしね。いたって平和そのものに思えるけど」


「まあ、な。ところで……」と、一旦そこで切り上げると今度は途端に聖也のほうに向きなおる。


「ん、なあに」

「お前、買い物かご。どした?」


 そう言われて、ハッと、我にかえる。


「あ……」


 開いた口が塞がらない様子の彼を前に、航平は思わず吹き出す。


「ぶふふっ、おまえなんやその顔! ……いかにも、『つい、うっかり』って顔しとるなあ。しゃあないのー、俺も置いてきたんで人のことは言えんが、俺がまとめて取りにいったるわ」


 心配すんな、と。


 そう言葉を締めつつ、航平はすっかりハトが豆鉄砲をくらったかのような顔をしてた聖也の肩を軽くたたき、所定の地点へと向かっていった。


 親友であるはずの聖也はひとりそこにて、置いてきぼりを喰らう。


 ポツン、と。


 かわいた息を吐きつつ、首をうなだらせた。


「はあ、……結局、肝心なことはなにも言えずじまいか」


 いかにも、ナーバスな空気がすぐ近くの中年男性らの独特な分泌臭と入り混じりつつ、彼はひとりそれを己が周囲にてまとわりつかせていた。


 しかし、そのとき。


 聖也はふたたび黒山にむけて、体勢を整えだそうとまずは足元に集中させたが、翻った表紙に彼の小さな身体はガクンとそのバランスを崩してしまう。


「――――あ、しまっ……」


 よろめいた身を立て直す間もなく、そのままだれた上体をすぐそばの人だかりの間へと巻き込まれることとなった。


 中年男性特有の臭気が立ち込める木立の園。


 形容しがたいその薫りと、幾人かの骨ばった痩躯ないし、贅肉が突出したタヌキ体型の親父どもたち。


 それらが、聖也の身と心をえぐりとっていく。


 いたるところがぶつかり、当たり、擦り、あっという間に、彼がもみくちゃにされることは造作もなかった。


 最中の聖也は死中に活を求めるというやつで、今はともかく前へ前へと進み出たいという一心である。他でもない、彼の内に秘めし生存本能が彼自身の背中をいまだ会いまみえぬ安住の地の方へ駆り立てたのだった。


(とにかく……い、いまは……ここから、ぬっ、抜け出さないと)


 しばらく彼なりに”肉サウナ”の最中をさすらう。


 そのうち、隙間を縫う要領で限界いっぱいまで伸ばした右腕の先が、なにもない冷えた空気を掴んだ。


 や、やった! 出口だッ、やっとここから抜け出せそうな糸口が見つかった!


 心の底で、「万歳」とガッツポーズ極めつつ、彼はそのうち震わす感情すらも己を突き動かす糧とし、ひたすらに山越えを目指す。




 そして、ようやくそれを成し遂げた。


 ぬるったい人肌と大混雑特有のまとわりつく湿度の空間。


 そこから一歩離れたフリー・スペースに彼は身を置いていた。


 新鮮な、涼み切った大気をここぞとばかりにむさぼり吸った。


(ああ! こ、この……この、開放感ッ! たまらないなあ!)


 いくばくか深呼吸を繰り返し、高鳴る胸をキーとなりし右の御手を押し抱かせた。


 生命のポンプが、音を律動的にかき鳴らして、聖也の生体内にて響いている。


 ここぞとばかりに、彼は膝に両手をつき、太い息を口から放出させた。


 と、同時にうっすら目を開けて前を無意識に見遣る。


「はぁ――――――っ……ゲエッ!?」


 刹那、全身を硬直させた。


 それと共に、理解してしまった。


 自分の探してたそれを。


 それから、このような事態に自分を巻き込んだ最大の元凶を。


 ……ここは、スーパー・マーケット「サンサンマート」の酒場コーナーの一角である。


 まず、小学生の聖也には縁がないと言っても差し支えない。しかし、彼の目に映るそれが先の説明をことごとく打ち消さす。


「か、母さん……」 


 加齢臭と高密度な湿気がはびこる親父どもの木立の合間を縫って出ると、そこには店内の酒場コーナーの一角にてひとりしゃがみこみ、瞳を潤ませ熱っぽい表情を浮かばせた実の母。


 もとい、アラフォーのアイドル声優、国吉かなえが文字通り指を一本咥え棚にて陳列された酒瓶のひとつを物ほしそうに見つめてた姿があった。


「いやいや、なにこんなところで油売ってんだよっ!?」


 なりふり構わなくなった彼は、両腕をぶん回しながら母に問うた。


 一方でかなえは彼の存在に気付くなり、即座に口から指先を離した。


 ちゅぽん、と。


 すぼめた口元から小気味いいスプラッシュとともに、指が抜かれてから、ようやくかなえは実の息子と向かい合った。


「あ……マサくんっ! さっきぶり!」

「か、母さん。あのさあ!」


 いかにも呑気した態様の母を前にして、聖也はひどい頭痛に苛まれたような気になった。


「いいよ、もう! とっとと行くよ!」


 すっかりうんざりさせられた彼は、そんな実母の右腕を掴みとると強く引いてそこから立ち去ろうとした。


 しかし、


「えーッ!? そんなあ、ちょっと待ってよぉ」と、言ってかなえは聞かない。


 下唇をかみつつ、そんなようすの母親を聖也は一瞥した。


「……なあに」


 不服そうにほおを膨らせたかなえは、そばにそびえ立つ陳列棚の一方をパッと指す。


「で、それが、どうかしたの?」

「……鬼〇ろしっ」


 かなえは実の息子に、自身が指し示したモノの名を口ずさんだ。


 すると、聖也が、


「それは紙パックのお酒でしょ。こんなとこにわざわざ来なくたって、コンビニに行けばいいじゃん?」

「ぶっぶー、知ったかぶりっこお疲れさまー。マサくんが言ってるのは ”信長” のほうの鬼〇ろしで、こっちは……」


 そこまで言うと、かなえは一旦言葉を止めて徐にソレを担ぎ上げて聖也に見せつける。それから、言葉を紡いだ。


日光にっこう戦場ヶ原せんじょうがはらの鬼〇ろしなのっ。名前はくりそつでも、別物なのっ! インドとインドネシアくらいの差があるんだよっ! 下手すりゃ、スワンの旅だかんねっ!?」


 力説する彼女からはエネルギーがほとばしっており、瞳にはスポ根野球少年がごとき炎を宿していた。


 と、一方で、


(後半は何を言ってるのかさっぱりだったけれど、とにかく、僕の言ってるものと母さんの抱えてるソレは違うってことだろう)


 聖也は相変わらず冷静沈着な態で、母の言い分をしかと嚥下してみせる。


 溜飲がある程度下ったところで再び彼が口を開いた。


「いや、でもさ……」

「えっ、何か問題あるの」

「問題っていうか、さ。お酒ならうちの冷蔵庫に缶のビールもチューハイもハイボールもそろってるじゃんか。チルド室の奥にも、外側を新聞紙何層にも包んでるワインがたしか置いてるはずでしょ」

「カンカンのは、ぜーんぶ普段の私の晩酌ばんしゃく用だしチルド室のワインはとっておきだから、結婚記念日までとっておいてるの。たまには、和のお酒をご相伴にあずかりたいって時があって、それが今日だったの。そーいうことだから!」

「たまには、って言葉の使い方はき違えてない?!」


 ほんわかと、放言をのたまう母に、全力でツッコんだ。


 そこに、


「あのー……」


 突然の、第三者からの呼び声。


 ふたりは、脊髄反射せきずいはんしゃ的に、強く反応した。


「『何(なの)?!』」


 バッ、と二人が顔を向けた。


 四つの瞳がしばたいた先には、先ほど来お菓子コーナーへ向かっていたはずの航平が立ち尽くしていた。


「こ、コウ……」

「いやー、お取込み中。偉うすんません。せっかくの親子水入らずに、いらん水を差してしまいよったみたいで」


 いつもみたいにけろりと、笑みを浮かべ彼は右手をふるふると振った。そんな彼の曲げられた両腕には、ビリジアンのかごがそれぞれ一つずつ吊り下がってあった。


 聖也がふと、航平の背景に視線をくれてみると、さっきまで立ち尽くされていた中年のギャラリー連中はとうに解散していた。淫靡で熟された雰囲気を纏った女が、実は大きな息子にだらしがない団地妻でしかないというのが彼らギャラリーの中で判明したためだ。


「こ、コウ。それって」

「ん、ああ。実は……」


 聖也が漠然と指差した先には、なぜかコウの背後にて、身を隠している様子の小さな子供がいた。


 パッと見で、四~五さいくらいの少女である。


 心もとないほどの大きさの手で、ギュッと、彼の服の裾を掴む女の子の姿が確認できた。片方の手には、とうの女の子が売り場から持ってきてしまったであろうスナック菓子の袋が、胸元にて押し抱かれている。


 すると、航平がそれらに関して詳細を語り始めた。


「なんか、この子、迷子やねんて。うん。お菓子ンとこへカゴとりに俺がさっき向かったら、この子が、かわいそうにうずくまって泣いとってん」

「……な、ないてないもん、ぐすっ」


 髪を頭の両側にてそれぞれ一本ずつ髪を束ねた女の子が、か細い声で反論してみせた。


(も、ものの二秒ですぐばれるウソを……まあ仕方がないよなあ。子供なんだし)


 ぽんっぽんに目元を腫らした女の子が再び鼻をすすっている様子を見て、聖也はひとり思う。


 そんな中、「はい、これ。お前のとこのブツ」と、航平が左ひじに引っ掛けたかごをひじごと突き出して寄越した。


 一方で聖也は、母親とのキャットファイトに興じていたせいもあって、そのことをつゆと忘れてしまっていた。


「あ、ああ。うん、ありがとう」と言って、彼は親友の突き出された肘からそれをゆっくり受け取った。


「あ、てことは、あれやな。これでお前は俺に借りができたわけやなっ」

「え? うーん、まあ、そうなるのかな」

「じゃあ、今それを返してもらうことにするわ。おまえ、この子、みたってや」


 親友からの突然の提案に、思わず聖也は「え!?」と声を荒げる。


「俺、今から店ンひとを呼んでくるわ。で、その子を引き取ってもらうよう掛け合ってくるわ」

「ちょっ、そんな急に。ああ! もう、あんなに遠い……」

「あとは、頼んだわ――――!」


 自分から十数メートル先まで離れた親友に、観念したみたく、力なく手を振ってこたえた。

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